堺の戦い⑩ 目賀田堅綱の追憶

時は前日の曲直瀬道三の縫合が終わって、ひと段落した後に遡る。


俺は茶室から出ると、俺を襲おうとして捕縛された少年を睨みつけ、震える手を抑えながら訊ねる。


「……お主は会合衆に雇われたのか?」


「ふん、雇われたのではない。俺は父上の仇である寺倉蹊政を討とうと堺に身を潜めていたのだ!」


父の仇? 憎悪の篭ったその言葉に、俺は頭を殴られたような衝撃を受ける。自分が目の前の少年の父を亡き者にした。人死は乱世ではやむを得ぬことと割り切っていたが、こうして面と向かって仇だと言われると心が痛む。


「……お主、名は何と申す?」


「目賀田次郎左衛門尉堅綱だ」


「目賀田……。目賀田摂津守の子か」


「そうだ。俺はお前を討つためにこれまで生きてきたのだ」


堅綱の目には憎悪の炎が燃え盛っていた。


俺は5年前の「目賀田の戦い」で目賀田貞政を討ったが、確かまだ7歳で幼かった貞政の嫡男を助命して追放処分にした覚えがある。そうなると今は12歳のはずだ。12歳で父親の仇討ちか……。これ以上、堅綱と顔を合わせていると気が滅入ってしまいそうだ。俺はそれ以上言葉を交わすのは止め、植田順蔵に堅綱を牢屋に入れるように指示した。




◇◇◇




「おじぃ~様ぁ~~!!」


小姓の蒲生鶴千代の甲高い叫び声が響き渡る。鶴千代と藤堂与吉の小姓コンビはまだ11歳と幼く、屋敷では何が起こるか分からないため、屋敷の外で控えさせていた。だが、祖父の宗智が深手を負ったと聞き及んで、鶴千代が飛んできたようだ。


「鶴千代、大丈夫だ。宗智殿は死んではおらぬ。眠っているだけだ。脇腹を刺されたというのに、生きているのは僥倖と言う他ないが、何はともあれ安心するが良い」


「真にございますか? ううっ、良かった……」


鶴千代は俺の言葉に胸を撫で下ろして、涙声で言葉を返した。


「某の刀が間に合わずに宗智殿に傷を負わせてしまい、誠に申し訳ありませぬ。正吉郎様にも危険が及んでしまい、情けない限りでございます」


馬廻りの滝川慶次郎は俺を危機に晒してしまったことを悔んでいたが、俺はそれを慰めんと声を掛ける。


「構わぬ。気にするな。俺も宗智殿もこうして生きておるのだ。むしろ俺の責任だ。俺がかつて『目賀田の戦い』で目賀田貞政を討ち取り、幼い男子の命を奪わず追放処分にした。俺の甘い判断がこうして宗智殿を傷つける結果になったのだ」


俺は自嘲する。だが、宗智が死ななくて本当に良かった。もし宗智が死んでしまったら、俺は悔やんでも悔やみ切れなかっただろう。甘さは身を滅ぼす。これを教訓にしなければならないな。


「ですが……」


「いや、事実だ。今後同じことのないようにすればよい」


俺は反論しようとする慶次を制した。ここで止めないと慶次がいつまでも気に病んでしまう気がしたからだ。いつまでも陰鬱な表情をしている訳にはいかないな。いい加減に気分を入れ替えないとな。





◇◇◇




油屋常琢の屋敷にある牢屋。ほとんど日の光も届かない薄暗い牢の中に身を置いた目賀田堅綱は、"六雄"の筆頭格、寺倉蹊政を殺そうとした罪人として囚われていた。数日中には厳しい取り調べの後、厳罰は免れない状況であったが、堅綱は未だに憎悪の炎を胸中にメラメラと燃やしながら、過去を追想していた。


(5年前の「目賀田の戦い」で母や姉たちと共に追放処分になった後すぐに、7歳で元服して目賀田家を継いだ俺は「六角六宿老」の後藤家を頼ろうと向かったが、後藤家や進藤家、平井家までもが「野洲川の戦い」で蒲生に敗れてしまった。俺は後藤家らが逃げ落ちた三雲家を頼ろうと考えたが、母上や姉上は素破たちの根城に行けば何をされるか分からないと同行するのを嫌がり、「必ず仇を討つのですよ」と申されて結局は尼寺に入ってしまわれた。あれが今生の別れになるとは、母上、姉上……くくっ)


堅綱はこの誰も見ていない真っ暗な牢屋では人目を憚らずに泣くことができた。


孤独の身となった堅綱は一人で三雲城に向かったが、三雲対馬守から「たとえ目賀田家を継いだ身であろうとも、7歳の童では戦えようもない。足手まといになるだけだ」と冷淡に告げられ、堅綱は堪らず怒って対馬守に食って掛かった。


(だが、今思えばその通りだな)


他に頼る宛てのない堅綱は、結局信楽の山奥のある寺に預けられる羽目になった。その山寺は実は素破の養成所とも言うべきところで、素破の子供20人ほどと共に学問だけでなく、憎き寺倉蹊政を討つために日々山中を駆け回り、木によじ登り、猪や熊を狩り、武術の鍛錬を積んで心身を鍛えた。


(……辛い毎日だったが、今思えば楽しい日々でもあったな)


堅綱は同年代の子供たちの顔が脳裏に浮かび、山寺での暮らしを思い出す。


しかし、3年前の「三雲城の戦い」で頼りにしていた三雲家までもが敗れてしまい、南近江は逆臣の蒲生の手に落ちてしまった。そして、半年前にはついに蒲生の兵が山寺を襲って来て、仲間たちとも散り散りになって逃げたのだ。堅綱は久しぶりに母に会いたくて尼寺を訪ねたが、尼寺は1年前に野盗に襲われて焼け跡となっており、寺の尼たちは殺されたり、捕らわれて売られてしまったと近くの村人から聞いた。殺された尼たちの遺品の中に母が大事にしていた櫛を見つけた堅綱は号泣し、尼たちの墓前で母の冥福を祈った。


堅綱は母の面影を思い浮かべ、姉がどこかで生きていると一縷の希望を抱く。


その後は、銭や食料を盗んでは食い繋いで辿り着いたこの堺の町で、商人の雑用をこなして手間賃を貰いながら糊口を凌いできた。そして天の配剤か、寺倉蹊政が堺の町に現れたと知った直後に、この屋敷の商人に高い金で「雑用がある」と言われて雇われた。その"雑用"が寺倉蹊政を殺す役目だったとは、願ってもない幸運だったというのに、父の仇も討てず母や姉の願いも果たせず、結局は死ぬ運命になってしまった。


(この5年間の苦難は、俺の人生は一体何だったのだ? 全ては寺倉蹊政の所為ではないか!)


堅綱は自分のこれまでの人生を振り返ると、こうなった全ての元凶は寺倉蹊政にあると呪った。しかし、堅綱はまだ12歳である。これまで復讐の念に突き動かされて生きてきたが、こうして囚われの身になったことで、少しずつ精神を闇に蝕まれつつあったのである。

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