堺の戦い⑨ 堺の斜陽

11月も下旬に入り、朝晩もめっきり肌寒くなった日の午後、俺は会合衆たちからの茶会の招きに応じて、油屋常琢の屋敷を訪ねた。


「左馬頭様、本日は我らが茶会の招きに応じてわざわざお越しくださり、恐悦至極にございます」


見え透いた世辞に反吐が出そうになるわ。目の前の常琢やその後ろに並ぶ会合衆たちが内心どんな気持ちでいるか想像に難くない。俺を殺せると思って嬉々としているのだろう。僅かに常琢の声が弾んでいるな。


「うむ。堺の町が降伏したからには、自治を認めた会合衆たちと親睦を深めるのも悪くはないと思ってな。忙しいのだが、お主たちの招きに応じて来てやったぞ」


俺はあくまで仕方なく来てやったのだと常琢に恩に着せるように答え、茶室は狭いので、本人の達ての希望で蒲生宗智が隣に同席し、滝川慶次郎が護衛で俺の背後に控える。


「はい。我々も左馬頭様に"少ない"矢銭で自治を認めていただいた御礼も兼ねて、茶会の場を設けさせていただきました。お忙しい中を足を運んでいただき、誠にありがとうございます」


傍から見れば和やかな雰囲気で始まったように見える茶会だろうが、この野郎、矢銭の額を"少ない"と皮肉を込めて言いやがったな。


やがて主の席で千宗易が茶を点て始めると、途端に茶室の空気が引き締まった。宗易に怪し気な所作は一切見られず、どうやら始めから茶入れの中に毒を仕込んであったのだろう。


「粗茶ですが、どうぞ」


宗易が俺の前に黒楽茶碗を静かに差し出す。ほぅ、既に"侘び茶"の様式は完成しているのか。俺は微笑を浮かべながら、あの茶聖・千利休が点てた茶碗を受け取った。そして、俺は黒楽茶碗を両手に持ち、口の前に持ってきて抹茶の香りを嗅いだところで徐に静止する。


「さ、左馬頭様。如何なさいましたか?」


露骨に動揺した様子を見せる会合衆の面々に、俺はまるで今気づいたかのような表情で口を開く。


「嫌な臭い、まるで毒のような臭いがするな。もしや茶に毒でも入れてはあるまいな?」


俺は向かいに座る常琢と宗易を鋭い眼光で睨みつける。


「め、滅相もございませぬ!」


常琢は慌てて首を横に振って否定する。演技が下手だな。一方、小心者丸出しで狼狽する常琢に対して、宗易は平然としている。こいつは相当のワルだな。


「今のお主の態度を見ると、余計に気になるな。左様に申すのならば、これを飲んでみよ。お主が飲んで、これに毒が入っていないと証明して見せよ。何事もなければ伏して謝罪し、矢銭の誓紙を破り捨てても良いぞ」


俺は真顔で茶碗を常琢の前に差し出した。常琢はガチガチと歯を小刻みに鳴らし、茶碗を前に持ってくると固まった。


「毒など入っておらぬのだろう? ならば飲めるはずだ。違うか?」


「……の、飲めませぬ」


俺は苛立ちを募らせ、肩を震わせる演技をすると、小声で呻く常琢を一喝する。


「飲め!」


「申し訳ございませぬ! この茶には毒が入っており申した」


「ふふっ、認めたか。俺に毒を飲ませようとしたのだな。常琢よ、どう落とし前をつけるつもりだ?」


「……堺の自治権を寺倉左馬頭様にお譲りいたしまする」


「ふん、論外だな。それは当然であろう? "六雄"の左馬頭の俺を殺そうとしたのだ。生きておられるとは思うなよ? それと、自分は関係ない振りをしている周りのお主たちも同罪だ。おい! こ奴らを捕えよ! 磔に処すのだ」


「なっ! それは余りにご無体な! 横暴にございますぞ!」


「横暴だと? 畠山左衛門督と同じ手口で俺を毒殺しようとした奴らが何をほざくか!」


「くっ、こうなっては仕方がない! おい、小僧! 左馬頭を殺せ!」


常琢の声で、茶室の端からまだ幼さの残る12歳前後の少年が現れると、俺に刃を向けて叫びながら突進してくる。


「なっ!!」


僅か5秒もない突然の事態に俺は反応が遅れて、身動きが取れずに固まってしまった。


「典厩殿!」


その時である。俺が避けられないことに気づき、咄嗟に庇うように俺の前に立つ影があった。蒲生宗智だ。


「うっ!」


俺を庇った宗智は、少年の匕首に右の脇腹を刺されて呻いた。


「宗智殿ぉ!!! 誰か、医者を! 近くの医者を早く呼んで来い!」


「は、はっ!」


俺はすぐに宗智に駆け寄り抱きかかえる。止め処もなく流れ出る血が掌を汚すのも気に留めずに、手拭いで脇腹を押さえて止血しながら、俺は声を張り上げると、全く反応できていなかった近習の蹊祐は慌てて部屋を飛び出していった。


宗智を刺した少年は、刺した直後に慶次郎に羽交い締めにされて大人しくなり、会合衆たちも茶室の外に控えていた家臣と素破たちに直ぐに捕らえられた。


「宗智殿、気を強く持て。もうじき医者が参るぞ」


瞑目して息も絶え絶えだった宗智は徐に目を見開くと、どこにそんな力が残っているのかと思えるような力強い声で呟く。


「齢60近くまで長生きし、典厩殿をお守りして死ぬるは本望にござる。孫の鶴千代を良しなにお頼み申す」


宗智はそう言うと、再び力尽きたように目を瞑った。一瞬まさか、と思ったが、呼吸音が聞こえて安堵すると、俺は自分の油断の所為で宗智に傷を負わせてしまったことに後悔の念で一杯で、涙が頬を濡らすのも気にも留めずに呟く。


「宗智殿、貴殿を斯様な目に遭わせてしまったのは、私の詰めが甘かった故にございまする。茶室の周りを兵が囲っているからと油断しており申した。申し訳ござらん」


俺は体を揺らしては良くないと考え、宗智の身体を横たえて安静にし、止血を続けながら医者の到着をひたすら待つと、やがて到着した医者に宗智を預けた。


「傷は内臓には達しておりませぬし、止血していただいた故、命に別状はありませぬ」


宗智を診断した医者の言葉に俺はホッと胸を撫で下ろすと、ならばと医者に声を掛ける。


「南蛮の医術では傷口を水で洗い流して綺麗な糸で縫合した方が早く治る。寺倉軍では疾うの昔から戦での腕や脚の刀傷はこの通り縫合しておる故、この傷口を縫ってもらいたい」


寺倉軍では簡単な縫合程度の外科手術は以前から行っており、失血死や破傷風など感染症による死亡率を下げる実績を上げている。医者は縫合の指示に驚きながらも、俺が「関谷の退き口」での刀傷を縫合した痕を見せると、素直に従った。宗智の方は痛みと意識が朦朧としていた所為か、5針ほど縫っている間も無反応だったが、これで一安心だと俺は安堵した。


「失礼ですが、寺倉左馬頭様は斯様な南蛮の医術を如何にしてお知りになったのでしょうか?」


「ん? これは明の書物の中で紹介されていてな。もちろん傷口を綺麗に洗うのが絶対条件だがな。腹の場合は内臓に傷が達していると、傷口を縫うだけでは治らぬ場合もあるが、今回は傷が内臓に達していない故に問題はないはずだ。案じずとも大丈夫だ」


宗智と同年代に見える医者は、武家の俺が南蛮の医術を知っていたのが疑問だったようだ。


「左様でございますか。私は曲直瀬道三と申しますが、南蛮の医術は全く存じませぬ故、人の身体を縫うなど誠に驚きました」


「おぉ、お主が高名な曲直瀬殿であったか。よくぞ堺にいてくれたな。礼を申すぞ」


彼がかの有名な曲直瀬道三か。普段は京にいるはずの道三とここで出会えたのは、不幸中の幸いだったな。


「はっ、誠に勿体ないお言葉にございます。今日は堺の商人の病の診察で参っておりました。いずれ寺倉領にも医術を学びに伺わせていただきたいと存じます」


「うむ。寺倉領の伊吹山には薬草も豊富である故、ぜひとも参るが良いぞ」


「かたじけなく存じます」


こうして俺は"医聖"こと、曲直瀬道三と知己を得た。





◇◇◇





その後、俺は牢に入れられていた塩屋宗悦と山上宗二を解放すると、堺の自治権を召し上げた上で、宗悦を堺の代官、宗二を副代官として召し抱えた。 2人には近い将来、津守湊に堺の町ごと移転させる計画を話し、2人には堺衆をまとめ上げる役割を命じた。


翌日、会合衆たち8人は俺を暗殺しようとした罪で全員、堺の町の広場にて磔刑にされた。観衆の堺の町衆から石が投げつけられていたので、会合衆たちは町衆からもかなり恨みを買っていたようだった。


これで史実の「天下三宗匠」は全員お陀仏となり、日ノ本の茶道の歴史も大きく変わりそうだ。山上宗二は史実では豊臣秀吉に逆らって惨い殺され方をしたのだが、この世界では塩屋宗悦と並んで「天下三宗匠」として名を挙げることになるが、それはまだ先の話だ。


それと、会合衆たち8人の全財産を没収したところ、何と矢銭で回収予定だった4万貫文以上となった。さすがは堺の豪商たちだ。さらには名刀や茶器の名物も数多く手に入り、俺は思いがけない副収入に頰を綻ばせたのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る