堺の戦い④ 私鋳銭と降伏交渉

和泉国・堺の郊外。


11月中旬、もう既に10日も堺の町を包囲している寺倉軍の本陣に、堺の会合衆の代表者3人がやって来た。左右に居並ぶ寺倉家の重臣に挟まれて、上等な衣服を着て恰幅の良い40代と思しき3人が上座の俺の前で平伏している。


「左馬頭様、お初にお目にかかります。堺の町の会合衆の油屋常琢と申します」


「左馬頭様、私は会合衆の高三隆世と申しまする」


「左馬頭様、私も会合衆の塩屋宗悦と申します」


会合衆の3人は平身低頭といった様子だ。伊賀衆の調べでは、油屋常琢は10人いる会合衆の筆頭格で、高三隆世はナンバー2らしい。塩屋宗悦は穏健派だそうだ。反対に会合衆には強硬派の者もいるようだが、この場で下手な発言をされて交渉が上手くいかないと困るので、連れて来なかったのだろう。


妥当な人選ではあるが、降伏勧告を何度も無視し続けた挙句、2日前の艦砲射撃と大鉄砲の砲撃を受けて、匿っていた畠山政頼を見限って毒殺したのは既に調べが付いている。奴らの腹の内にどれほどどす黒い陰謀が秘められているか、俺は先刻承知している。堺の町を破壊されるのを恐れて、今さら膝を屈するなど笑止千万だ。俺は一切甘い対応を取るつもりはない。


実を言うと、堺の町を攻撃したのは畠山政頼を匿ったのが本当の理由ではない。ちょうど好都合だったので、堺の町を攻撃する大義名分に利用させてもらったが、俺の本当の狙いは別にあり、それを達成する上で必要な措置だったのだ。


その狙いとは堺の"銭"だ。何も堺の商人から矢銭を徴収するという意味ではない。堺の町では"銭"を造っているのだ。俺は堺の町からその鋳造権を奪いたかったのだ。


日本の貨幣は、奈良時代の大昔には「鋳銭司」という役人の下で鋳造所で和同開珎を始めとする「皇朝十二銭」が造られていたが、やがて当時の精錬技術では銅の生産量が次第に減少したため、平安時代後期には貨幣の鋳造が行われなくなった。その後、平氏政権から鎌倉時代には日宋貿易で大陸の宋から宋銭が大量に輸入され、室町時代には日明貿易で永楽通宝などの明銭が輸入されるようになっていた。


しかし、今の戦国時代の日ノ本に流通している銅銭は宋銭や明銭だけではない。有力大名などが造った"私鋳銭"という銅の比率の少ない劣悪な品質の偽造貨幣も大量に流通しているのだ。もちろん貨幣の私鋳は捕まったら死罪となる犯罪だが、朝廷や幕府が有力大名らの権力者を捕らえることができるはずもない。


そして、私鋳銭は有力大名だけでなく、この堺の町にも私鋳銭の工房が存在し、堺の商人たちが粗悪な私鋳銭を造って流通させている。もちろん紙幣と違って造幣には銅のコストが掛かるが、銅の比率を落とすことで額面との差額が利益になるという濡れ手に粟の商売で、堺の商人たちはぼろ儲けしてきたのだ。


ただ、私鋳銭は単に金儲け目的だけでなく、宋銭や明銭が割れて"鐚銭"となったり、大陸からの明銭の輸入が途絶えたりして貨幣の流通量が減少する中で、大名や商人たちが必要に迫られて行ってきた必要悪の側面もあるので、一概に犯罪だと否定するつもりはない。


だが、問題はその私鋳銭の"質"なのだ。粗悪な私鋳銭や鐚銭が大量に市中に流通すると、当然のことだが、銅の比率が比較的高い宋銭や永楽銭と比べて、額面以下の価値しかない私鋳銭に対する信用度が低下する。それにより商売の際には私鋳銭での支払い拒否や、宋銭10枚を私鋳銭20枚と両替するような"撰銭"が起きて流通を阻害するようになり、史実では織田信長も撰銭を禁止する撰銭令を出したりする事態になっているのだ。


一方、今の寺倉家では灰吹法で粗銅から金や銀を回収して、大量に残った銅はほとんど青銅に変えて、鉄砲や大砲、ポンプ、スコップなどの用途に使用しており、私鋳銭は造っていない。だが今後、日ノ本を平定する上で私鋳銭の問題を放置しておく訳には行かない。今の状況を少しでも改善するために、まずは堺の町から鋳造権を奪い、少なくとも"六雄"の領内では宋銭と同水準の私鋳銭を鋳造して流通させたいと目論んでいるのだ。


そして、堺の町から鋳造権を奪うためには、堺の会合衆を屈服させる必要がある。そのためにはこの堺の町が戦とは無縁な安全な場所だという幻想を壊さなければ、それ以外の方法で会合衆が降伏を受け入れることはあり得ない。それが今回の「堺の戦い」の本当の目的だったのだ。


さらに言えば、俺は今、急ピッチで津守に湊を造らせている。これが完成すれば、もはや堺の町は用無し、いやむしろ邪魔な存在となる。だから俺は堺の自治権を奪うどころか、堺の町を潰して大坂へ移転させ、堺の跡地は寺倉海軍の軍港にするつもりだ。


だが、今回の降伏でいきなり堺の町を潰すのは少々無理があると考えている。あまり性急に強引な手段を取ると、世間の"六雄"に対する評価を下げてしまいかねないからな。そこで俺は、堺の町を潰す大義名分を得るために、有無を言わさぬ既成事実により会合衆に罪を着せて、その罰を以って堺の町を潰そうと企んでいるのだ。


「私は寺倉左馬頭伊賀守だ。泣く子も黙る堺の会合衆が3人も揃って何用で参ったのかな?」


「ははっ、本日、我らは堺の町が寺倉家に降伏するために参りました」


「ほぅ、ようやく降伏する気になったか。随分と早い決断だったな」


「いえいえ、滅相もありません。私ども会合衆は畠山に脅されて仕方なく……」


「ふん、下手な猿芝居はするな。では早速、交渉を始めるとしようか」


何事も交渉事は先手を取り、場の主導権を握ることが重要だ。俺の皮肉に会合衆の一人、高三隆世が慌てて弁明しようとするのを、俺は即座に否定し、会合衆たちの目算をわざとぶち壊すように冷淡に告げる。


俺は23歳という若年から老獪な会合衆たちに舐められないように、"次期天下人"である"左馬頭"として威厳を纏わせて床几に座すと、さすがに気圧されたのか、正面に平伏する会合衆3人の顔が青白くなって強張った。


「か、かしこまりまして存じます」


「では、肝心の降伏の条件だが、お主らはどの様な条件を望むのだ? 申してみよ」


俺はまず会合衆たちに一抹の希望を抱かせるべく、彼らが望む条件を言わせる。もちろん俺はどんな条件だろうと同意するつもりなどさらさらない。上に上げてから下に叩き落すつもりだ。だが、会合衆たちは俺の言葉に乗せられるように顔色をパッと明るくした。


俺は自然と口角が吊り上がりそうになるのを堪えながら、会合衆らの言葉を待った。

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