堺の戦い② 会合衆の謀

11月中旬、堺の町の会合衆の一人、油屋常琢の屋敷内にある茶室を、畠山政頼や松永久秀ら畠山家の一行が訪ねていた。


「左衛門督様、突然の招きに応じて我らの茶会にお越しくださり、誠にかたじけなく存じまする」


「頭をお上げくだされ。私は居候の身でござる故、堺の町が危機に瀕している今、憎き寺倉への今後の対応を話し合う茶会に招かれれば、行かない訳には参りますまい。余所者の我らもできる限り力になりましょうぞ」


(堺の町が壊滅するかの瀬戸際に立たされているのはお前たちのせいではないか!)


(我らの茶会の招きに応じるのは当たり前であろうが!)


(自らも被害者面をしおって! この厄病神め!)


会合衆の招きに応じてやって来た畠山政頼の挨拶を聞いた会合衆の面々は、にこやかな笑顔を浮かべながらも、煮えたぎる憎悪や憤懣やるかたない怒りの炎を密かに胸中で燃え上がらせて、一斉に心の中で政頼に罵声を浴びせていた。


「弾正忠様、何やら殺気を感じまする。用心なさいませ」


畠山政頼の横に座る松永久秀の背後に控える柳生宗厳が、不穏な空気を感じて久秀に小声で注意を促す。


「左衛門督様のご厚誼、誠に感激の至りにございまする。粗茶ですが、本日は暑い日ですので、まずは喉の渇きを潤してくだされ」


会合衆の一人で茶の湯で名を馳せつつある千宗易はそんな悪どい感情をおくびにも出さずに、松永久秀が持参した大名物・古天明平蜘蛛で沸かした湯を使い、洗練された手つきで冷静沈着に茶を点てると、政頼の前に名器の茶碗を差し出した。


「宗易殿が自ら点てた茶をいただけるとは、誠にかたじけない」


名家の生まれである政頼は、優雅な茶道の作法で茶碗を手に取り、静かに茶を飲み干した。


「大変美味しい茶でございました」


「ありがとうございまする」


(ふふっ、その茶がお主を黄泉路へと案内するのだ)


その瞬間、政頼の横に座っていた松永久秀は気づいた。柳生宗厳からの忠告に従って最大限に警戒していた久秀だが、向かいに座る会合衆の二人が、政頼が茶を飲んだ直後にほんの一瞬だけ、僅かに口角を上げたのを見逃さなかったのだ。


元来、人一倍猜疑心の強い久秀である。一人ではなく、二人がほぼ同時に口角を上げたのを見た久秀は、"絶対に何かある"と確信すると、急な腹痛を訴えて厠に行き、長い間、用を足す素振りを続けたのである。


四半刻の間、厠に籠っていた久秀だったが、厠の外から久秀が最も信頼を寄せる重臣である柳生宗厳が焦ったような声色で告げた。


「弾正忠様、左衛門督様が……」


「死んだか?」


「左様。おそらく茶に毒が……」


「やはりか。あのまま茶を飲んでいれば政頼と仲良く冥府行きだったな。……平蜘蛛と九十九茄子を置いて行くのは誠に口惜しいが、命には代えられぬか。新介、逃げるぞ!」


久秀の嫌な予感は的中した。紙一重で生命の危機を回避した久秀は、自分の悪運の強さに思わず身震いする。茶室に残されたままの古天明平蜘蛛と九十九茄子は命よりも大事と言っても過言ではない代物であったが、取りに戻れば間違いなく殺されるであろう。久秀は古天明平蜘蛛と九十九茄子を諦める苦渋の決断を下すと、厠を出て裏口から屋敷を脱出しようと目論んだ。


しかし、久秀のその動きはまんまと読まれていた。用心深い会合衆たちは暗殺計画の実行に際して、予め腕の立つ浪人衆を用心棒代わりに屋敷内に控えさせていたのである。


「弾正忠様、ここは私にお任せを!」


宗厳は久秀を庇うようにして浪人衆の前に立つ。宗厳は新陰流開祖の剣聖・上泉信綱から新陰流宗家を譲られた一流の兵法家であり、かの有名な「無刀取り」をも体得したほどの剣豪である。


「くっ、武士として逃げるのは面目ないが、多勢に無勢故、そうも言うてはおられぬな。新介よ、死ぬではないぞ」


「はっ!」


さすがに複数人で襲い掛かられれば分が悪いと考え、この中でもずば抜けて腕の立つ柳生宗厳にこの場を任せると、久秀は宗厳の無事を祈りながら、脱兎の勢いで屋敷を後にしたのであった。




◇◇◇





遡ること、二刻半(5時間)。


寺倉軍が堺の町を砲撃した翌朝、町衆の目には砲弾により家や倉庫が幾つも倒壊した無惨な町の様子が映っていた。不幸中の幸いで火事は起こらず、被害は町の二割程度に収まっていたが、これまで戦国乱世の中で平和を享受してきた堺の町衆にとっては、かつて味わったことのない"恐怖"という感情を心の奥底に強く刷り込まれていた。


一方、堺の町を治める会合衆の面々は未だかつてない危機感を抱いていた。堺の町が自治都市として成立してから今まで、武家による攻撃を受けたことなど一度たりとてなかった。その安全神話が脆くも打ち崩されたのである。そして、この事態に至ったのは、会合衆が畠山家を匿うという致命的な判断ミスをしたのが原因であり、まさに自分たちが蒔いた種でもあった。会合衆たちは動揺を隠せるはずもない。


「寺倉は本気で堺の町を潰すつもりだぞ。いかがしようぞ?」


「今朝も寺倉から降伏勧告があった。もはや悩んでおる暇などないぞ。我らには一刻の猶予もない。これ以上返答を引き延ばせば、間違いなく堺の町は灰塵と化してしまうぞ」


油屋常琢は昨日、南蛮船の艦砲射撃を目の当たりにしてから、呆然自失して心ここに在らずといった様子であったが、一晩を経てようやく正気を取り戻していた。


「油屋殿、何を言っておる。寺倉に降伏すれば我ら会合衆も只では済まぬぞ。最悪は堺の自治を取り上げられかねん。そうなれば商人の我らに武家に抵抗する力などありはせぬ。ここは最後まで抵抗すべきではあるまいか?」


常琢は紅屋宗陽の言葉に唖然とする。昨日のあれほどの光景を見てもなお、寺倉軍に抵抗しようなどという言葉が出てくるとは、同じ会合衆の一人として信じ難いことであった。


「だが、紅屋殿。死んでは元も子もなかろう? 我らは名誉や忠義のために命を散らすような武士ではないのだぞ。商いを営む我らにとっては利が第一だ。死んでは冥府で銭は使えまい。最後まで抵抗するとは言うが、昨日の砲撃に対して我らは何も抵抗する術がなかったではないか? このままでは我らもこれまで築き上げた財産も地位も全て失うことになるのだぞ?」


「むむぅ……、確かに冷静になって考えれば一理あるな。これ以上、寺倉の降伏勧告を無視すれば、堺の町は全滅だ。ならば、命を繋いで好機を待つのが吉か」


会合衆の中では最も強硬派と言える紅屋宗陽の言葉に、場の空気は一気に"降伏やむなし"の流れに傾いた。


「だが、寺倉に降伏するにしても、我ら会合衆による堺の町の自治を認めてもらうのが最低条件ではないか?」


そこへ「天下三宗匠」の一人の津田宗及が寺倉家への降伏について注文をつける。


「左様ですな。ですが、そのためには寺倉に何か交渉材料を用意せねば、堺の町の自治は認められますまい」


すると、同じく「天下三宗匠」の一人の今井宗久が寺倉家との交渉に懸念を示すと、他の会合衆たちも無言のまま頷いた。


「……ですが、こうなったのも全ては畠山の所為。そうではありますまいか?」


一旦話が途切れたところに、これまで黙ったままだった茜屋宗左が、この堺の町が攻撃される発端となった畠山家の責任を糾弾する。もちろん会合衆の会合に畠山家の者が顔を出すことはない。


「左様だな。しからば畠山の当主を始め、その家臣たちには死んでもらわねばならぬな。その首を以って寺倉に降伏すれば、交渉材料にもなるのではないか?」


強硬派の面目躍如と言える紅屋宗陽の過激な発言であったが、異を唱える者はいなかった。会合衆の誰もが内心では畠山家の存在が元凶だと恨んでいたのである。


「ですが、どうやって始末すると言うのですかな? 傍には家臣が大勢おりまするぞ」


会合衆の中では最も穏健派の塩屋宗悦が疑問を投げ掛けると、しばしの沈黙が流れる。


「……茶に毒を混ぜてはいかがでしょうか? 即死する猛毒ではなく、四半刻の後に眠るように死ぬような毒を用いれば、勘づかれることなく始末できましょう」


そこへ「天下三宗匠」の一人の千宗易が茶の湯を利用した暗殺を提案すると、他の会合衆は"まさか魚屋殿が"と言った顔で驚く。


「……クククッ、魚屋殿も悪どいのぅ。だが、面白い。お主の策を採用しようではないか。そのような毒には心当たりがある。皆の衆もそれで宜しいかな?」


油屋常琢が全員に訊ねると、会合衆たちは沈黙により同意を表明する。


こうして、畠山政頼や松永久秀の知らぬところで、会合衆たちは畠山家の当主や重臣たちの暗殺計画を密かに練っていたのである。そして、畠山政頼はその餌食となり、畠山家の復興を叶えることなく、この世を去ったのである。享年33であった。

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