堺の戦い① 堺の危機
和泉国・堺。
高屋城を辛くも脱した畠山家当主・畠山政頼は、側近の遊佐高清ら700の将兵と共に、和泉国の堺の町に落ち延び、松永久秀の手勢300と合流していた。
畠山家は高屋城での敗戦により南河内を失陥した。畠山高政や湯川直光らの命懸けの奮戦によって寺倉に痛手を負わせることができたものの、所詮は焼け石に水であった。
だが、本拠地である高屋城を奪われてもなお、畠山政頼は諦めてはいなかった。政頼は御家を守るためならば、どんなに卑怯で汚い手であろうとも躊躇わない覚悟の下、幕府の名門たる畠山家を己の代で潰えさせる訳には行かないという並々ならぬ決意をその目に宿していた。兄・高政の後を継いでの名ばかりの当主ではあったが、その高政の遺言にも等しい最後の言葉によって、政頼は畠山家の"当主"としての自覚に目覚めたのであった。
「油屋常琢殿、ご助力かたじけない」
政頼は堺の町に入ると、まずは堺の町を治める10人の会合衆の一人で、中でもとりわけ強い影響力を持っていた油屋常琢に事情を説明し、畠山家がしばしの間、堺の町に駐留することへの理解と支援を求めた。政頼は名門・畠山家の当主として商人風情に頭を下げるとは屈辱だと自覚しながらも、そうした感情は表情にはおくびにも出さずに、努めて平身低頭の低姿勢を貫いていた。
「何の何の、畠山家が滅びるは我らが滅びと同じにございますれば、支援するのは当然のことにございまする。左衛門督様はお気になさらず、ゆるりと堺に逗留くださいませ」
油屋常琢は極めて柔らかな笑みで政頼を受け入れた。堺の町は「三津七湊」に数えられ、南蛮人からは「東洋のベニス」と謳われるほど栄華を極めた日本有数の港湾都市である。しかし、それだけでなく、堺の町は戦国時代には大名の支配を受けない自由都市であり、会合衆と呼ばれる豪商たちの合議によって運営される自治都市だ。故に戦の舞台になることなどあり得なかった。
畠山家は守旧派の名門である。革新的な手腕で商いの世界を掻き乱さんとする寺倉家を、和泉国に迎え入れることの危険性を会合衆らは十分すぎるほど理解していた。ましてや寺倉家は松原湊から蒲生家の大津湊、京の都、そして堺というルートで商品を調達・運搬することにより、堺の恩恵を存分に享受してきた家である。堺の町を攻撃することはすなわち、商業で成り上がった寺倉家が自分で自分の首を絞めるのにも等しい、滅びに通じる行為であると考えていた。
さらに、堺の町が戦乱の渦に巻き込まれることはないという根拠は他にもあった。乱世のこの時代に絶対という保証はない。万一の場合に備え、先代の堺の会合衆らは北、東、南の三方に堀を掘り巡らせ、西の海と合わせて堺の町を武家の攻撃から守って来たのである。
だからこそ、油屋常琢は余裕綽々といった態度で、畠山政頼を始めとする畠山家の将兵の駐留拠点になることを認めたのである。しかしながら、敗戦濃厚な畠山家に与することは利に聡い商人にすれば自殺行為とも言える愚策にも思える。
だが、寺倉家は領内で特権商人による市場の独占を否定し、"楽市楽座"を推進して一部を除いて座の支配も制限した。そんな寺倉家に堺の町が支配されることになれば、堺の自治がどうなるか分からない。会合衆たちは寺倉家に堺の自治権を奪われ、寺倉家の単なる商業都市の一つとして、我が物顔で統治されることを何よりも恐れていたのである。
「寺倉は南河内を制圧すると、すぐさまこの堺に向けて進軍し、堺の町を包囲したようだが、いくら寺倉と言えども、この堺に攻め入るという愚行など、犯すはずもござらぬ」
一方の畠山政頼としても、そんな堺の町の特異性や寺倉家との関係を良く理解した上で利用しようとしていた。堺の町全体を人質に取れば、寺倉家も安易に手出しはできないと踏んだのである。
こうして両者の思惑が合致した形で、畠山家は堺の町で籠城を貫いた。堺の町を包囲する寺倉軍からは降伏勧告が政頼の元に幾度となく届いていたが、政頼はその全てを無視していたのであった。
しかし、やがて堺の町は知らず知らずの内に苦境に立たされることになる。堺の町が陸だけでなく、海からも寺倉軍に包囲される事態になったのだ。南蛮船2隻を含む寺倉水軍の船団が堺の湊を海上封鎖し、北東南の陸では依然として寺倉の2万以上の大軍が包囲しており、まさに蟻の這い出る隙間もないほどの包囲網が敷かれたのである。
◇◇◇
「もはやこれ以上待ったところで時間の無駄のようだな。十兵衛、攻撃を始めさせよ」
「ははっ」
寺倉軍が堺の町を包囲してから7日目の朝、堺の町が畠山家を匿い、降伏する意志はないことを確認すると、正吉郎はやむを得ず堺の町への攻撃を決断した。
――ドガーーン! ドガーーン!
間もなく寺倉軍は堺の町に対して、海上の南蛮船からの艦砲射撃と、陸からの大鉄砲による砲撃を開始した。
「な、何だ?! この音は!」
寺倉軍に海と陸から包囲されたことにより商品が荷止めされ、商売ができなくなって辟易としていた堺の会合衆たちは、耳をつんざくような轟音に飛び上がらんばかりに驚いた。
「ま、まさか、寺倉が攻撃してきたのではあるまいな?」
寺倉軍が攻撃を仕掛けてくるなど、露にも思っていなかった会合衆らは、途端に動揺の色を濃くする。そして、轟音と共に外に飛び出した会合衆の一人の高三隆世が戻ってくるなり、信じられないものを見たような面持ちで他の会合衆たちに対して声を張り上げた。
「あ、あの音は、沖に停泊する寺倉の南蛮船からでござる! 南蛮船の腹から火を噴いたかと思えば、鉄の弾が堺の町に降って来よるのだ! そのうえ、北東南からも寺倉軍の大鉄砲とやらが堺の町に砲撃を仕掛けておる! 鉄の弾が落ちた屋敷や蔵は滅茶苦茶に壊れておるぞ!!」
「なっ、何だと! それは真か!」
高三隆世の声を聞いて慌てて海岸に向かった油屋常琢は、海に浮かぶ南蛮船を唖然呆然といった表情で視界に捉えた。常琢は南蛮の品に造詣が深く、数多の品を南蛮から仕入れては高額で売り出して暴利を貪っていた。そんな常琢でも寺倉の2隻の南蛮船による艦砲射撃を目の当たりにしては腰を抜かし、あまりの驚愕で泡を吹いていた。
「いっ、一体全体、寺倉には常識というものがないのか!!」
これまた会合衆の一人の松江隆仙が怒気で顔を真っ赤にして大声で吐き捨てると、他の会合衆の面々も寺倉軍の非常識な蛮行に対して、怒りに震えて小刻みに唇を震わせていた。
しかし、砲撃により自分たちが築き上げてきた堺の町が無残に破壊されていく様を、指を咥えて黙って見ているしかない状況に、やがてこの事態を招いた元凶とも呼べる者の存在を、会合衆で最も若い山上宗二が思い出した。
「畠山家さえ堺の町に来なければ、こんなことにはならなかったはずではないか?」
山上宗二の呟きに、会合衆たちの怒りの矛先は一斉に向きを変える。
その存在とは、寺倉に敗れて堺の町に逃れてきた畠山政頼ら畠山家の将兵であった。
会合衆たちは過去の自分たちの判断ミスを棚に上げて、"畠山政頼さえいなければ"という八つ当たりとも言える憤怒にすぐに意思統一された。このままでは栄華を極めた堺の町が灰燼に帰してしまうと危惧した会合衆たちは、秘密裏に"ある計画"を進めていくことになる。
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