奥羽の動向③ 伊達家の憂鬱

出羽国・米沢城。


「左京大夫様。石川家が上杉家に降伏し、石川佐衛門太夫様が弑されたとの由にございまする」


「なっ、何! 親宗が死んだだと?! それは真か?!」


11月上旬、伊達輝宗は重臣の鬼庭良直からもたらされた突然の悲報に驚いた。輝宗にとって四弟の石川親宗は、知勇兼備で特に可愛がっていた弟であったため、その死のショックは格段に大きなものであった。


「……くっ、上杉輝虎め! よくも我が弟を殺してくれたな。決して許さぬぞ!」


実際には、石川親宗を殺したのは石川家譜代の家臣たちであるのだが、そうせざるを得ない状況に仕向けられたのは上杉家による脅迫が原因であった。故に、上杉輝虎が殺したのも同然であり、輝宗にそう受け取られても仕方のない話だった。


「これで中通りは当家の伊達郡と信夫郡以外は全て上杉に降ったのか、くそっ。足利幕府は既に滅んだも同然であるのに、今さら何が関東管領だ! ……周防守(鬼庭良直)、相馬はどうしておるのだ! それと、佐竹からの返事はまだなのか?」


伊達輝宗は奥羽の覇者としての矜持から、上杉輝虎の関東管領の権威など決して認めるつもりはなかった。そして、浜通りの岩城家には輝宗の長兄・岩城親隆が養子に入って岩城家の当主を継いでおり、伊達家と岩城家に挟まれる形で長年対立してきた相馬家とも一時休戦して対上杉で共闘する同盟を結ぶ一方で、常陸国の佐竹家にも同盟の使者を送っていたのである。


「はっ、相馬は岩城と『天文の乱』以降、領地の境界の紛争で度々対立しており、我ら伊達との同盟には同意しましたが、岩城と手を組んで合力するのを拒んでおりまする。それと、佐竹からは未だ返事は届いておりませぬが、佐竹はむしろ上杉の侵攻に戦々恐々としておりますれば、我らとの同盟に応じるのはおそらく難しいかと存じまする」


佐竹家は新羅三郎義光を祖とする源氏の名家であるが、この時点では未だ常陸一国も統一できていない。昨年に当主の佐竹義昭が病死し、弱冠20歳の嫡男・義重が後を継いだばかりである。そんな時に同盟を組んで190万石の関東管領・上杉家を挟撃しようという伊達家からの誘いは、名門であるが故に御家存続を第一とする当主の佐竹義重にとっては、御家を滅ぼしかねない無謀な自殺行為だ。故に伊達家との同盟に応じるのはあり得ない相談であった。


「ふん、佐竹も勇猛と聞いていたが、噂だけの見掛け倒しか。それにしても、未だに『天文の乱』が祟ってくるのか!」


「天文の乱」とは伊達家の内紛を契機として天文11年(1542年)から天文17年(1548年)の6年間に渡り、南奥羽のほとんどの大名家を巻き込んで繰り広げられた大乱である。


当時の伊達家当主・伊達稙宗は、多くの大名家に子女を送り込む巧みな婚姻外交政策によって、伊達家は最上、相馬、蘆名、大崎、葛西ら諸大名を従属させ、南奥羽の10郡を支配下に収めることに成功する。これにより、最大の版図を築いた伊達家の下で、奥羽は泰平の世を迎えたかに見えた。


しかし、さらなる勢力拡大のために三男・伊達実元を越後守護の上杉定実の養子として送り込もうと画策した稙宗に対して、これに猛反発して対立した嫡男の伊達晴宗が挙兵したことにより、伊達家中を二分する内紛が、やがては奥羽のほとんどの大名家を巻き込む「天文の乱」と呼ばれる大乱へと発展した。


「天文の乱」は序盤は伊達稙宗方が優勢であったが、稙宗方の田村と蘆名が争い始めると蘆名は晴宗方に転じる。これにより戦況が一転して晴宗方に寝返る勢力が続出した結果、ついに将軍・足利義輝の仲裁により伊達晴宗の勝利で争乱は終結した。結果伊達稙宗は隠居し、伊達晴宗が伊達家の家督を継いだものの、この大乱で伊達家の勢威が衰えたのを契機として、奥羽の各大名家が伊達家の従属下から自立することになる。そして奥羽は再び小大名や国人勢力が群雄割拠する、混沌とした乱世に帰することになった。


そして、2年前に伊達晴宗の嫡男・輝宗が伊達家の家督を継いだ今になっても、奥羽の各大名家の間には「天文の乱」に絡んだ怨恨のしこりが残っており、伊達輝宗が上杉家の周辺大名と同盟を結んで上杉家に対抗しようと目論むも、中々思い通りに事が運ばないという状況に陥っていた。


「であれば、もはや佐竹は当てにはならぬな。だが、上杉の次なる標的は、間違いなく我ら伊達家であろう。早ければ来年の雪解け後にも攻め込んでくるやも知れぬ。相馬と岩城には使者を送り、我らと戦う上杉の背後を攻めて脅かすように促すしかあるまい」


「それと、最上や天童ら最上八楯にも合力するように声を掛けてはいかがでございましょうか?」


「うむ、そうだな。小勢力とは言えども、上杉に調略されて背後から襲われては堪らぬからな。使者を送るが良い」


しかし、実はこの時既に、最上家や天童家を始めとする「最上八楯」の元には上杉家からの使者が訪ねており、所領安堵を条件に来年の伊達家との戦いで上杉家に味方することに同意していたのである。


そして、上杉家の調略はそれだけではなかった。



◇◇◇




陸奥国・小高城。


11月中旬、伊達家と同盟を結んでいた相馬家当主・相馬盛胤の元を、密かに上杉家の使者が訪ねていた。


「相馬殿、一別以来にございまする。上杉家への合力の件、お考えいただけましたでしょうか?」


「うぅぅむ。だが、伊達家と一度結んだ約定を違えるのは、武士としての誇りが許さぬのだ」


「ですが、その誇りのために御家が滅んでは、冥府で御先祖様に顔向けができませぬぞ?」


相馬家も鎌倉時代以来の名家である。相馬盛胤は武士としての誇りと、御家存続を天秤に測りかねて悩んでいたのである。


「では、相馬殿には伊達家と直接戦うのではなく、上杉家の背後を脅かそうとする岩城家を攻めていただくのはいかがでしょう? 相馬殿は岩城家とは領地の境界を巡って何度も争い、犬猿の仲と聞き及んでおりますが、この機に乗じて境界どころか、岩城家の領地深くに攻め入り、あわよくば岩城家を滅ぼされても一向に構いませぬぞ。それに、岩城家の当主は伊達殿の兄ですので、このままではいずれ南北から挟撃されるのを待つだけにございますぞ。岩城家を攻めるのならば、武士としての誇りもさほど汚さずに済むのではございませぬかな?」


「なっ、何と! ……だが、その話は一考に値する策ではあるな。済まぬが、もうしばらく考えさせてはもらえぬか?」


「承知いたしました。次回には色好い返事をいただけると期待しておりますぞ。まぁ、相馬殿が断られたならば、大館城の岩城殿に同じ話を持っていくだけにございまする。それと伊達家の領内で、相馬家が上杉家に寝返ったとの根も葉もない噂が流れるやもしれませぬな。ふふっ」


「ま、待て! それでは相馬家が滅ぼされかねないではないか!」


「ご安心召されよ。未だ岩城家には話をしておりませぬし、左様な噂も流れてはおりませぬ。全ては相馬殿のご返答次第にございまする」


「むむ、むぅ、もはや是非もなしか……。相馬家は上杉家に合力し、岩城を攻めることとしよう。関東管領殿に宜しくお伝えくだされ」


「ご英断、誠にかたじけなく存じまする」


上杉家の使者による飴と鞭の硬軟織り交ぜた交渉術により、相馬盛胤はもはや上杉家の調略に応じざるを得ない苦境に追い込まれ、ついに伊達家との同盟を反故にし、上杉家への寝返りを決断するに至った。


この上杉家による巧妙な調略は、伊達家との戦いに援軍を派遣することで合意している竹中半兵衛から、「事前の準備が戦の趨勢を決める」として手紙で輝虎に授けられた策謀であった。こうして、伊達家は上杉家との決戦を前にして、水面下で密かに包囲網を作られていったのである。

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