奥羽の動向② 中通り平定

「畠山修理大夫義国と申しまする」


「私は二階堂信濃守盛義にございまする」


「某は田村安芸守隆顕と申す」


「拙者は結城左京大夫晴綱にございまする」


「某は猪苗代弾正忠盛国と申しまする」


「私が関東管領、上杉越後守輝虎である。苦しうない。面を上げよ」


「「「ははっ」」」


黒川城の大広間にて、上杉家に降伏臣従した二本松畠山、二階堂、田村、結城、猪苗代の五家の当主が揃って平伏し、上座の上杉輝虎に臣下の礼を取っていた。


輝虎が既に事実上滅んだ室町幕府の役職である関東管領をわざわざ名乗ったのは、関東管領は元々は鎌倉府の鎌倉公方の補佐役であり、鎌倉公方の管轄範囲には関東だけでなく、陸奥、出羽も含まれていたこと、室町幕府が滅んだ今でも関東では鎌倉公方の後継である古河公方の足利義氏が未だ健在であること、そして、奥羽においては未だに室町幕府と古河公方の威光が強く残っている点を考慮した上での名乗りであった。


「此度の蘆名家討伐を以って会津は上杉家により平定された。私からの臣従の求めに応じてこの黒川城に馳せ参じた貴殿らは、今これより上杉家に従うということで相違ないのだな?」


「ははっ、二本松畠山家は上杉家に臣従いたしまする」


「二階堂家も上杉家に臣従いたしまする」


「田村家も上杉家に忠誠をお誓いいたしまする」


「結城家も上杉家に臣従いたしまする」


「猪苗代家も上杉家に忠誠を誓いまする」


五家の当主が揃って上杉家に臣従を誓い、これにより上杉家は中通りの大半を手中に収めたのである。


「うむ。ならば、使者から伝えたとおり貴殿らの所領は安堵を認めよう」


「「「ありがたき幸せにございまする」」」


「初めに貴殿らに伝えておく。今や日ノ本は、『近濃尾越六家同盟』を結ぶ我ら"六雄"によって平定されようとしておる。帝は一日も早く日ノ本を平定し、泰平の世にせよとの思し召しじゃ。だが、外つ国の南蛮人どもは、この日ノ本を奪おうと虎視眈々と狙っておる。もはや我らが奥羽で争っている場合ではないのだ。貴殿らもこれからは上杉家に従い、日ノ本平定のための尖兵として働くのじゃ。良いな!」


「「ははっ、かしこまりましてございまする」」」


「では、下野守、中通りの五家以外の小大名はどうなっておる?」


「はっ、石橋と石川とですが、未だ返答を寄こしておりませぬ。石橋は、当主の石橋尚義が重臣の大内義綱らに実権を奪われて、16年前から塩松城内に押し込められており、その大内ら重臣たちは意見が分かれて未だ答えを出せていないようにございまする。続いて石川ですが、当主の石川晴光は伊達家から親宗を嫡男として養子に迎えておりますれば、伊達を頼ろうとする親宗ら側近たちと、上杉家に降るべきとする石川家譜代の家臣との間で内紛が起きているようにございまする」


石橋家は足利一門の名家であったが、戦国時代には次第に没落し、史実では大内義綱ら重臣の下剋上により滅亡し、石橋尚義が最後の当主となっている。


一方、石川家の嫡男・石川親宗は伊達輝宗の四弟であり、伊達家は石川家を乗っ取る目的で、石川家は伊達家の後援を得る目的で養子に迎えたが、まだ17歳と若年のために家督を相続しておらず、家中ではむしろ上杉家に臣従すべしとする譜代の家臣の主張が圧倒的に優勢な状況であった。


「そうか。まずは石橋だが、当主を押し込めて実権を奪うとはまさしく"義"に反する行いであり、"義"を掲げる私としては断じて許す訳には参らぬ。大内義綱ら逆臣たちは降伏臣従など認めぬ。二本松修理大夫、猪苗代弾正忠!」


「「ははっ」」


「早速、両名に初仕事を命じよう。両名は石橋を攻め、大内義綱ら逆臣たちの一族郎党を根切りにせよ。石橋尚義を救い出せたならば、私の元に連れて参れ。良いな」


「「ははっ、承知いたしました」」


二本松義国と猪苗代盛国の2人は、まさか臣従早々に出陣を命じられるとは思ってもみなかったが、これは上杉輝虎が自分たちの上杉家への臣従の覚悟を確かめるための踏み絵だと察し、御家存続のためにも石橋家を成敗する覚悟を固めるのであった。


「次に石川だが、二階堂信濃守、田村安芸守、結城左京大夫!」


「「「ははっ」」」


「三名にも初仕事を命じる。三名は石川との領地の境に兵を集め、三芦城に使者を送れ。五家が上杉家に臣従したことを伝えて、最後通告をせよ。"日和見は許さぬ。次はない。根切りだ"、とな。譜代の家臣が石川親宗を殺すか、捕らえるかして降伏すれば良し。そうでなければ三家が合力して石川を討ち滅ぼすのだ。良いな」


「「「ははっ、承知いたしました」」」


二階堂盛義、田村隆顕、結城晴綱の3人は、二本松と猪苗代が出陣を命じられたのを見て、自分たちも出陣を命じられるのを覚悟していた。そして、上杉輝虎の覚えを良くするためにも、石川が降伏臣従するよりも石川を討ち滅ぼして功を挙げようと願っていた。


「それと下野守、伊達や相馬の様子はどうだ?」


輝虎は続けて、奥羽でも蘆名と並んで大きな勢力を誇る伊達家と、阿武隈山地の東の浜通りの北部に強い勢力を持つ相馬家の動向について訊ねる。


「はっ。伊達と伊達の縁戚の岩城は相馬と対上杉同盟を結んで、我らに徹底抗戦する構えにございますが、実際には中々上手くいっていない模様でございまする」


朝信は淡々と告げる。奥羽でなまじ強い勢力を誇る大名家はそのプライドから戦わずして降るのを良しとせず、これまで抗争していた周辺の大名とも一時休戦し、打倒上杉で協力しようと画策していたのである。


(ふふ、やはり未だに「天文の乱」のしこりが尾を引いているか。伊達も多くの家と血縁を結んではおるが、必ずしも一枚岩に纏まっている訳ではないようだな。我々にすれば、そこが付け入る隙であり、願ったり叶ったりではあるがな)


「ふん、一度崩れ去った奥羽の同盟など、恐るるに足らず。すぐに葬り去ってやろうぞ」


輝虎は鋭い眼光で笑みを溢すと、伊達家を始めとする抵抗する者たちの打倒を誓ったのであった。




◇◇◇





10月中旬、二本松義国と猪苗代盛国の2人は上杉輝虎の命令に従い、石橋家の塩松城を攻めると、大内義綱ら逆臣たちを根切りにした。2人は軟禁されていた当主の石橋尚義を救い出し、逆臣たちの首と共に黒川城の輝虎の元に連れていくと、石橋尚義は命を救ってくれた上杉家に涙を流して感謝し、喜んで忠誠を誓った。


さらに10月下旬、二階堂盛義、田村隆顕、結城晴綱の3人から最後通告を受けた石川家では、譜代の家臣たちが嫡男の石川親宗を殺害すると、当主の石川晴光に降伏臣従を迫った。晴光は遠方の伊達家から援護を受けることは難しく、降伏臣従の要求を受け入れなければ自分も家臣たちに殺されると察して、石川家は親宗の首を差し出すことにより、ついに上杉家に降伏したのである。


こうして上杉家は陸奥国の中通り30万石を制圧し、190万石の領地を有することとなった。

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