奥羽の動向① 会津平定

陸奥国の会津・蘆名領に侵攻していた上杉・浅井連合軍であったが、蘆名家の家臣は当主の蘆名盛興と実質的当主であった蘆名止々斎を「津川の戦い」で失ってもなお、領内の各城に立て籠もり、しぶとく抵抗を続けていた。


だが、「津川の戦い」で勝利したことで士気をさらに高めた上杉・浅井連合軍は、圧倒的に優勢な兵数を活かして蘆名家の残党を次々と根切りにしていった。


そして9月下旬、上杉・浅井連合軍は「蘆名の執権」と呼ばれた金上盛備の立て籠もる難攻不落の名城・黒川城を攻略し、ついに会津・蘆名領27万石を制圧したのである。




◇◇◇




陸奥国・黒川城。


蘆名家代々の居城であった黒川城は、史実の豊臣政権下で蒲生氏郷が七層の天守閣を建造して「若松城」に改名され、幕末の戊辰戦争の白虎隊の悲劇でも有名な名城である。


10月5日、上杉輝虎はその黒川城の本丸に諸将を集めた。大広間には斎藤朝信、柿崎景家、直江景綱、小島弥太郎ら上杉家の重臣と、浅井家の援軍の大将として派遣されていた赤尾清綱と海北綱親に加え、「津川の戦い」で蘆名盛興を討ち取った勲功を称えられ、「畠山七人衆」の三宅綱賢も末席に名を連ねていた。


赤尾清綱と海北綱親は、1年近くの援軍遠征で共に轡を並べた三宅綱賢の器量は、一国の大名としても遜色ないほど非常に聡明な人物であるが、力を蓄えて浅井家に反旗を翻す恐れがあるかと問われれば、否と断言できるほど信用の置ける人材であると評価していた。綱賢ならば未だ十分に掌握できていない能登国の代官を任せるには適任だと考えており、実際、この援軍派遣を終えた後、綱賢は浅井長政から能登国代官を命じられ、その内政手腕を発揮していくことになる。


一方、他の「畠山七人衆」の面々は三宅綱賢に功を攫われたことに歯噛みしていたが、綱賢の明らかな戦果に武人として異を唱える訳には行かない。綱賢は「弘治の内乱」で時勢を見て寝返った経緯もあり、これまでは一歩引いた行動を取って軽視されがちであった。だが、蘆名盛興を討ち取ったことにより、綱賢と他の「畠山七人衆」との力関係は一気に逆転し、誉れ高き「浅井三将」の2人が援軍を率いていたこともあり、今や三宅綱賢が能登衆の筆頭であることに有無を言わせない空気が作られ、認めざるを得ない状況となったのである。


「赤尾美作守殿、海北善右衛門殿。此度は浅井家の援軍のお陰で無事、会津を平定することができた。1年もの長きに渡り合力いただき、この上杉越後守輝虎、心より御礼申し上げる」


「「「誠にありがとうございまする」」」


上杉輝虎が礼を述べると、上杉家の重臣たちも揃って頭を下げる。


「上杉越後守様、それと皆様方。我らは1年も共に戦った戦友ではございませぬか。左様な水臭い礼など、ご無用に願いまするぞ」


「左様でござる。そもそも此度の援軍は、先に上杉越後守様から東越中を譲渡していただいた御礼奉公にございまする。無事に我が主君、浅井加賀守から任された御役目を果たすことができ、我らも肩の荷が下りたところにございまする。はっはは」


赤尾清綱と海北綱親は、既に親しい間柄となっていた上杉家主従からの感謝の言葉に面食らいながらも、謙遜して返事をする。


「うむ、左様であるか。貴殿ら浅井の兵たちも一日も早く帰国したいところであろうが、今日は会津平定の沙汰を下す故、誠に済まぬが、立ち会って見届けてもらいたい」


「「ははっ、承知いたしました」」


「うむ。では、下野守。使者を送った奥羽の周辺の大名たちの反応はどうなっておる?」


輝虎は腹心の斎藤朝信に対して威厳に溢れた口調で訊ねた。会津を制圧した今もなお、ほとんど数を減らさずに大軍を率いている上杉・浅井連合軍の武威を背景にして、上杉家は周辺の小大名に対して降伏臣従を促す使者を送っていたのである。


「はっ。周辺の大名に降伏勧告の使者を送りましたところ、東に隣接する中通りの小勢力の大名のほとんどは上杉家に恐れをなして臣従する姿勢を示し、本日この黒川城に馳せ参じておりまする」


降伏勧告と言えば聞こえはいいが、実際には「降伏臣従を受け入れぬのなら、すぐに攻め滅ぼしてくれるわ」という脅迫である。その使者の役目を担ったのは強面の上杉家の重臣たちであった。


「そうか。今日ここへ参ったのはどこの大名だ?」


輝虎が問うと、間髪入れずに斎藤朝信は答える。


「二本松、二階堂、田村、結城、それと蘆名の支流の猪苗代も臣従を誓うとのことにございまする。以上の五家の当主は、既に別室にて控えておりまする」


元は名門・畠山氏の嫡流ながら蘆名と田村の抗争に巻き込まれて所領を安達半郡と安積半郡に減らしていた二本松畠山家、蘆名に圧迫されて永く劣勢に立たされていた岩瀬郡の二階堂家、独立性の強い土豪の抵抗に悩まされて家中の掌握に苦しんでいた田村郡の田村家、佐竹の北進により徐々に領地を削られていた白河郡の結城家、そして蘆名氏の支流でありながら反逆と従属を何度も繰り返していた耶麻郡の猪苗代家など、各々の事情で勢力を保つのに必死であった小大名は、破竹の勢いで版図を広げる上杉家の脅威に恐れ慄き、上杉家の傘下に入ることで御家存続を図るべく、次々と膝を折ったのである。


(ほう、予想以上だな。奥羽は小大名が乱立している。烏合の衆が幾ら束になったところで我らに敵うはずがないと悟ったか)


「そうか、五家は賢明な判断だな。他の小大名はどうだ?」


「はっ、蘆名領と領地を接していない石川と石橋は、未だ態度を明らかにしてはおりませぬ。両家にはいろいろと事情があり、家中で揉めているようでございまする」


そう言うと、朝信は石川家と石橋家の抱える事情を輝虎に詳しく説明する。


旧蘆名領と領地を接していない石川家や石橋家であったが、上杉家の脅威に対する危機感が薄い訳ではなかった。しかし、各々の家が抱える事情と、何とかして独立を確保したいという往生際の悪さから、潔く上杉に降伏するか、伊達や相馬など他家を頼って徹底抗戦するかで、家中が二分していたのである。だが、それも二本松畠山家を始めとする五家の降伏臣従により、領地を接するどころか半ば囲まれる形となり、もはや近日中に決断せざるを得なくなったのは、誰の目にも明らかであった。


(むしろ石川や石橋の対応が普通なのかもしれぬが、今回は甘い顔は見せられぬな)


輝虎は臣従を決断した五家の対応について内心で首肯する一方で、未だ態度が不鮮明な二家に対しては、断固とした厳しい態度で臨む覚悟であった。


「なるほど。下野守、後でもう一度、今の話をしてもらうが、良いな?」


「承知いたしました」


輝虎がそう告げると、朝信はその意図を察して、ニヤリと笑って返事をするのだった。

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