新たな官位

河内国・飯盛山城。


8月中旬、飯盛山城で南摂津と北河内平定の後始末に忙殺されていた俺の所に、朝廷からの使者が訪ねてきた。例のごとく山科言継だ。


「伊賀守殿、久しぶりでおじゃるのう」


「そう言われれば伊勢の大河内城で会って以来、2年ぶりになるか。早いものだな。内蔵頭殿もご壮健のようだな」


「誠にかたじけないでおじゃる。まずは見事に公方殺しの逆賊・三好を討ち倒した此度の戦勝は、ほんに目出度いことでおじゃるのう。帝も殊の外お喜びでおじゃりまするぞ」


「丁寧な祝いの言葉をいただき、誠にかたじけない。それで、今日はまた何用で参られたのかな? また献金の要請ですかな?」


俺は表情を一切崩さず先制攻撃を仕掛ける。言継の来訪の理由は大抵が献金の要請か酒の催促だから甘い顔は見せられない。


「ホホホッー、伊賀守殿は相変わらずでおじゃるのう。……実はの、此度の戦勝により、貴殿らの六家同盟による日ノ本の平定はほぼ確実であろうと、帝は期待されておじゃる。そこで、"六雄"と呼ばれる貴殿らに新たに官位を叙任せよとの思し召しがあっての。無論、献金は不要じゃ。既に他の五人には正五位上の位階と”上国“の国司の官職を叙任することで話が決まっておる」


なるほど。ここで献金を強請って官位を叙任するのではなく、あえてタダで官位を授けて恩を売ることで、朝廷もこれからの"六雄"との関係を緊密なものにしたいという魂胆か。


「ほう。それで、最後に私の所に来たという訳か?」


「左様でおじゃる。そこで貴殿の官職なのじゃが、伊賀守は“下国”の国司でおじゃる故、"六雄"の筆頭格に相応しい“大国”の国司である大和守を叙任しようと思うのじゃが、いかがでおじゃるかな?」


確かに俺の領地で“大国”は伊勢と大和だが、伊勢守は嵯治郎の官職だ。残るは大和守ということか。だが、俺は初めて国主となった「伊賀守」が気に入っているのだ。


「内蔵頭殿。私はたとえ“下国”であろうと、伊賀守という官職に愛着を持っておりますれば、手放したくはない。故に、大和守の叙任は謹んで辞退させていただきたいと思う」


「なるほど。しかし、朝廷としても"六雄"の筆頭格で三好を討ち倒した伊賀守殿に何も叙任しない訳には参らぬのでおじゃる。そこは麿の立場も理解していただきたいでおじゃるのう」


「確かにそうですな。ではいかがする? 官職以外で何か他に授けてくださるのならば、ありがたく頂戴するぞ」


「では、代わりに貴殿の位階を上げるとしよう。伊賀守殿は正五位上でおじゃるが、従四位上に昇叙しようと思うが、いかがでおじゃるかな?」


俺だけが他の5人よりも上の位階になって序列ができるのは避けたいのだが、いや、むしろ始めからそれが奴の狙いか? だが、他に手がないか。


「ふむ、従四位上か。他の5人より俺だけ位階が高いのは甚だ不本意ではあるが、内蔵頭殿の立場を考えるとやむを得ないか。仕方あるまい。お受けするとしよう」


「うむ、受けてくれて麿も助かるでおじゃる。……しかし、困ったのう」


言継は肩を落としながら告げる。態とらしい芝居だな。何か裏がありそうだな。


「ん? 何が困ったのだ? 位階を上げれば解決したのではないか?」


「いや、“下国”の国司である伊賀守は本来、従六位下相当の官職でおじゃる。これまでの正五位上でも7つ上の位階で異例ではおじゃったが、9つも上の従四位上となると、前例にないことにおじゃる。伊賀守殿は近い将来に昇殿して帝に謁見する機会もおじゃろう。その際に官職が伊賀守のままでは宮中での対面的にも宜しくなく、公家たちに失笑を受けかねないでおじゃる。……では、伊賀守とは別に殿上人に相応しい官職を兼務してはいかがでおじゃるかな?」


「なるほど、伊賀守を持ったまま兼務できるのならば、それが最も妥当な策だな」


「うむ。では、伊賀守殿には左馬頭を兼務する形で叙任するとしようぞ」


「左馬頭」というのは律令制での「左馬寮」の長官を意味する役職だ。「左馬寮」とは全国の牧場から献上された朝廷保有の馬を馬寮直轄の厩舎や畿内・周辺諸国に命じて飼育や調教する役所で、軍事や儀式において馬が必要な時に供給するのが任務なのだそうだ。「左馬寮」の役人は武官扱いで帯剣を許され、検非違使を補佐して京の治安維持を担うこともあるので、平安時代の昔から武士には人気の官職だったそうだ。


だが、「左馬頭」はただそれだけを意味する官職ではない。室町時代になると「左馬頭」は、初代将軍の足利尊氏の弟の直義が「左馬頭」になったのを吉例として、副将軍的な将軍の後見役あるいは次期将軍が就任する名誉職として見なされるようになり、歴代将軍のほとんどが「征夷大将軍」に任官される前に「左馬頭」に就いているのだ。史実では「永禄の変」の後、後継者として名乗りを上げた弟の足利義昭(第15代将軍)と従兄弟の足利義栄(第14代将軍)が共に「左馬頭」に任じられたこともあったくらいだ。


この世界では既に二人とも死んでおり、室町幕府は事実上滅んでいるので、朝廷は俺を「左馬頭」に任じても問題ないという判断らしい。そして、朝廷は"六雄"の筆頭格の俺を次期将軍というか、次期"天下人"と見做して期待しているということを、未だ"六雄"に敵対する勢力に知らしめることにより、臣従を促して日本の平定を少しでも早めたいのだろう。俺は山科言継の甘い罠にまんまと嵌められたのだった。


「なっ、左馬頭とは真か?! さすがに左馬頭はやりすぎではないか? 第一、京に住まない俺が左馬頭に就いては、お役目が果たせず拙いであろう?」


「いえ、左馬頭は今では武士が出世するための名誉職となっておりまする。実際のお役目は佐(すけ)より下の者が行うでおじゃる故、懸念は無用におじゃりまするぞ」


俺は暗に「左馬頭」の叙任辞退の意思を匂わせるが、軽くあしらわれてしまい、「左馬頭」を受けざるを得なくなったのだ。


目的を達成してホクホク顔の山科言継の帰り際に、俺は御土産の焼酎を人質に取って詰問することにした。


「内蔵頭殿。御土産に焼酎を差し上げる代わりに一つ訊ねるが、もし私が大和守を受けていたら、左馬頭叙任の話はなかったのか?」


「いいえ。ここだけの話でおじゃるが、"六雄"の筆頭格の伊賀守殿にはどうあっても左馬頭を叙任するつもりでおじゃった。これは朝廷の意思でおじゃる」


山科言継は抜け抜けと白状しやがった。要するに「大和守」の話は受けようが、断ろうがどうでも良かったのだ。さすがは当代一流の営業マンだ。俺が「大和守」を断るのも予想した上で、本命の「左馬頭」を受けざるを得ないように仕向けてきたという訳か。今回はさすがに俺の完敗だな。


こうして、9月上旬に正式に叙任された今の俺の官位は「従四位上・左馬頭・伊賀守」となった訳だが、「寺倉左馬頭・伊賀守」は長ったらしいし、堅苦しい感じがするので、俺個人としては今まで通り愛着のある「伊賀守」と名乗りたいのだが、俺のことを「正吉郎様」とは呼ばない家臣たちからは、「左馬頭」の唐名が「典厩」なので「典厩様」と呼ばれ始めるようになり、最近の俺は落ち着かない日々が続くようになったのであった。

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