津守の村の邂逅

摂津国・津守村。


「おぅーい! てぇーへんだぁ! 忠助よぅ!」


津守の村の外れにある大坂湾を望める小高い場所で、少し甲高い男の声が真夏の昼過ぎの熱気を吹き飛ばすように響いた。


「そんなに慌てて、寛次郎、一体どうしたんだ?」


忠助と呼ばれた男は「またか」と苦笑しながらも、至って冷静な口ぶりで応える。忠助の幼馴染である寛次郎の慌てようは今に始まったことではなく、幼い頃から数え切れないくらい何度も目にしてきた行動であり、20代の大人になった今でも普段から何かと新しい情報があれば、すぐに周りに知らせたくなる性分らしく、なぜか真っ先に忠助の元にやって来る男なのである。


「はぁはぁ、どうしたもこうしたもねぇぜ! 大変な一大事だぜ!」


寛次郎にしては珍しく勿体ぶった言い方をしていることに訝しみながらも、忠助は軽口を言い放つ。


「どうせお前のことだ。三好が敗れたことなど、皆も疾うの昔に知っているぞ」


そう、寛次郎は誰もが知り得る情報でも大仰に吹聴して回ることで、村中の人間をうんざりさせるのが常であった。だから忠助はいつも通りに返事をしたに過ぎなかった。


「それは昨日の話だろう! いくら俺でも同じことは二度は言わんぞ!」


(いやいや、同じ話を触れ回るのだって、これまでにも何度もあったじゃないか)


忠助は呆れ顔で溜息を吐きながら、胡散臭そうな目つきで寛次郎に問い返す。


「それじゃあ、一体、何だってんだ? 勿体ぶらずにさっさと話せよ。こっちは暇じゃないんだ」


「それがな、聞いて驚くなよ! 何と、寺倉の大軍がこの津守に向かっている、っていう話を小耳に挟んだんだよ」


「ほおぅ、寺倉の大軍がねぇ」


忠助は渋々といった感じで適当に相槌を打つ。確かに寛次郎にしては珍しく忠助が知らない情報ではあったが、寛次郎の性格を嫌と言うほど知り抜いている忠助はすぐさま聞き返す。


「じゃあ、お前の言うことが本当だとして一体全体、何で寺倉の大軍がこんな何もない津守に来るんだ?」


「さぁ? それは俺にも分からんが、……海があるからじゃないか?」


寛次郎の言葉に忠助は溜息を吐いた。信憑性のない情報にいつまでも付き合っていられるほど、忠助は暇ではない。宵樂屋しょうらくや忠助は食料や日用雑貨など庶民相手の品々を堺で仕入れて、南摂津の村々を回って売り歩く行商人をしているのだ。


一方、寛次郎はと言えば、津守村では村中の誰もが知っている有名人である。こうして忠助と二人で無駄話をしている光景も、もはや日常の風景である。故に村人のほとんどは二人の会話に関心を向けることもない。なぜなら寛次郎は地声が無駄にでかく、聞き耳を立てなくても嫌でも聞こえてしまうからであった。


そんな無駄話に興じる二人であったが、忠助が周りを見渡せば、昼過ぎの暑さで緩んだ空気も既に何処かに消えて、いつの間にか人通りも増えており、そろそろ無駄話を止めて真面目に商売をしなくては今夜の飯の食い上げである。忠助は再び溜息を吐いて、ふと遠目で寛次郎の肩越しに大坂湾に目が行くと、自分の目を疑うような光景が映っていた。


「な、何だ、あれは?!」


「おい、忠助。話を逸らすなよ! いいか、俺は真面目にだな……」


「いや、寛次郎、いいから黙って後ろを見てみろって」


「え? 一体何だって言うん……」


忠助に言われるままに、忠助が指を指す方に振り返って目を向けると、寛次郎は顎が外れんばかりに呆けた顔で固まる。


寛次郎の目に飛び込んできたのは、普通の小船が何十隻と入るくらい巨大な南蛮船であった。それも2隻である。まだ津守の海岸からはかなり離れた沖合にいるというのに、その姿をはっきりと視認できるくらい、南蛮船の巨大さは明らかであった。


「まさか、南蛮船が攻め寄せてきたのか?!」


「そんな訳がないだろ!」


すぐに寛次郎にそう言い返す忠助だが、少しずつ海岸に近づいてくる南蛮船の様子が、堺で見たことのある南蛮船のそれとは何か違う違和感を感じて、首を傾げる。


「いや、あれは確かに南蛮船だが、南蛮船にしては何かおかしい気がする」


「何か? 何かって、何だよ?」


そして、忠助はようやく南蛮船に大きくはためく帆の家紋が目に入る。


「て、寺倉だ! あの家紋は寺倉に間違いない! 寛次郎、お前の言ったとおりだな!」


普段の落ち付きを失った忠助の興奮した声に、寛次郎は目を見開いて良く見ると、確かに"二つ剣銀杏紋"が目に映った。


「まさか、本当に寺倉なのか?」


寛次郎は目の前の光景が信じられずに困惑していた。


「お前が先ほど一大事だって伝えてきた話のままじゃないか。だが、寛次郎、お前こそ、こんな所で油を売ってていいのか? 親父さんに知らせなくていいのか?」


そう、この寛次郎という男は口が軽く、未だ子供っぽいところを残しながらも、この津守村一帯をまとめ上げる土豪の津守勘十郎の嫡男であったのだ。だが、その津守勘十郎は重い病で床に伏しており、いつ死んでもおかしくない状態だということも、この津守では知らない者がいないほどの周知の事実であった。


「もう親父は寝た切りで、真面に口も利けないから、知らせても仕方がない。それよりも、まさかこんな所に停泊しようというのか? ここは湊ではないぞ!」


「津守の海岸のことはお前の方が良く知っているはずだろう? この辺りじゃ、ここの海岸だけは他とは違って水深が深い。あれだけ大きな船だ。停泊する場所が他にないんだろう。寛次郎、親父さんが無理なら、お前が親父さんの代わりに応対するしかないぞ。ほら、早う行け!」


「お、おぅ。そうだな、俺が行くしかないな。じゃあ、行ってくるわ」


寛次郎は忠助に促されるままに駆け足で海岸へと向かった。海岸にやって来ると、既に2隻の南蛮船は少し沖に停泊しており、そこから大勢の武士が小さな渡し船でこの津守の浜へと上陸している最中だった。


そして、寛次郎が遠巻きに見守る人だかりを押し分けて良く見ると、浜辺の何百人という武士の集団の中に、自分と同じくらいの歳で一際目立つ武士の姿を認めた。傾奇者のような特別目立つ服装という訳ではない。だが、寛次郎から見て、他の武士とは明らかに異質な存在感を放っているのが感じ取れたのである。


すぐに、寛次郎は確信する。


あの男こそ、次の"天下人"だと噂に名高い、あの寺倉家の当主、“寺倉蹊政”であると。

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