暁凛丸の処女航海
夏の中天の太陽から燦々と日差しが降り注ぐ大海原を、海耀丸と暁凜丸の2隻の南蛮船が帆を風で膨らませながら競うように並走し、紀伊水道を北上する。うむ、日差しは強いが、吹き抜ける海風が気持ち良くて、最高のクルージング日和といったところだな。
「伊賀守様。それにしましても、この南蛮船の船足は恐ろしく速いですな」
「父上、恐ろしいのは"武力"もでございまする。誠に恥ずかしながら、私は最初に艦砲射撃を間近に見た時には思わず腰を抜かし掛けてしまい申した」
そう言うのは堀内氏虎と有馬氏善の父子だ。氏虎は強面の表情を変えずに淡々と話をする辺りは、俺の為すことに少し慣れてきたという証拠なのだろうか。氏善は若干引きつった顔で寺倉の“武力”に慄いているようだ。これからはお前たちがこれを天下に示し、寺倉を更に盛り立てていくんだ。
昨日、二人が寺倉家に降伏臣従を表明した後、俺は二人と一緒に新宮湊に上陸し、熊野水軍の男たちを前にして、今後は堀内氏虎を始めとする熊野水軍は寺倉家の配下に入り、志摩水軍の傘下で一つの"海軍"として一致団結し、日ノ本の平定に尽力してもらうことを命じ、牟婁郡はこれまで通り堀内氏虎が代官として統治する旨を伝えた。
牟婁郡は温暖な南紀地方であり、氏虎には似た気候の志摩国で行っている俵物の生産や果樹の栽培、養蜂など、真珠と牡蠣の養殖以外の内政施策を伝授して、領民の生活を少しでも豊かにするつもりだ。
一方、氏虎の家臣たちは主君の命が救われたことに大喜びし、皆は俺の前に平伏して口々に寺倉家への忠誠を誓ってくれた。よっぽど嬉しかったのだろう。中には感極まって喚くものまでいた。
そしてその夜は、熊野水軍と志摩水軍の歴史的な和解の意味も込めた大宴会が催された。小浜真宗と堀内氏虎の関係が懸念されたが、結局のところ蟠りはすぐに解消されることになる。さすがは海の男たちだというべきか、俺が持参した酒精の強い焼酎を、まるで水でも飲むかのようにグビグビと飲んでは次々と酔い潰れていた。俺は酒をあまり嗜まないので、酔いつぶれる男たちを半ば冷めた目で見つめていた。
そして、明くる朝、俺は南蛮船2隻以外の志摩水軍の船団を志摩に帰還させると、俺は氏虎、氏善と一緒に2番艦の暁凜丸に、熊野水軍の重臣たちを1番艦の海耀丸に同乗させ、今は暁凜丸の処女航海で南摂津へと向かう船上にいるのだった。
「この南蛮船は寺倉家の権威の象徴でもある。南蛮船の威容を大坂の海上から領民たちに見せつけることによって、新たな為政者となった寺倉家の統治に心から服従させ、南摂津をより円滑に掌握するのが今回の航海の最大の目的だ」
俺は摂津の方角の水平線を見据え、堂々と告げた。
実際に新宮湊に停泊した昨日でも、領民たちは南蛮船に驚愕を露わにしていた。中には恐ろしさに腰を抜かし、神様へのように拝んでいる者さえいたほどだ。まぁ、艦砲射撃を目の当たりにしているから、当然と言えば当然で仕方ないのかもしれないが。
一方、南摂津の上町台地の北端には石山本願寺が存在し、今回の船団の航海は石山本願寺の僧侶や一向門徒に対する示威行動の意味も多少はあるが、それは副次的なものであり、今回の主たる目的ではない。
「こんな巨大な船を見れば、誰もが腰を抜かすことでしょうな。津守の住人たちもこの南蛮船を見れば、すぐに正吉郎様の御下知に従うに違いありませぬ」
俺の横で、明智光秀が南蛮船の威光を肌で感じつつ、自信満々といった表情でそう告げる。"津守"というのは、今回のこの船の目的地である。
俺は将来的に石山本願寺を降した後、史実と同じく跡地に大坂城を築く構想を描いており、その場合には大坂に湊の整備が必要だと考えた。10kmほど南には堺という日ノ本最大の商人の町があるが、現状では畠山が治める和泉国の町であり、さらに厄介なことに堺は自治都市である。
大坂城の城下町とするには堺は些か離れ過ぎて不便であり、城下町の発展もその分遅れてしまいかねない。それに堺は既得権益を守ろうとする特権商人の力が強く、まさか堺を攻撃されるとは思っていないはずだから、その分態度も横柄で強気だ。史実の織田信長にさえも抵抗したように、寺倉家の支配を受け入れる余地があるとは到底思えない。
そこで、俺は大坂城の近くに新しい湊を造ることを考えついたのである。津守は石山本願寺の南西の木津川河口に位置し、海は大型の船舶も余裕で停泊できるくらいの水深もある。寺倉家の本拠である統麟城の松原湊から、蒲生家の大津湊と京の都を経て淀川を下り、津守湊まで至る水運の交易路を作れば、寺倉家の更なる発展を促すことができるようになるに違いない。
それと、史実の二度に渡る「木津川口の戦い」が起こった場所のすぐ近くだから、石山本願寺を兵糧攻めにする際にも有用な湊となるはずだ。
そのためには、まず津守の住人たちに湊の建設について賛同させなければならない。それもできれば快く穏便にだ。そのために俺は南蛮船2隻を率いて津守へ向かうことにしたのだ。
南蛮船によって寺倉家の権威を示すことができれば、すぐにでも首を縦に振るだろう。別に新宮のように艦砲射撃で脅すつもりはない。なぜならば津守の住人にも十分なほどの利はあるのだ。
今の津守はただの海辺の村にすぎないが、湊の建設は数年掛かりの大規模な公共工事となる。畿内周辺から大勢の人夫が集まり、その人夫目当ての商売も繁盛するだろう。それに商業で成り上がり、今では天下を統べつつある寺倉家がバックに控える湊なのだ。損をさせるはずがない。
俺はむしろ津守は堺を凌駕するほどのポテンシャルをも秘めていると言っても過言ではないと考えているのだ。それを津守の住人に丁寧に伝えて理解してもらい、湊の建設に賛同して協力してもらいたいと考えている。
そして、それから2時間ほどした未の刻(午後2時)頃、ようやく津守の沖合に到着した俺は、暁凜丸の甲板から遠くに見える津守の海辺を静かに見据えていたのである。
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