決断
新宮湊から一艘の小早が海に出て来た。甲板には白旗を掲げた中年の男が立っている。あれが堀内氏虎だろうか。
俺は艦砲射撃を止めさせると、その男の到着を静かに待った。やがて数人の男が小早から南蛮船に乗り移ると、俺の前に平伏し、最前列の男が口を開いた。
「拙者は堀内安房守氏虎と申す」
「私は寺倉伊賀守だ。貴殿の申し分をうかがうとしよう」
「はっ、我ら熊野水軍は寺倉家に降伏いたしまする」
「堀内安房守殿、ご英断誠にかたじけなく存じる。私はな、2年前に降伏勧告を断られた時に思ったのだ。未だ寺倉家は熊野水軍が降ろうと決意するほどの"武力"を持っていないのだとな。故に、此度は南蛮船を2隻率いて来たのだ。どうだ、寺倉家の"武力"は熊野水軍が降るに値するか?」
この乱世に泰平をもたらすためには、武力を示すことのみが有効なのだ。南蛮船というこれ以上ない“武力”の証明を、2年越しに果たすことができた。
「ははっ、臣従を断ってから後は、いつか陸から攻めてくると思うており申したが、まさか海から南蛮船で攻められるとは、思いも寄りませんでした。南蛮船からの砲撃を目の当たりにして、もはや我らでは太刀打ちできぬと悟りましてございまする。つきましては拙者の命を以って、家臣たちの命をお助けいただきたく、何卒お願いいたしまする」
その言葉に悲痛な様子は微塵もない。氏虎は覚悟を決めた顔で俺に告げたが、否定するように俺は首を振る。
「貴殿は何か勘違いしておるようだな。私は2年前に熊野水軍に降伏し、臣従せよと伝えたはず。それは今も変わってはおらぬ。熊野水軍の男たちも、そして大将である貴殿も死なせるつもりなどないぞ」
「えっ? ですが、拙者は伊賀守様の臣従要求を拒否し申した。この期に及んで己が身を生き永らえようとは思っておりませぬ」
再三に渡る臣従の要求を拒否した氏虎は、ここで果てることを受け入れ、生きる道など考えてはいなかった。故に氏虎は信じられないものを見たように目を見開いている。
「いや、私はそれよりも今、貴殿が身一つで降伏して来たことを天晴と思うておるのだ。もし海賊の意地とやらを押し通して打って出て来れば、少なくない熊野水軍の男たちを死なせ、力ずくで服従させねばならなかったところだったのだ。だが、貴殿の英断により、無駄な人死を防ぐことができただけでなく、貴重な海の戦力を得ることができた。この寺倉伊賀守、心より礼を申すぞ」
「い、いえ、それよりも家臣らの命を救っていただけたこと、かたじけなく存じまする」
「礼には及ばぬ。志摩水軍もそうだが、海賊衆は家族のように団結心が極めて強い。貴殿が死ねば貴殿の家臣らの大半はおそらく後を追うであろう? 故に、なおさら貴殿を死なせる訳には行かぬのだ。後ろの海を見てみよ。家臣たちの船が後を追って来ておるぞ」
海を生業とする熊野水軍の屈強な男たちは、何としても一兵も損なうことなく戦力として組み込みたいのだ。ここで氏虎を死なせてしまえば、戦をすることなく臣従させた意味が無くなってしまう。そして俺は目線で氏虎に背後から追ってくる船を示した。
「あ奴ら……!」
振り返って後ろの海を見た氏虎は、鼻を啜って目尻に涙を浮かべる。海賊という男たちは荒くれ者でむさ苦しい上に口が悪かったが、その心根は純粋なのが十分に伝わって来た。氏虎がどれだけ愛された主君なのかも容易に汲み取れた。本来ならば叩き斬られても不思議ではない直談判であったが、俺は"忠誠心"が家臣として最も重要な要素だと考えている。その意味で堀内氏虎は豪胆で実直な人間で信用に値する男だ。
「私は貴殿の気持ちを少しは理解しておるつもりだ。家臣の命を救うべく自らの命を投げ出した貴殿の決意は賞賛に値する。それにな。確かに小浜将監に貴殿の調略を命じたが、初めからすんなり受け入れるとは思ってはおらなんだ」
俺は確かに小浜真宗に調略を命じたが、正直言えば臣従したら儲け物程度に考えていた。真宗と氏虎の間には縄張り争いなど、過去から少なからず因縁と呼べるものが存在していたのだから、断られて当然である。
「ですが、拙者のけじめに掛けても、許しを得るわけには参りませぬ」
氏虎はなおも食い下がる。この男は実直な頑固者で、物事の筋を通さずにはいられないタイプの男なのだろう。俺にとっては余計に好印象だ。
「貴殿が死ねば堀内の御家は断絶し、貴殿の家臣たちが後を追うか、路頭に迷うことになっても、か?」
俺は真剣な表情で氏虎の目を見据える。俺としてはそんなつもりはないが、こうでも言わないと梃子でも動かない。そう感じたが故の“脅し”である。
「ぐっ、それは……」
「貴殿には今までどおり熊野別当として牟婁郡を治めてもらいたいと思うておる。そのうえで、これからは志摩水軍の一員として、共に戦ってもらいたい。それにな、海の男としてこの南蛮船を操って海を駆けてみたいとは思わぬか?」
俺は口角を上げて氏虎に言い放つ。
「えっ?!」
「今はこの2隻だけだが、後1年もすればもう1隻完成する予定だ。その船を熊野水軍に任せようかとも考えておる。どうだ? 南蛮船を操ってみたくはないか?」
海の男たる氏虎なら、この言葉は魅力的だろう。氏虎を見やると、その腕は微かに震えていた。
「……そこまで仰られれば断る訳には参りませぬな。正直、南蛮船を自分の手で操ってみたいという願望を抑えることができませぬ。この堀内安房守、寺倉伊賀守様に臣従させていただきたく存じまする。つきましては、後ろにいる拙者の次男の有馬氏善を人質として伊賀守様にお仕えさせていただきたく存じまする。嫡男の氏高は病弱です故、将来はこの氏善が拙者の後を継ぐことになるかと存じまする。何卒宜しくお願いいたしまする」
有馬氏善、史実の堀内氏善か。将来は小浜景隆と共に、海軍の主力になってくれそうだな。
「うむ、良いだろう。有馬氏善は私の直臣として召し抱えよう」
「ははっ、誠にかたじけなく存じまする。新次郎、挨拶せい」
「有馬新次郎氏善にございまする。寺倉家に誠心誠意お仕えいたします故、宜しくお願いいたしまする」
「うむ。これからの働きに期待しておるぞ」
「ははっ」
こうして、堀内氏虎はついに俺に臣下の礼を取り、寺倉家は無血で牟婁郡9万石の接収が成ったのである。
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