日ノ本最強の水軍

8月上旬、南摂津と北河内を制圧した俺は、南摂津と北河内を掌握するべく、新たに南摂津の代官に和田惟政を、北河内の代官に武田義信を任命した。惟政は史実でも「摂津三守護」の一人として摂津を統治しているから、何とか上手く治めるだろう。


義信は仕官早々ではあるが、今回の「山崎の戦い」で敵将3人の首を獲る戦功を挙げた恩賞の意味もあり、代官に任命した。元は武田家の嫡男だから信玄から内政については学んでいるだろう。真田兄弟の若い加津野信昌と真田信春の2人を与力として付けたので、今度は寺倉流の内政の経験を積んでほしい。


その後、俺は畠山と本願寺に対する抑止力として5千の兵を残して、残りの将兵を地元に撤退させると、明智光秀ら一部の重臣を連れて志摩国に向かうことにした。


今回、志摩に向かう目的は4つある。まず1つは、志摩国主の城館として築かせていた「鳥羽城」が完成したので、その視察である。


次に2つ目は、志摩水軍の棟梁の小浜真宗に命じて建造させていた南蛮船の2番艦が完成したので、そのお披露目と処女航海を行うためだ。


そして3つ目は、2年前に小浜真宗を派遣して降伏勧告をしながら、寺倉家への従属を拒否した熊野水軍の堀内家の打倒であるが、俺はできれば堀内氏虎を臣従させたいと考えている。そこで水軍相手に武威を示すのなら、やはり水軍の戦力を持って示すのが最も効果的だと考えたのだ。


この時代は"城"が民衆に対して最も分かりやすい権威の象徴であり、それは信長が築いた安土城を考えれば分かるだろう。だが、それ以外にも権威を見せつける方法は幾つも存在する。その一つが巨大な"南蛮船"だ。特に海賊相手ならば、"城"よりもむしろ"南蛮船"の方が効果は大きいだろう。


1番艦は博多の南蛮商人から買い取った中古船だったが、1年半の長い月日を掛けてコピーではあるが、ようやく日本人の手による初の南蛮船を建造できたのだ。


だが、かつて志摩十三地頭によって追放された九鬼家は元は熊野水軍の出自であり、増長する九鬼を追放したことに対して、堀内氏虎は少なからず恨みを抱いているのは間違いない。


そんな熊野水軍に"南蛮船"を見せて志摩水軍の、つまりは寺倉家の権威を示したところで、熊野水軍が恐れ慄いて簡単に服従するとは到底思えない。2年前に100万石の寺倉家の要求を撥ね退けたのだ。160万石となった今でもその姿勢は変わらないだろう。ならば、"南蛮船"を見せるだけでなく、実際にその武力を示さなければ熊野水軍が降伏を受け入れることはないはずだ。


それと最後の4つ目の目的としては、熊野水軍を下した後で海路で南摂津に向かい、今後の寺倉家にとって大きな意味を持つ新たな湊の建設予定地を視察する予定だ。



◇◇◇



志摩国・鳥羽城。


「伊賀守様、ようこそおいで下さいました」


小浜真宗と小浜景隆を始めとして、相変わらずむさ苦しい風貌をした志摩十三地頭の面々が勢揃いして、鳥羽城の前で俺たち一行を出迎えてくれた。


鳥羽湾には桶の山が海に突出していて、そこには昔この地を治めていた橘氏の居館跡があり、鳥羽城はその跡地を再利用して築城された。史実では30年近く後に九鬼嘉隆が築城した水城だ。


水城というのは海や湖に面して海水や湖水を水堀に用い、城内に船着場を設置して、海や湖を防御と水運に用いた城郭のことだ。


目の前の鳥羽城は、さすがは海賊の根拠地でもあり、統麟城や玲鵬城のような壮麗な美しさや安濃津城の優美さとは無縁で、どちらかと言えば武骨な威風堂々とした佇まいを見せていた。


俺は真宗に本丸の最上階に案内され、窓から一望できる海を眺めると、海上にはなんと、南蛮船が2隻浮かんでいた。そう、1番艦と瓜二つの完成したばかりの2番艦が揃って俺を出迎えてくれたのだ。嬉しくて2隻の南蛮船の威容を眺めていると、横に立った真宗がおもむろに小旗を振った。


――ドカーーン、ドカーーン


1番艦と2番艦の大砲から連続して轟音が響き渡る。もちろん空砲だ。観艦式の礼砲という全く予想外の歓迎に、俺は感激して思わず眼頭が熱くなってしまった。


「伊賀守様、お気に召していただけましたでしょうか?」


真宗がニヤリ、と笑みを浮かべて俺に訊ねてきた。


「うむ、将監。これほど素晴らしい歓迎は初めてだ。この寺倉伊賀守蹊政、心から礼を申すぞ」


「ははっ、誠にありがたき御言葉にございまする」


「よし! 1番艦と2番艦の歓迎の礼として、2隻の船名を命名するとしよう! 1番艦は『海耀丸かいようまる』、2番艦は『暁凜丸ぎょうりんまる』とする。『海耀丸』は果てしない海を照り輝かすという意味の名で、『暁凜丸』は夜明けの水平線から凛々しくお日様が昇る様を表現した名だ。どうだ、いい名前だろう?」


もちろん、今ここで思いついた船名ではない。志摩に到着する前から散々悩んでいたのだが、先ほど2隻並んだ姿を見た印象で最終決定したのだ。


「海耀丸」は江戸時代末期の江戸幕府の軍艦「開陽丸」を文字ってつけた名だ。「開陽丸」はオランダで建造された軍艦であり、海外からやって来た1番艦の名としても相応しいと考えたのだ。


「はっ、素晴らしき名前に存じまする」


「今後は3番艦、4番艦とさらに建造して、志摩水軍を日ノ本最強の水軍、いや海軍にして見せようぞ!」


「「「ははっ!」」」


その後、俺は真宗から志摩の統治の状況報告を受けた。干し鮑、干し海鼠、鱶鰭に加えて、鰹節、板海苔といった俵物の生産は順調で、養蜂も予想外に成功して蜂蜜を採取できているそうだ。梅の木や茶の木、さらには薩摩から蜜柑の木も入手して栽培を始めたそうだ。数年後に甘い蜜柑を食べられるのが今から楽しみだ。きっと市も喜ぶに違いない。


ただ、真珠や牡蠣の養殖はまだ成果が出ていないようで、真宗は少し肩を落としていたが、俺は端から1、2年で成功するとは思っていない。10年以上掛かるのは覚悟しているので、真宗には酒量を少し控えて、真珠の養殖が成功するまで頑張って長生きするように言うと、真宗は感激して滂沱の涙を流していた。


その夜の宴では、俺は海の幸をふんだんに使った心尽くしの料理を堪能し、明日の処女航海を楽しみにして就寝したのだった。

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