覇権獲得の波紋②

京・御所。


「三好が四国に撤退したとな? これで畿内は平和になり、民は安らぐのでおじゃるかのぅ?」


応仁の乱から長く続く戦乱に明け暮れる世の中に辟易していた第106代の帝(正親町天皇)は、不安と憂鬱が入り混じった様子で呟いた。


ようやく天下の安寧を形成しつつあった三好長慶の死や足利義輝の暗殺、さらには三好家中の内乱と続いた戦乱において、帝は心休まる時など一日として無かったのである。


無論、帝にもようやく訪れるかもしれないという平和への期待は胸中に抱いていた。しかしながら、その期待を幾度となく裏切られてきた過去から、疑心暗鬼に近い状態になっていたのである。


武力はなくとも権威を以って日ノ本の頂点に立っている。その自覚が帝の心に重く伸し掛かっていた。そんな帝の心中を慮ってか、関白・近衛前久は宥めるように声を掛ける。


「主上、献身的に朝廷に尽くして参った元幕臣の寺倉伊賀守と蒲生左兵衛大夫が山崎での一戦に勝利したことによって、天下の趨勢は既に決しましておじゃります。もはや畿内で寺倉家と蒲生家に抗う者は、河内・和泉・紀伊の畠山家のみにおじゃりまするが、その畠山家も遠くない内に倒されるでおじゃりましょう。両家と盟約を結ぶ上杉家を始め、織田家、竹中家、浅井家が分担して東国の戦乱を鎮めておじゃりますれば、後は西国の僅かな勢力のみでおじゃります。寺倉家と蒲生家の天下は盤石と言えましょう」


「西国と言えば、朕の即位に献金してくれた毛利家もいるでおじゃろう?」


「左様でおじゃります。いずれ忠臣の毛利家には、寺倉家と蒲生家に従うように主上の御下知を賜るやもしれませぬ。それにしましても、麿は寺倉伊賀守とは会ったことはおじゃりませぬが、どのような人物なのか気になるでおじゃりますな」


「麿は寺倉伊賀守殿とは懇意の仲におじゃりまするが、若いのに非常に聡明な御仁でおじゃりまするぞ」


横で控えていた山科言継が口を挟んだ。正吉郎の方は"懇意の仲"とは全く考えていないが、あくまで美味い酒を分けてもらった言継の主観である。


「そうでおじゃったな。だが、天下を統べようという程の者だ。一癖や二癖はあるはずでおじゃるが、帝や朝廷にとって害となりうる存在ならば危険でおじゃる。寺倉伊賀守について詳しく伺いたいものでおじゃる」


「承知致しましておじゃります。伊賀守殿はわずか10年足らずで一介の国人領主から此処まで成り上がったことから分かるように、非常に才知に富む革新的な御仁におじゃりますれば、古き秩序をただ守るよりも、帝も良く遊ばれる返碁のように新しき文物や制度を創り出し、率先して取り入れることに躊躇わない御仁でおじゃりまする。温故知新、天下に安寧を齎す者とは、そういった人物なのでおじゃりましょうな」


「古き秩序を重んじぬ、とな? それに朝廷は含まれてはおらぬのでおじゃるな?」


近衛前久は朝廷を取り仕切る関白として言継をキリッと睨みつけると、厳かな口調で問い質した。


「伊賀守殿は伊勢神宮の式年遷宮のために多額の献金をされるなど、朝廷にも長年尽くした勤皇の志の篤い御仁でおじゃりますれば、朝廷を蔑ろにするなど考えるはずもおじゃりませぬ。公方を弑した三好三人衆のような悪逆非道とは正反対の清廉潔白な人物でおじゃりまする故、関白殿の懸念されるようなことはおじゃりませぬよ」


さすがに清廉潔白は言い過ぎかとは思いながらも、山科言継は"懇意の仲"の正吉郎を擁護すべく、強い口調で断言した。


懸念を示した前久も言継の言葉に納得したように頷くと、帝に向き直って言上する。


「主上。ならば将来、日ノ本を統べるであろう寺倉家と蒲生家を始めとする"六雄"と朝廷との結びつきをより強くするためにも、いずれは『天下人』に相応しき官位を用意すべきでおじゃりましょう。摂政と関白は摂関家のもの故、無理でおじゃりまするが、太政大臣、左大臣、右大臣の三公は必要となりますでおじゃりましょう。とりあえずは"六雄"には近い内に昇殿を許される従五位以上の官位に叙爵し、友好的な関係を保ち続けるよう努力する必要がおじゃりましょう」


「うむ。異存ない。良きに計らえ」


帝は近衛前久の言葉に満足げに頷いたのであった。




◇◇◇



三好長慶の死後、一時は三好家の実権を握り、畿内の覇権を我が物とした松永久秀だったが、今の久秀が置かれた状況はあまり芳しいとは言い難かった。


「永禄の変」によって久秀と三好三人衆との対立が顕著となり、「生駒の戦い」が勃発した。久秀は畠山家を頼って大軍を編成し、三好三人衆に対抗したものの、大和の国人衆の助力を得た三好三人衆に敗北した。


その結果、大和国主の地位を築いていた久秀も、国外に逃亡せざるを得ない状況に追い詰められ、今は協力関係にあった畠山家の勢力圏にある自治都市の堺に身を寄せていた。


三好三人衆によって大和を追われた久秀にとって、宿敵だった三好三人衆が全員討死したことは望外の喜びであったが、それは同時に、永く仕えてきた三好家の凋落でもあり、久秀にとっても少なからず思うところがあった。


(まさか三好家が畿内の所領をすべて失い、四国に閉塞することになろうとはな。すべては儂と三人衆の内輪揉めが原因よな。遺言で三好家の後事を託された孫次郎様(長慶)には、冥府で何とお詫びすれば良いか。とは言え、今さら三好家の元に戻る訳にも行かぬ。寺倉に対抗するためにも、まずは手勢を増やすしかあるまい)


8月上旬、久秀は心中でそんな後悔を抱きながら、来たる寺倉家との決戦に備え、重臣の柳生宗厳と共に紀伊国の土豪・雑賀衆の元を訪ねていた。


雑賀衆は紀伊国の北西部の雑賀荘を始めとする5つの地域の地侍たちで構成された集団で、金さえ出せば何処の戦にでも駆り出すことのできる傭兵集団である。


その雑賀衆の特徴は鉄砲を扱うことにあり、根来寺の僧によって種子島から伝来したばかりの鉄砲一挺が持ち帰られ、複製され始めると、近隣の雑賀衆もいち早く鉄砲を取り入れ、優れた射手を生み出すと共に、鉄砲を有効に用いる戦術を考案して強力な傭兵集団に成長していた。


寺倉軍は鉄砲を多用することで有名であり、久秀は鉄砲には鉄砲をと考えたのだ。鉄砲の扱いに長けた雑賀衆を仲間に引き入れることは、畠山家と久秀にとって心強い味方になるのは一目瞭然だった。


「それで、我らに協力しろと。そう申すのだな?」


雑賀衆の棟梁「雑賀孫一」こと、鈴木重秀は、松永久秀からひと通りの話を聞くと、表情を一切変えることなく淡々と問い返した。


銭雇いの傭兵として雇われる身としては、こうした交渉は日常茶飯事である。身分を笠に着て不利な条件を押し付けられないよう、重秀は交渉相手に弱みを見せないための堂々とした態度や感情を表に出さない表情、そして不遜な言葉遣いを心掛けていた。


一方、久秀にとって重秀の物腰の丁寧さは、少々意外に感じられた。と言うのも、傭兵集団の棟梁と聞いて、豪胆で礼儀も乏しい山賊のような人物像を想像していたのだ。


事前に畠山高政は「雑賀孫一は傭兵とは言えども、非常に怜悧狡猾な男だ。努々油断なされるな」と久秀に告げていた。久秀は重秀の腹の内を探るように、わずかな表情の変化を見過ごさないようジッと見据えながら返答する。


「左様でござる。前払い分の対価は此処にある」


そう言って久秀は宗厳に目配せすると、持参した大金を重秀の目の前に持って行かせる。


この金の出所は堺の商人である。和泉を治める畠山家には、日ノ本最大の商人の町である堺という後ろ盾があった。故に、こと金銭面においては堺の商人から多大な協力を得ることができたのである。


それを見た重秀の表情に初めて変化が表れた。ほんの僅かだったが、左の眉が吊り上がったのだ。久秀はその隙を見逃さず、さらに追い打ちを掛ける。


「これだけではない。寺倉に勝利した暁には更なる報酬を用意しよう。孫一殿、如何でござるかな?」


(三好を畿内から叩き出した寺倉が相手だ。分が悪い戦となるのは承知の上だが、勝敗は兵家の常と言う。勝てばさらに報酬が得られる機会をみすみす見逃す道理はないな。いざとなれば逃げれば良いのだ。ふっふふ)


「……良かろう。我ら雑賀衆は貴殿らに協力しよう」


重秀はほとんど迷いを見せることなく、久秀の傭兵派遣の要請を受け入れた。勝利すれば更なる報酬が得られるというのだ。重秀にも断る理由などなかった。


こうして雑賀衆は松永久秀に助力することとなり、寺倉軍との戦で高い練度の鉄砲により対価に見合う仕事ぶりを見せることになる。

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