天下分け目の天王山⑥ 盛者必衰

遡ること、四半刻。


摂津国の有力国人である伊丹親興は、目前に繰り広げられる惨状に顔を青ざめさせていた。理由は寺倉軍が放った大鉄砲の砲弾が伊丹軍のすぐ側を掠め、三好兵を挽き潰していったためである。


「ち、父上! これは我らに対する警告にございまするぞ! これ以上引き伸ばせば、次は我々があの砲撃を受けることになりまする。そうなれば我が軍は崩壊いたしまする!」


一向に態度を明確にしない親興に対し、業を煮やした正吉郎は最終警告とも呼べる威嚇射撃を行ったのである。敵対するのは構わないが、これ以上日和見を続けるのならば容赦はしない、と。


「くっ、致し方ない。寺倉伊賀守様の機嫌を損ねる訳には行かぬ!」


親興の声は震えていた。恐怖心か、それとも屈辱感かは分からないが、忠親はそんな父親の姿を見て見ぬ振りをし、前を向いた。


(やはり儂には故郷の摂津を捨てる決断はできぬ。たとえ所領を失おうとも、摂津の地で身を保ち、摂津の地で死にたいのだ。ここまで一方的な展開だ。三好が四国に逃れて態勢を立て直せたとしても、二度と摂津の地を踏むことは叶わぬであろう)


蒲生と寺倉の怒涛の攻勢の前に、ついに膝を屈した親興は、刀を頭上の太陽に向け、意を決して声を張り上げる。


「伊丹の兵よ! 我が軍はこれより反旗を翻し、蒲生家と寺倉家にお味方する! 皆の者、三好兵を討つのだ!」


「「「応ッ!!!」」」


伊丹兵の喊声が響き渡ると同時に、横に陣を並べる三好兵に向けて攻勢を加え始めると、さらには伊丹家の寝返りを見た他の摂津の国人衆の数家も踏ん切りを付けたのか、伊丹家に続いて敵方に寝返り出した。


突如として味方のはずの隣や背後から攻撃を受けた三好軍は大混乱に陥り、もはや陣形はズタズタとなっていた。蒲生・寺倉連合軍の鉄砲攻撃と津波が如く押し寄せる炎、天王山から砲撃される大鉄砲、そして味方の裏切り。これだけの悪条件に板挟みになって戦意を保てるはずもなく、三好軍はついに崩壊し始めたのである。




◇◇◇





「伊丹大和守を始め、幾人かの摂津の国人衆が我らに反旗を翻し、三好兵を襲っているとの由にございまする!」


伊丹親興の裏切りは、後方でその様子を見ていた三好長逸の耳にも届いていた。


「な、何? 伊丹は摂津の有力国人であろう! 何故、摂津を侵略しようという者に寝返ろうとするのだ?!」


「そ、それが……」


「はっきり申せ!」


長逸の苛立ちは頂点に達そうとしていた。一向に止まる気配のない貧乏揺すりは、伝令兵を威圧する。


「どうやら伊丹は戦の前から寺倉の調略を受けていたようで、戦況次第で優勢な方に味方する魂胆だったようにございまする。威嚇の大鉄砲の砲撃に恐れをなし、慌てて寝返ったとの由にございまする」


額に脂汗を滲ませながら顔を伏せた伝令兵はとばっちりを避けようと、怒り心頭の長逸に決して目を合わせずに告げる。


「腑抜けた男だ! 以前から優柔不断な男だとは思うておったが、よもや日和見で有利な方に与しようとは、武士の風上にも置けぬ奴よ!」


長逸は唾を撒き散らしながら伊丹親興を罵倒すると、八つ当たりするように刀を一閃する。その刃は僅かに伝令兵の頭を掠め、髪の毛が数本舞い落ちると、伝令兵は「ひぃっ!」と悲鳴を上げる。


だが、長逸は気にも留めずに刀を鞘に戻すと、「無念」と掠れた声を絞り出しながら重臣たちに告げる。


「退却だ! こうなれば芥川城まで撤退する! 籠城戦に持ち込めば勝機はあろう!」


「「ははっ!」」


既に三好軍は崩壊し掛けて散り散りになっており、三好家当主の義興や一門衆など四国衆の軍勢は長逸の背後に陣取っていたが、既に本拠の飯盛山城に向けて退却しており、寝返っていない摂津の国人衆は勝手に自分の所領に退却し始めている。


もはやここに残るのは長逸に臣従する家臣の手勢だけであり、長逸は辛くも戦場を脱すると、主に後方に控えていた無傷の兵3000と共に居城の芥川城に退却し、蒲生・寺倉連合軍の追撃に備えるのであった。


こうして、天下分け目の「山崎の戦い」は未の刻過ぎ(午後2時半)に三好軍の惨敗という結果で幕を引いたのである。





◇◇◇




三好軍は総大将の長逸を逃すために殿として戦場に留まった隊の身を呈しての抗戦もあり、蒲生・寺倉連合軍が翌日の午の刻過ぎ(午後1時)に芥川城に到着するまでに、長逸は芥川城で籠城の態勢を固める時間稼ぎが叶っていた。


籠城戦を行うまでに立て直しを図れたのは、摂津の湊・兵庫津の存在が大きかった。かつて畿内を席巻した三好家も畿内での残る領土は摂津国と北河内を残すのみになっていたものの、平安時代には大輪田泊と呼ばれ、鎌倉時代にかけて日本一の湊として日宋貿易で栄えた兵庫津を勢力下に残していた。


三好軍はその兵庫津の恩恵を受ける形で商人から潤沢な物資を確保することができていたのである。これは敗戦も視野に入れての長逸の用意周到な手札であった。


だが、正吉郎は長逸の策のさらに一枚上を行っていた。三好軍が兵庫津から物資補給するのを読み切っていた正吉郎は、数ヶ月前から兵庫津の商人たちに対して、戦後の兵庫津の権益を保証する条件で買収し、秘密裏に寺倉に協力する約定を取り交わしていたのだ。


商人とは利に敏く、時勢に敏感な者たちである。かつての170万石の所領から70万石余りまで勢力が急落している落ち目の三好家と、わずか8年で5000石の弱小国人から150万石以上の大大名にまで昇り詰めた日の出の勢いの寺倉家。


どちらに与すれば自分たちの利益になるかは火を見るより明らかであり、これが分からないような者では、兵庫津で商人としてやっていけるはずがない。兵庫津の商人たちは正吉郎からの打診に二つ返事で了承したのだった。


その結果、兵庫津から芥川城の三好軍に補給された兵糧の半分以上には毒が含まれていたのである。故に、蒲生・寺倉連合軍が芥川城を包囲して3日が過ぎる頃には、大半の将兵が重度の下痢などの体調不良を訴え、中には死人まで出る始末であった。


最初は夏の暑さで腹を壊しただけだと楽観視していた長逸だったが、病人の数が日毎に膨れ上がっていくと、半狂乱になって呻き出した。


一方、蒲生・寺倉連合軍が三好軍の殿に苦戦して芥川城への追撃に時間を要したのは、実は殿との交戦で将兵の無駄な損耗を防ぐための"演技"であった。そして同時に、長逸に兵庫津から兵糧を補給する時間を与え、毒入りの兵糧の補給を意図的に行わせるためでもあった。


つまりは、正吉郎は敢えて三好長逸の掌の上で転がされているように見せて、逆に正吉郎が長逸を転がしていたのである。


こうなると、落城はもはや時間の問題である。謀略で三好家の実権を握った長逸が、謀略によって袋の鼠にされる。これほど屈辱的な展開はないだろう。


籠城して4日目の昼前には、芥川城の3000の将兵の内、既に3分の2が寝込むか死ぬかの状況で、満足に戦える将兵はわずか1000しか残っていなかった。


(これ以上、城内に留まっていれば、自分もいずれ毒を掴まされるのは必定。毒で死ぬなど武士の恥。武士ならば最期は戦で死ぬべきだな。孫次郎(長慶)様、もうじき其方に参りまするぞ)


長逸は戦える兵1000を連れて打って出る決断を下した。無論、わずか1000の兵で3万5000もの兵に突撃するなど、正気の沙汰とは思えない自殺行為であるが、そうせざるを得なかったのである。


「皆の者、これが最後の戦である! 三好家の誇りを胸に突貫せよ!」


「「応ーっ!!」」


7月12日、巳の刻過ぎ(午前11時)。芥川城から打って出た三好日向守長逸は、蒲生・寺倉連合軍の鉄砲の一斉射撃により蜂の巣にされ、刀を交えることなく、馬上で即死した。他の1000の将兵も間もなく全滅し、芥川城は呆気なく落城したのであった。


こうして三好三人衆の最後の一人、三好長逸の死により、三好長慶以来、畿内の中央政治を長く支配してきた三好家の失墜が、今ここに白日の下に晒されたのである。


そして、芥川城を接収した蒲生・寺倉連合軍は連合軍を解体し、蒲生軍は寝返らなかった摂津の国人衆の制圧に向かい、寺倉軍は三好家当主・三好義興が撤退した北河内の飯盛山城に向けて進軍を始めたのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る