天下分け目の天王山⑤ 阿鼻叫喚

雲一つない快晴の下、灼熱の太陽が身を焦がす午の刻(正午)。


山崎の地で先鋒同士の戦いを終えた後、しばしの沈黙を保っていた両軍は、再び相見えようとしていた。


先に動いたのは三好軍だった。


何重にも馬防柵を並べた寺倉の分厚い障壁を破らんと躍起になる三好兵は、竹の盾を構えて鉄砲の銃撃を防ぎながら、湿地帯に足を踏み入れていった。


夏の暑さとは裏腹に湿気を帯びてぬかるんだ山崎の泥地は、三好兵の足元を不安定にし、突撃する速度を奪っていく。それでも暑さに火照った体にはちょうどいいと、三好兵は幾分か心地良さげに馬防柵の前に辿り着こうとしていた。


その瞬間であった。


――ぐわぁぁぁ!!


馬防柵の前に着いた兵たちから続々と悲痛な叫び声が木霊した。瞬く間に身を焦がすほどの大きな火が、突如として発生したのだ。


蒲生・寺倉連合軍は山崎という横幅が2町(約200m)ほどしかない狭い地形を活かし、端から端まで隙間なく馬防柵を敷き詰めていた。当然ながら、有刺鉄線を使った馬防柵はそのままでは突破できず、破壊するには時間を要するし、壊すためには兵は密集せざるを得ない。


俺はそれを想定して、予め馬防柵の手前の湿地帯に網目状に溝を掘り巡らし、大山崎の油座から調達した大量の油を撒いていた。そして、今大島政光率いる弓部隊に火矢を放たせ、三好兵が密集する湿地帯に点火させ、一面を火の海にしたのである。


「鉄砲隊、構え! ……撃てぇ!」


嵯治郎の号令が上がると、火に焼かれて苦しむ三好兵はもはや竹盾を構えてなど居られず、馬防柵の内側から鉄砲隊がすかさず狙い撃つ。ほんの30mほど先の立ち止まった兵など格好の的でしかない。一回の三段撃ちで三好兵は全員が討ち倒された。


だが、湿地帯の湿気が多ければ当然、火の威力はすぐに弱まるし、時間が経てば油は燃え尽きて鎮火してしまう。最初に馬防柵に辿り着いた兵たちは突然の火に焼かれた後の銃撃で全滅したが、後続の兵たちは火がほぼ消えたと見ると、再度攻勢に出ようと馬防柵に向かって来る。


「鉄砲隊、下がれ! 印地隊、前へ! ……放てぇ!!」


続いて堀秀基の号令で鉄砲隊に代わって印地隊が前に出ると、一斉に"あるもの"を投擲した。


印地とは投石のことだ。安価で調達も容易な石ころを投げつける投石攻撃は、古今東西で最も原始的ではあるが、熟練した集団が行えば非常に殺傷力が高い遠距離攻撃手段だ。


寺倉家でも「寺倉郷の戦い」や「沼上郷の戦い」では印地隊が大活躍しており、その後も地肩が強い者を集めた印地隊は、寺倉家の重要な部隊として活躍している。


だが、今回ここで印地隊が投げるのは石ころではない。印地隊の兵は瓢箪型の陶器の口から出た紐に火を点けると、思い切り三好兵の頭上高くに"それ"を投げ込んだ。


――バガーン! バガーン!


"それ"は三好兵の頭上で爆発すると、火の粉が三好兵の上に降り注いだ。そして、その火の粉を浴びた三好兵は、突如として火だるまと化していく。


――うぎゃあぁぁぁぁぁぁ!!! 熱い、熱い!!


戦場に数多の悲鳴が響き渡り、一度上がった火の手は留まることを知らず、三好兵を容赦なく襲っていった。まさに地獄絵図である。三好兵は絶叫しながら次々と黒焦げの死体となっていく。鼻から脳天に突き抜けるような、人が焼け焦げた死臭が辺りを覆った。


俺が印地隊に投げさせたものとは、言わば「焼夷手榴弾」である。瓢箪型の陶器の上部には火薬が詰められ、そして、下部には水を掛けても火が消えない燃料「ナパーム」が入っていたのだ。


ナパームとは、ベトナム戦争でジャングルでの敵兵のゲリラ攻撃に手を焼いた米軍が、ジャングルごと敵兵を燃やし尽くすために使用したナパーム弾や火炎放射器に使って、一躍有名になったが、戦後は非人道的兵器だと世界的非難を浴びて国際的に使用禁止になった。


ナパームは石油のナフサに増粘剤を加えると作ることができる。その記憶を思い出した俺は信長に頼んで、精製しなくてもバイクが走るほどの良質のナフサ(ガソリン)が産出する遠江の相良油田から、ナフサを大樽で10樽ほど分けてもらった。もちろん後でナパームの製法を信長に提供するのが条件だが、こちらも特許料代わりに今後もタダでナフサを入手できる約束だ。今回の成果を教えれば、信長も北条の小田原城攻めで使うだろうな。


それと、増粘剤には砂糖などの多糖類や海藻から採れる寒天、動物性のゼラチンなどが利用でき、試行錯誤した結果、砂糖は高価であり、寒天は冬場でないと作れないため、猪など害獣の皮膚や骨、腱から採れるゼラチン、つまりはにかわを利用することにした。


もちろんナパームを使わずに、爆弾と金属片だけでも手榴弾を作れるのだが、ただ殺傷する目的だけならば手榴弾よりも鉄砲や大鉄砲を使えば事足りる。だが、今回は三好軍に恐怖心を植え付けて早めに崩壊に追い込むため、消えない炎で味方兵が火だるまになる光景を見せつけるという視覚的効果を考慮し、心を鬼にして敢えて残酷なナパームを策に用いることにしたのだ。




◇◇◇



夏だというのに、三好長逸を襲ったのは異様な寒気であった。


目に映った炎熱地獄とも言うべき光景は、元主君の三好長慶が行った比叡山焼き討ちよりも、よっぽど残酷な光景であった。三好家の実権を実質的に継承した長逸は、目の前の光景に呆然唖然と凍ったように固まっていた。


(な、何だ、あれは! 何故燃えておる! 此処は湿地であれほどの火など起こせるはずがない! これは悪夢だ! そうだとしか思えぬ)


そんな風に考えてしまうのも無理はない。湿地でも火を保てる手法を知る者など、どこにもいないのだから。その上、山崎という場所が幅狭の土地であるため、火の手は瞬く間に本隊の中央付近まで達しつつあり、さらにはナパームの高温燃焼による酸素欠乏により、原因不明でバタバタと倒れる者が続出していた。


そして、悪夢とは続くものである。


ドカーン!と轟音が空に響き渡ったと思うと、次の瞬間、地揺れが起こったのだ。


「な、何事だ!」


その轟音は何度も続いて、長逸の耳をつんざいた。一体何なのだと思って音のした方向を見ると、長逸の目には衝撃的な光景が飛び込んで来た。


天王山の山上から大きな砲弾が空を舞い、勢いよく地面に突き刺さって土埃を巻き上げていたのである。いや、地面に激突した後、跳ねて人馬を轢き潰していた、という表現の方が正しかった。


大鉄砲は高所から高速で落下させることで敵を轢き殺すことを主体とした兵器である。山上から砲撃すれば、当然射程距離も長くなり、その威力も倍増する。故に「焼津の戦い」で見せた威力よりも数段増した威力を発揮した大鉄砲は、三好軍本隊の中陣で油断していた将兵を一気に葬り去っていった。


大鉄砲への対策として一度に多くが巻き込まれないように兵と兵の間隔を空けるよう命じていたはずなのだが、渦中の兵はそれどころではない。既に陣形は崩れ、砲弾に押し潰された者、炎に包まれて人の姿を疾うに失った"何か"、混乱に当てられて精神が壊れて闇雲に得物を振り回す者。


まさしく阿鼻叫喚の地獄を目にして長逸は顔面蒼白になり、歯をカチカチと鳴らしながら、声にもならない呻き声を漏らしていた。


(こんなのはもはや戦ではない! 単なる殺戮、虐殺ではないか! 武士が刀で、槍で、弓で戦うのが戦ではないのか?!)


そして、なおも追い打ちを掛けるように、寺倉軍は鉄砲の三段撃ちで三好兵を撃ち倒していった。三好兵は自分が竹盾を持っているのを忘れるほど混乱しており、馬防柵による安全な陣地に籠りながら撃つ様は、三好兵に絶望を植え付けるには十分過ぎるほどであった。


さらには死者に鞭打つが如く、長逸の耳に凶報が届く。


「伊丹大和守様、謀反!」


この報せは、長逸にとって天下分け目の合戦の終幕を告げる宣告であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る