天下分け目の天王山④ 内憂外患

「火急の報せにございまする!」


「何だ? 騒がしい」


三好軍本隊を率いる三好家の実質的な長である三好長逸は、特徴的な吊り目を気怠げに緩めながら、小さく溜息を漏らした。


「別働隊が寺倉軍と交戦し、釣竿斎宗渭様と一任斎為三様が討死! 宗渭様は寺倉家の将・前田利蹊との一騎討ちの末、敗れたとの由にございまする」


(ふ、ふふっ、ははははっ! そうか、あの糞坊主が死んだか! やっと邪魔者が消えたな。これでようやく自由に事が進められるというものよ)


長逸の内心に最初に浮かんだのはそんな冷ややかな感情だった。仮にも同じ三好一門の従兄弟同士であるのにも関わらず、宗渭の死に悲哀の感情は一切感じることはない。長逸は改めて自分がいかに冷徹な人間であるかを思い知るが、そんなことはさしたる問題ではなかった。


これまで長逸の行動には常に宗渭の反対が付きまとっていた。いくら策謀を講じようとしても、宗渭が認めなければ実行は叶わない。それが三好家の実情であった。それは多分に長逸の性格に原因があった。長逸は謀略を非常に好み、目的の達成のためには手段を選ばない。足利義輝の暗殺も元はと言えば、この長逸の発案であった。


しかし、義輝を暗殺した後、長逸は次の傀儡の将軍に仕立て上げようと考えていた覚慶を死なせてしまうという失態を犯した。決して長逸が殺させた訳ではないのだが、世間では三好三人衆の仕業だと受け止められることになる。これによって三好三人衆の筆頭であった長逸は三好家中の信頼を失い、家臣の支持は若い頃から豪胆で実直な宗渭へと移っていった。


尤も、宗渭も三好家で確固たる地位を築いた男だ。年の功なのか、それとも謀略に塗れた畿内での戦いや三好家中の権力争いで揉まれてきたからか、実直であった宗渭も策謀を好む腹黒な面も見え隠れするようになっていた。主君であった三好長慶の死を悼んで出家した宗渭だが、出家した後に義輝の暗殺を認めたことから分かるように、三好家を守るには謀略は必要悪だと悟っていたのである。


そして、三好三人衆に実権を握られ、名ばかりの三好家当主であった三好義興も、どちらかと言えば宗渭寄りの立場を取っており、長逸は三好家中で半ば孤立し掛けていた。


当然ながらそんな状況を長逸が面白く思うはずもない。だからこそ、長逸は三好家の実権を全て譲るという餌を宗渭の目前にぶら下げ、事前に察知した男山から迂回する寺倉の別働隊に奇襲を仕掛け、前田利蹊を討ち取るよう要求したのだ。


そして、その餌に釣られた宗渭をまんまと死地に追いやることに成功し、長逸は心中でしてやったりと、自らの策謀が成功したことに対して歪んだ喜びに満ち溢れていた。


(孫次郎(義興)様に代わって天下を統べるのはこの儂だ。寺倉のような成り上がり者なんぞに天下を譲る訳には行かぬ!)


「そうか。大儀である」


長逸はそんな強い決意を胸に宿す一方で、重臣である宗渭の討死にさして驚く様子も見せずに淡々と応える。伝令兵はそんな長逸の態度を怪訝に思いつつも、役目を果たして本陣を後にする。


長逸はそんな伝令兵など気に留めず、既に宗渭の死により長逸の思考は、如何にして寺倉の大軍を打倒するか、その一点に集約していた。報告によると、前田利蹊の別働隊は三好軍本隊の側面を奇襲する作戦は諦めたようで、本隊に再び合流したそうだ。


(三好三人衆の一人を討ち取ったのだ。寺倉とすれば大手柄だろう。それに相手に側面から奇襲すると事前に察知されていれば、もはや奇襲の意味は為さなくなる。そのまま迂回路を通って三好軍本隊に攻撃を仕掛けても、大して旨味はないと判断したのだろうな)


一方、大山崎の南での本隊の戦いは、まずは先鋒同士による小手調べで幕を開けたが、結果はほぼ互角であり、一向に形勢が上向かないのを見て、巳の刻(午前10時)頃に寺倉軍が一旦兵を引いたことから、三好軍の本陣は束の間の静寂に包まれていた。故に、長逸の心中には幾分か余裕ができつつあったが、だからといって決して油断はしていない。


そして、宗渭の死は三好軍の士気を下げかねないため、当然家中には秘匿された。その死を知る者は極々限られた長逸に近い重臣のみである。宗渭に従った者の多くは討死か重傷を負い、既に長逸の行動に反対する者はいなくなったこともあり、まさに長逸にとって“理想の状況”が作り上げられたのであった。





◇◇◇





「ふぅむ、真に三好を裏切るべきなのか……」


摂津国の有力国人の一人、伊丹親興は三好軍の後方で、喧騒に揺れる戦場をジッと見つめながら、他人の耳には絶対に聞こえない音量で呟きを零した。


下り藤に加文字。伊丹家の家紋の旗印がバタバタと頭上を翻る。どちらに与するべきか、悩みに悩む親興の心中を表しているようにも見えた。


(先鋒同士の戦いの形勢は互角だが、いずれ兵数差から我が軍が押され始めるのは間違いなかろう。だが……)


親興がここまで悩んでいるのには理由があった。実は、出陣する前の伊丹城の親興の元に密かに寺倉の素破から内応の誘いがあったのだ。寺倉から提示された条件は、「戦場で寝返れば蒲生家の家臣として御家存続を保証する。所領はその後の働き次第」、その一点のみであった。


寝返ったところで所領が没収となれば、これまで摂津国で築き上げた地位も失われることになる。摂津の有力国人たる親興は、その矜持に懸けて簡単に寺倉に膝を屈する訳には行かなかったのである。


(このまま三好に従っていれば、たとえこの戦に敗北しようとも、三好の本拠地である四国に撤退し、四国で新たに所領を得ることも叶うやも知れぬ。だが、寺倉に寝返れば所領は失おうとも、生まれ育った摂津に身を留めることができ、蒲生の配下での働き次第では所領を回復することもできるはずだ)


どちらも伊丹家にとっては厳しい状況ではあるが、どちらかを選ぶには時間が足りなさ過ぎた。


「父上、某はこのまま三好に与するべきかと存じまする」


腕を組んで考え込む親興に、嫡男の伊丹忠親が小声で意見を述べる。


「何故そう思う?」


「まず蒲生の配下に身を置けば、まず高い地位は得られぬでしょう。外様の一家臣として使い潰されるのが落ちかと存じます。一方、依然として四国で最大の勢力を誇る三好ならば、たとえ四国に撤退することになろうとも、ある程度の地位は保証されるかと存じまする」


(まだ15歳の忠親は、摂津への執着心は儂ほど強くはないのであろうの)


親興は忠親の進言を聞いて、摂津の国人領主として長く生きてきた自分には、摂津から離れたくないという潜在意識が強く染み付いているのを改めて自覚する。


「さらに用心すべきなのは、この誘いは当家だけではなく、池田を始め、他の摂津の国人衆にも行われている恐れが大きいことにございまする。寝返りの条件で所領を安堵しないのは、それが理由かと存じまする。結論を徒に引き延ばせば、寺倉の素破に伊丹家が寝返るという嘘の噂を流され、日向守様の耳に入る恐れもありまする」


「何と!」


若いながらも忠親の指摘は尤もだった。欺瞞情報により敵の疑心暗鬼や同士討ちを誘う「反間計」の計略は、戦の常套手段である。


「父上、いずれにしましても早く態度を決めるのが肝要かと存じまする」


「確かにそうだな」


忠親にそう答えながらも、親興は揺れ動く感情に歯止めを掛けることができず、結局は問題を棚上げしてしまったのである。

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