天下分け目の天王山③ 竜虎相搏
淀川を挟んで大山崎の東にそびえる男山。その山上には石清水八幡宮があり、京の都の裏鬼門(南西)を守護する神社として鬼門(北東)の延暦寺と共に重視されていた。
早朝、その男山の東の地で、別働隊3000の大将を任じられた前田利蹊は淀川、宇治川、木津川の3つの川を渡り、南に向けて行軍していた。
正吉郎から利蹊に下された役目は第一に、男山の東側を迂回して三好軍の側面あるいは背後を突き、三好軍を混乱させること。第二に、途中で敵の迎撃部隊が現れた場合はそれを撃滅し、味方の側面を奇襲されないように迂回路を遮断すること、の2つであった。
だが、正吉郎も利蹊も敵に気づかれずに奇襲が成功するとは端から思っておらず、敵から迎撃部隊の戦力を割かせて本隊の兵数をさらに減らし、迂回路からの敵の奇襲を阻止するのが主目的であった。
一方、三好軍も伊達に畿内を長い間統治していた訳ではなく、この辺りの地形は熟知しており、男山の東側からの奇襲は想定済みであった。利蹊の動きを察知した素破からの報告により、三好三人衆の一人・三好宗渭率いる1000の兵が深夜の内に男山に潜み、南下する別働隊を逆に奇襲しようと捕捉したのであった。
しかし、3倍もの兵と相対するには兵数が明らかに足りない。下手すれば全滅する恐れもあるのだが、三好長逸は前田利蹊を討ち取れば、三好家の実権を譲るという誓紙まで取り交わし、宗渭が応じざるを得ない状況を作り上げたのであった。
長逸と宗渭は同じ三好家の一門で、父同士が兄弟の従兄弟の関係であったが、正反対とも言える性格だった。長逸は謀略を好み、身内に対しても自らの心中を隠すような、不敵な笑みが特徴的な男であり、その腹黒さから家中でも恐れられていた。
それに対し、宗渭はツルツルの坊主頭を持つ2mはあろうかという巨漢で、かの「真田十勇士」の一人・三好清海入道のモデルとなった人物でもあり、長逸とは違ってその豪胆さから人に恐れられる男であった。
対する利蹊も三好に先を読まれて待ち伏せされる可能性は正吉郎から言及されており、さらには三好宗渭率いる1000の伏兵が男山に潜んでいるのも、事前に察知済みであったため兵に混乱は全くなく、男山を下って正面突破に特化した魚鱗の陣形で一気呵成に突っ込んでくる三好軍に対して、包囲殲滅を狙った鶴翼の陣を敷いて冷静に待ち受けることができていた。流石は伊賀の忍びと言うべきか、服部半蔵の力は恐るべしだと利蹊も内心で感心していた。
宗渭も寺倉軍が自軍を察知したことに気づき、もはや奇襲は失敗したと理解しつつも、ここを通して本隊の横に奇襲させる訳には行かないと覚悟を決め、両軍はついに衝突したのである。
緒戦は両軍共に一歩も譲らず、互角の戦況であった。一心不乱に武器を振るう両軍の衝突は苛烈を極め、まさに力と力のぶつかり合いという表現が相応しい様相を呈していた。
ただ三好軍としてはただでさえ兵数で3分の1という不利な状況であり、互角の戦況では敗北は必至である。宗渭は焦りと共に槍を高々と上げ、停滞する現状を打開しようと自ら魚鱗の陣の先頭に立って、寺倉軍の鶴翼の陣の中央にいる敵将・前田利蹊に向かって敢然と突っ込んでいった。
一方、寺倉軍としては兵数で3倍の兵の絶対有利な局面では勝って当たり前であり、互角の戦いを演じて兵を徒に減らしてしまうなど、大将を任せられた利蹊からすれば絶対にあってはならない失態であり、鶴翼の陣の中央で勇猛に槍を振るい、兵を鼓舞していた。
かくして、両雄は乱戦の中で邂逅する。両者共に目立つ格好をしていたが、一心不乱に槍を振り続けていたことから、お互いに気づくのが遅れたのである。
三好宗渭からすれば、このままでは数の圧力に押し潰されて敗戦を待つだけであり、目の前の敵将を討ち取れば、三好家の実権を思いのままにできる美味しい状況である。
かたや前田利蹊にとっては、これ以上の無駄な被害を出すことなく戦を終わらせ、戦功を挙げることができる美味しい状況である。利蹊は寺倉家中では将星と称えられる重臣ではあるが、大名家の当主ではない。万一、討ち取られたところで、そこまでの被害にはならないと踏んだわけだ。尤も利蹊は討ち取られるつもりなど毛頭なかったのだが。
「我こそは寺倉家の将、前田又左衛門利蹊なり!」
利蹊が一騎討ちの作法に則って宗渭の前に出て名乗りを上げると、それに応えるように宗渭も前に進み出る。
「我は三好釣竿斎宗渭である。これぞ天の配剤か! ここで貴公を討ち取る好機を得られるとは思わなんだぞ!」
「ふん、残念ながら討ち取られるのは貴殿の方だ! いざ、尋常に勝負!」
利蹊は宗渭の挑発めいた言葉を鼻で笑うと、槍を構えて駆ける。甲高い槍の衝突音が響き渡ると、両軍の兵も神聖な一騎討ちを邪魔してはならぬと、二人から距離を取って戦いを続けていた。
大きな上背を笠に着た力任せの攻撃に見える宗渭の槍であったが、その節々に老練な槍捌きを感じ取れる。初老を迎えようという宗渭は、さすがに全盛期の豪傑ぶりからは衰えを見せ始めてはいたが、それを補うための日頃の鍛錬は欠かしていなかったのである。
さすがは三好三人衆の一人に連なる男だと、槍を交えながら利蹊は感心する。だが、利蹊は体格差の不利を全く感じさせない卓越した戦いぶりを見せた。「槍の又左」と呼ばれる所以が随所に光る戦いぶりに、両軍の将兵はいつの間にか戦いの手を止めて見惚れていた。
ただ、刀剣の造詣が深い宗渭はその幅広い興味もあり、様々な武器の扱いに長けていた一方で、一つの武器を極めた訳ではなかった。そのために、槍一筋に腕を磨いてきた利蹊との力量の差は少しずつ現れ、体格と力で有利なはずの宗渭は、利蹊の巧みな槍捌きによって明らかに押されつつあった。
「ぐ、ぐぅ! 若いくせになかなかやりおるな!」
「そっちこそ、年寄りのくせになかなかしぶといではないか!」
快晴の夏空から容赦なく照りつける陽の光を諸に浴びて、宗渭の頭は異常な量の汗で塗れて眩しく反射していた。だが、劣勢に立たされたことで体力的に余裕がないのか、宗渭の槍は次第に力任せの粗が見え隠れするようになる。それを利蹊が見逃すはずもない。
食い縛る宗渭の口許を見たその瞬間、利蹊の槍は加速した。一直線に伸びた穂先は宗渭の右胸を捉え、深く抉った。
「うっ!!!」
声にならない呻き声と共に、力強く握られていた宗渭の槍が虚空を仰いで地に落ちた。一瞬の静寂の後、宗渭は最後の力を振り絞るようにして顔を見上げる。
「素晴らしい槍捌きであった。前田又左衛門利蹊、儂を倒したその名を心に刻んで冥府に赴くとしよう」
唇から血を漏れ出しながら、宗渭は力なく笑う。
「では、冥府にも轟かせてもらおうか。『槍の又左』の名をな」
宗渭の奮闘を称えるかのように、利蹊はニカッと歯を見せて笑みを浮かべた。
その直後、宗渭の体はダラリと馬の背から落ち、絶命に至った。そして利蹊は叫ぶ。
「敵将、三好釣竿斎宗渭、この前田又左衛門利蹊が討ち取ったりぃーー!!!」
利蹊の勝鬨と共に、寺倉軍の将兵は大いに沸き立った。反対に、三好軍の将兵は大将の討死により戦意を失い、宗渭の後を追って自刃したり、武器を放って降伏する者が続出して、戦は一気に収束していった。
だが、利蹊から離れたところで同じように、「真田十勇士」の三好伊三入道のモデルである三好宗渭の弟・三好一任斎為三との一騎討ちを繰り広げていた副将の本多忠勝だけは違った。しかし、やがて死闘を制した忠勝は「蜻蛉切」を天高く掲げると、誇らしく叫んだ。
「敵将、三好一任斎為三、寺倉家の将星が一人、本多平八郎忠勝が討ち取ったりぃーー!!!」
忠勝の声が男山に響き渡ると、両者の健闘を称えるように、男山で涼を取っていた蝉の鳴き声が、けたたましく戦場に木霊するのであった。
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