天下分け目の天王山② 呉越同舟

「日向守様、寺倉は前田利蹊率いる別働隊を男山の東から迂回させようとしており、どうやら我らの本隊を側面から襲わせる企みのようにございまする」


三好軍1万8千が大山崎に陣を構える蒲生・寺倉軍まであと一里(約4km)にまで接近したところで、本陣の三好長逸の元に物見の素破の報告が届いた。


「左様であるか。知らずに奇襲を食らえば致命傷となるところだが、事前に知れていれば何ということはない。数はどれ程だ?」


「3000程かと思われます」


「ふむ」


長逸はしばし考え込む。無論、別働隊の攻撃を受ける訳にはいかないため、迎撃を出す必要がある。だが、ただでさえ兵数で劣っている三好軍にとって、迎撃に割ける兵数は限られてくる。別働隊を打ち破るために無理して兵を送れば、更に本隊の兵数が減って自らの首を絞めかねない。


(くそっ、寺倉め。数の優位を笠に着て嫌らしい手を使って来よるな)


そんな時ふと、長逸は悪どい考えを思いつく。


「宗渭殿、我らは何としても別働隊を崩さねばならぬ。だからと言って、本隊の兵数をこれ以上削る訳にもいかん。そこで、貴殿には1000の兵を以って寺倉の別働隊を食い止めてもらいたいのだが、どうだ?」


3000の兵に1000の兵を以って対応しろとは、まるで捨て駒となれと言うかのような露骨な提案に、宗渭は憤怒で顔を歪める。


「ふん。左様な腰撓めな心算では、我らが無駄死するだけだ。御免被る。せめて2000の兵はなければ、勝ち目どころか、撃退すら叶うまい」


どう考えても長逸が自分を排除しようとしているとしか受け取れなかった宗渭は、ドスの利いた低い声音で敢然と拒否の姿勢を示した。


「ふふ、怖気づいたか。大仰な図体の割には小心者よな」


さも宗渭を使えない男だと嘲笑うかのように、長逸はわざとらしく溜息を吐く。長逸のそんな挑発的な態度には疾うの昔に慣れている宗渭は、一切気にせず淡々と返答する。


「煽っても無駄だ。本願寺の糞坊主共と一緒にしてもらっては困るな。元来、坊主は皆、小心者なのだ」


「ふん、ではこうしよう。貴殿が1000の兵で前田利蹊を打ち破った暁には、私は三好家の筆頭家臣の座を貴殿に譲り、一線から退こう。隠居して家督も久助に譲ろうではないか」


三好長逸は当主の三好義興の後見人であった松永久秀に勝利してからは、三好家の実権を握る長老的立場の筆頭家臣の座にあり、実質的な当主として三好家中に君臨していた。


その無二の権力の座を宗渭に譲るという、にわかには信じられない長逸の提案に、宗渭は眉を顰めて訝しむ。


(謀略に長けた長逸だ。騙し討ちなど幾度となく見てきた儂としては、奴の言葉は鵜呑みにはできないな)


長逸の真意を測りかねた宗渭は、しばしの沈黙の後に口を開いた。


「……本気か?」


宗渭の探るような目つきに、長逸は鼻で笑いながら告げる。


「ふっ。本気も本気よ。疑わしいと思うならば、誓紙を取り交わしても構わぬぞ」


「……良かろう。前田利蹊は我が手で食い止めよう」


そこまで言われてしまえば、宗渭も長逸の言葉を信じざるを得なかった。そもそも三好軍自体が不利な状況に置かれているのだ。長逸としてもこの戦いに絶対に勝たねば先がないという決死の覚悟があるはずだと考えて納得し、宗渭は首肯した。


だが、三好長逸という男はそんな甘くはなかった。


(ふっふっ、宗渭もまだまだ甘いな。ただでさえ3倍の兵と相対すれば勝ち目は薄い上に、敵将は猛将、前田利蹊だ。運が悪ければ宗渭は討死しようて。運良く前田利蹊を討ち取れたとしても、素破の手で宗渭を闇に葬り去ってしまえば、誓いなど無かったことになる。実権を譲ろうにも譲る相手がいなければ、どうしようもないのだからな。ふっふふ)


長逸はそんな謀略などおくびにも出さず、宗渭の背中を静かに見送ったのであった。




◇◇◇




「さて、如何にして数に勝る寺倉と蒲生を打ち破るべきか」


宗渭が本陣から去った後、長逸の頰を一筋の汗が流れ落ちる。真夏の緊迫感のある戦場で、長逸は戦術の思案に全精力を注いでいた。


長逸とて宗渭との主導権争いなどという内輪揉めに興じて、目の前の敵を疎かにしていた訳ではない。この戦いに負ければ三好家が滅びかねないという事の重大さは、当然ながら理解していたのである。


「久助よ、如何思う?」


長逸は常に傍に置いていた嫡男の三好長虎に声を掛けた。長虎は三好家中でも長逸の嫡男として確固たる地位を築き、三好三人衆の次に高い席次を誇っていた武将である。


聡明な長虎は、思案する父の邪魔をしないように黙ってジッと長逸を見つめていたが、長逸から突然、声を掛けられて表情を一切崩すことなく答えた。


「寺倉は必ずや鉄砲を多用して来ましょう。それに加えて、武田との戦いであの騎馬軍団を瞬く間に葬り去った大鉄砲とやらの攻撃にも対策が必要かと存じまする」


「うむ。見たことはないが、大鉄砲は恐ろしい兵器だと聞き及んでおる。文字どおり"大きな鉄砲"だとすれば、飛んで来た大きな弾が"当たりさえすれば"、確かに武田の騎馬軍団もひとたまりもなかろうな。ならば"当たらぬ"ような策を講ずるしかあるまい」


長逸とて大鉄砲をその目で見た訳ではない。果たして実際にはどれほどの威力の兵器なのか、伝え聞いた話だけでは大袈裟に誇張されているのだろうと、長逸も心の片隅ではどこか楽観視する気持ちがあった。


「根本的な解決にはなりませぬが、兵と兵の間隔を広げれば、一度に大勢の兵が死ぬのをある程度は減らせるでしょう」


大鉄砲は一度に多くの兵を仕留めるのに特化した兵器だ。兵と兵の間隔を広げれば、当然一度の砲撃で巻き込まれる兵の数は少なくなる。


「うむ、一先ずはそれで十分であろう。後は鉄砲の類であれば、夕立でも降ってくれれば、使えなくなるであろうが、こればかりはお天道様次第だな」


「父上の日頃の行いから考えれば、雨は期待しない方が宜しいかと存じまする」


さすがは長逸の子である。悪行の多い父に天運が期待できるとは考えていなかった。


「ふん、久助も言いよるな」


「それと、鉄砲に対しては竹の束を組んだ盾を前線の兵に持たせてはいかがかと。大山崎は湿地だと聞き及んでおりまする。あまり重い物を身に纏っていては動きが悪くなりまするが、軽い竹ならば鉄砲の弾の威力を幾分か防げるかと存じまする」


「ふむ。確かにその通りだな。では、その竹の盾はお前に任せる故、急いで手配させよ」


「ははっ」


長逸は竹盾の手配を長虎に一任した。別働隊として宗渭を派遣したことから、もはや三好軍本隊は長逸の支配下であった。


2日後、長逸は大量の竹盾を作らせて鉄砲の対策を講じると、三好軍は万全の態勢で大山崎の南に布陣した。


天下分け目の戦いが、ついに始まる。

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