天下分け目の天王山① 神算鬼謀

鬱陶しい梅雨が明け、夏本番となった7月上旬、俺は援軍ながら蒲生家の全軍を上回る2万の大軍を率いて、山城国の蒲生家の居城である槇島城に到着した。「寺倉六芒星」の内、浅井巖應を除く5人を動員し、将星と呼ばれる重臣もほとんど連れての大軍団だ。さらに、新たに家臣となった武藤喜兵衛を軍師に命じ、他の真田兄弟4人や武田義信にも勲功を挙げる機会として戦に参加させることにした。


一方、蒲生忠秀は動員限界の1万5千の兵を集めて既に待機しており、合わせて3万5千の大軍となった蒲生・寺倉連合軍は、山城国の西の拠点・勝竜寺城に進軍した。


俺たちが今回の戦で目指す侵攻目標は、摂津国の三好家の拠点・芥川山城であり、いよいよ畿内の覇権を賭けた三好との決戦が始まろうとしていた。





◇◇◇





三好山山頂に立つ摂津国最大級の山城・芥川山城。


ここを守るのは三好三人衆の残る2人、三好日向守長逸と三好釣竿斎宗渭である。三好三人衆は松永久秀との内乱に勝利した後、誰が主導権を握るかで相争っていたものの、3人の内の岩成友通が勝竜寺城で蒲生家に討たれ、さらには寺倉家という最大の強敵まで現れた今、内輪揉めの主導権争いは一旦保留となっていた。


一時的に協力することになった三好長逸と三好宗渭は、蒲生・寺倉連合軍が槇島城に集結しているとの報せを受けて、直ちに戦の準備を始めた。


「寺倉の2万、蒲生の1万5千、合わせて3万5千の大軍か。我らも全力で兵を集めているが、それでも不利は否めぬな」


宗渭は脂汗を垂れ流しながら告げる。長逸も倍近くの兵を相手取るという事態に、お世辞にも顔色が優れているとは言い難かった。


三好家は京の都と勝竜寺城を失った上、岩成友通も討死したことにより大きな痛手を被っていたが、それでも未だ70万石を超える領地を保有している。故に、今回の戦いに全てを賭ける三好長逸と三好宗渭は、摂津国と北河内、さらには四国からも兵を動員し、三好家の全兵力1万8千もの大軍を実現した。これでも倍近い戦力差があるが、十分に勝機はあると踏んだ2人は、野戦にて蒲生・寺倉連合軍の打倒を目指したのであった。




◇◇◇





山城国・勝竜寺城。


勝竜寺城に陣を構えた蒲生・寺倉連合軍は、本丸で作戦会議を開いていた。


「三好はほぼ全兵力の1万8千。山城と摂津の国境である、この大山崎に向けて進軍を始めたようです」


「左様でございまするか。籠城するかと思うておりましたが、まだ野戦で戦うだけの戦意は残っていたようですな」


素破から報告を受けた俺は、その情報を隠さず蒲生忠秀に伝えた。忠秀は寺倉家に対して多大な恩義を感じているのだろう、10歳も年下の俺に対する忠秀の目には、淀みのない憧憬と忠誠心を含んでいるように感じられる。


「周りにも伏兵は潜んでいない模様です故、おそらくは真正面からぶつかるつもりでしょうな」


俺はそんな視線をこそばゆく感じながら、思案に耽っているフリをする。


「いくら兵数で三好軍に勝る大軍を率いているとは言えども、徒に兵を失うのは好ましくありませぬ。蒲生家にしても寺倉家にしても最小限の被害に抑えたいと存じまする」


山城国と摂津国の国境に位置する大山崎は、天王山と淀川に挟まれる形で狭まった土地になっており、寺倉軍の得意とする釣り野伏の戦法が使える地形である。だが、指揮官として名高い藤堂虎高は従軍しているものの、今回の連合軍の半分弱が蒲生軍の兵であり、万単位の兵を相手に釣り野伏の戦法で戦うには、囮役が全滅するリスクが高すぎる。故に釣り野伏の戦法は、忠秀に提案する以前に俺の中で没となっていた。


「ふむ。伊賀守殿、では如何戦うべきでございましょうか?」


「この戦い、我らにとっても三好にとっても畿内の覇権を賭けた大戦にございまする。故に、兵数に劣る三好軍は背水の陣を敷き、玉砕覚悟の高い士気を以って突撃してくるはずにございまする。我らが兵数差に慢心して、馬鹿正直に正面からの力のぶつかり合いに応じれば、数の優位を覆されて我らが不利になる恐れも否めませぬ」


「確かに古今東西、伊賀守殿の『寺倉郷の戦い』など、寡兵が勝った例は幾つもございますれば、油断は大敵でございますな」


「左様にござる。そこで、ここ大山崎は油座で発展した町でございます。ならば念には念を入れて、その油を策に用いることといたしまする。大山崎の町の安全を保障するのと引き換えに、油座に油の提供を求めれば、必ずや商人たちも喜んで協力するでしょう。もし協力しない愚かな商人がいれば、戦後に潰すだけにございまする」


大山崎の町は荏胡麻の栽培とその種から採る荏胡麻油の製造、販売を独占的に行っていた特権商人で構成される油座が発展しており、狭い地形と淀川の水運から京と摂津を結ぶ交通の要所としても発展を遂げた地であった。忠秀は興味津々で訊ねてくる。


「それは分かりまするが、油をどうやって策に用いるのですかな?」


「大山崎の南側は沼地や湿地で、二町(約220m)ほどの幅しかない狭い場所でございます。町の南に野戦陣地を作り、馬防柵も張り巡らせ、その手前の一面に網の目のように溝を掘って油を撒くのです。陣地に向かって突撃してくる三好軍の人馬もぬかるんだ土で足を奪われることでしょう。そんな油に塗れた土地に火を放てば、辺りはたちまち火の海となり、人馬は炎に囲まれて逃げることも難しくなりましょう。さらに、人馬が炎に巻かれて混乱するところに、安全な野戦陣地から鉄砲の三段撃ちで更なる攻勢を仕掛ければ、さすがの三好軍も堪らず退却するでしょう」


俺は5月からこの辺りの地形を素破たちに入念に調べさせ、土地の特性を冷静に分析して、最も効果的に被害を与えられるであろう策を考えた上で、この大山崎を戦場に選んだのだ。孟子の「天の時は地の利に如かず。地の利は人の和に如かず」は戦略が成功する三条件だが、地の利を活かすのはやはり戦の鉄則だな。


それと、実はこの火計の策は、半兵衛が「小諸城の戦い」で用いた策からヒントを得て、俺なりにアレンジしたものだ。


「で、ですが、湿地や沼地の水気により油に点けた火が消えたりはしませぬか?」


「それは承知しております。元より焼け死ぬほどの大きな炎になるとは期待しておりませぬ故、せいぜい足止めして鉄砲の餌食になれば十分でございますし、その火をさらに大きくする策も用意しておりまする。さらには、三好軍の半分を占める摂津の国人衆には、以前より調略を仕掛けておりまする。いざとなれば三好家の家臣は四国に逃げられますが、摂津の国人衆は逃げる訳には参りませぬ故、内応に応じる者も一人や二人は出てくるかと存じまする。摂津の国人衆には大鉄砲で砲撃して少し脅かしてやれば、すぐに寝返るかと存じますが、如何でしょうか?」


「……伊賀守殿は本当に恐ろしい御方だ。斯様な戦術など、私では到底思い付かぬ神算鬼謀ですな。父上から伺ってはおりましたが、さすがは天照大御神様の御遣いですな」


忠秀は目を丸くして呆然としながら、俺を崇めるような目を向けていた。ここにも俺の信者が一人できたようだな。対照的に寺倉家の重臣たちは、もうとっくの昔に慣れっこという様子で毅然と佇んでいた。


軍議を終えると、俺は蒲生・寺倉の両軍の兵の前に蒲生忠秀と並んで立った。背水の陣で身命を賭して立ち向かってくるであろう三好軍に対して、将兵たちが一歩も引かないくらいの士気を高める鼓舞をするつもりであった。


「皆の者! 此度は天下分け目の戦いである! "将軍殺し"の三好を討ち倒し、我らが畿内に平穏をもたらすのだ! 蒲生・寺倉両家の力を結集せよ! 己が武器を天高く掲げるのだ!」


「えいッ! えいッ! 応ォォーー!!!!」


本来ならば年長の忠秀が鼓舞すべきなのだが、寺倉の方が兵数が多く、俺が鼓舞した方が効果が大きいと、忠秀から是非にと頼まれたので仕方ない。俺の横に立った忠秀は、喜々として兵たちと一緒に鬨の声を上げており、「近濃尾越同盟」を結ぶ対等な盟友としてはどうかとも思うが、忠秀は俺の檄で士気が向上した将兵たちの様子を見て、満面の笑みを浮かべているのだった。

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