武田家滅亡の余波
「武田が滅びたか」
「左様にございまする。驚くべきは身内に裏切られたということですな。まさか重臣の謀反により滅ぶとは、兄君の太郎殿も思いも寄らなかったことと存じまする」
光秀はこの乱世では日常茶飯事である身内の裏切りに、遠い目をしていた。
史実を知っている俺は、「本能寺の変」を起こす本人がそれを言うのもどうかとは思うが、光秀はこの世界では「本能寺の変」どころか、織田家にも仕えていないし、俺は信長のようなパワハラ紛いの無茶ぶりやブラック企業のような過重労働もさせていないので、全く心配はしていないのだが。全く心配はしていないのだが。
小山田信茂は史実と同じく勝頼を天目山に追い込んだようだが、勝頼の首を以って信長の元に参じて、御家存続を認めてもらおうという魂胆だったらしく、棲雲寺に火を放たれて勝頼の首が手に入らなかった信茂は、歯噛みして悔しがっていたそうだ。
信長は「武田二十四将」の一人に数えられる重臣の身分でありながら、凋落した主君を土壇場で裏切った信茂の降伏臣従を認めることはなく、すぐに処刑を決めたそうだ。勝頼への不信感から信茂に身を寄せていた穴山梅雪斎も信長の元に参ったようだが、信茂と一緒に処刑されている。
おそらく信茂の方は勝頼を自害に追い込み、武田家を滅ぼしたのだから、知行は減らされても、まさか処刑されるなどとは夢にも思っていなかっただろうな。
聡い信長のことだ。信茂と梅雪斎を磔刑にして甲斐の領民の憎悪を二人に向けさせることによって織田家に対する悪印象を弱めて、今後の甲斐の統治をやり易くしようという狙いがあったのだろうな。おそらく信長にとって二人はちょうど恰好のスケープゴートだったという訳だ。
いや、それ以前に信長は激情家だ。せっかく滅亡寸前に追い詰めた武田家の当主が甲斐に舞い戻って来たので討つつもりでいたのが、最後の美味しいところを横から信茂に掻っ攫われたのだ。まさに"鳶に油揚げを攫われた"格好の信長が、カッと頭に血が上って後先考えずに鬱憤晴らしで処刑した、というのが真相だろうな。
まぁ、仮に俺が信長の立場だったとしても、さほど身分が高くなくて冷遇されていたのならまだしも、武田家のお陰で散々甘い汁を吸ってきた重臣となれば、信用できるはずもないから迷わず処刑しただろうな。
それにしても、勝頼は史実どおりやっぱり天目山で死んだ訳だ。確か武田家が一時断絶し掛けた武田信満も天目山で自害していたはずだ。武田家の人間は天目山に吸い寄せられる理由が何かあるのだろうか。ただ、先祖の墓がある寺で生を終えることができたのだから、史実よりは少しはマシと言えるか。
対する半兵衛は小諸城から勝頼を逃してしまったことを不覚だと嘆いていたようだ。だが、表向きは"武田信玄"であった武田信廉を討ち取ったのだ。"信玄の死"によって完全に武田家を見限った人間も多くいたはずだから、多大な勲功と言っても過言ではないだろう。
一方、信長としても釈然としない結末だろうな。勝頼を信濃に逃してしまい、再び討ち取る機会が巡ってきたかと思えば、重臣の裏切りで自害されたのだ。大筋で史実と同じではあるが、少し気の毒ではあるな。
しかし、織田家はこの甲州征伐で西駿河と甲斐の2国33万石を獲った。いずれにしても天下泰平にまた一歩近づいたのは違いないのだから、俺としても喜ばしい。
それと竹中家が南信濃を制圧し、武田家が滅んだことで、上杉家は約定どおり北信濃を竹中家に譲った。これで永く武田家と上杉家の戦禍に巻き込まれた信濃が竹中家の下で統一され、信濃の民にもようやく平穏が訪れることになった。半兵衛も美濃・飛騨・信濃と順調に領国を広げているから、流石だと言うしかないな。
上杉家にとっても武田の滅亡で南の最大の脅威が失くなり、奥羽侵攻に全力を向けられることになる。会津の蘆名攻略には浅井家の援軍を得たが、今後の伊達や大崎などには竹中家の援軍を借りての攻勢が可能になる訳で、輝虎にとっても武田の滅亡は非常に大きかったに違いない。
寺倉家も夏には蒲生家に援軍を送り、摂津に未だ大きな勢力を保有している三好との決戦を行い、討ち果たすつもりだ。今や寺倉・蒲生連合軍の兵力は三好軍のそれを大きく上回っており、三好との決戦は畿内の覇者を決める「天下分け目の戦い」になるだろう。
もちろん俺は文官を除く重臣たちを総動員するつもりだが、それ以外にも三好の大軍を効果的に打ち破る策をいろいろ練っているところだ。その一つとして、信長に頼んで"あるもの"を入手しようと考えている。上手くいけば大きな成果を上げるはずだ。
その決戦で三好に勝利するのは当然のことだが、三好をどこまで弱体化できるかが今後の大きな鍵となるだろう。できれば三好を摂津から叩き出して、本拠のある四国に閉塞してもらい、土佐で勢力を伸ばしつつある長宗我部との領土争いで潰し合ってもらえば、再度の畿内進出は封じられるだろう。
◇◇◇
越後国・津川城。
5月上旬、上杉輝虎は素破から武田家滅亡の報告を受けていた。
「そうか、"ようやく"武田が滅んだか」
輝虎は津川城が雪に埋もれている間は甲州征伐の状況を逐一報告させており、長年の宿敵であった武田信玄が「焼津の戦い」で討死した後、影武者を使って信玄の死を秘匿していたことも素破を通じて既に掴んでいた。
したがって、信玄亡き武田家であれば、遅かれ早かれ織田家と竹中家に滅ぼされるのは必定であり、輝虎にとってはもはや驚くこともない想定内の出来事であった。
「さすがは織田上総介殿と竹中半兵衛殿よ。見事であるな。いや、やはり信玄を討った正吉郎の手柄が最も大きいのであろうな」
雪解け後、既に上杉・浅井連合軍は津川城から会津の蘆名領に攻め込んでいた。昨年末に蘆名止々斎・盛興父子が討死して当主不在の蘆名家であるが、未だ領内の各城には降伏するのを良しとしない強情な家臣や国人たちがわずかな兵で立て籠もっており、それを根気強く一つずつ落としていかねばならないのだ。
「さて、我らも夏までには蘆名領を制圧したいものだな」
◇◇◇
相模国・小田原城。
同じ頃、北条家の先代当主・北条氏康と息子の当主・北条氏政も武田家の滅亡を知って、自分たちの見込み違いを嘆いていた。
「まさか武田が滅ぶとはのぅ。お梅の方(黄梅院)が嫁いでいる当家を頼ってくれれば、四郎殿も死ぬことはなかったろうに……。一時は当家とも両属していた小山田がまさか武田を裏切るとはな」
「左様にございますな。やはり小山田越前守に四郎殿の身柄を当家に引き渡すように、使者を送って念を入れておくべきでしたな。それと……」
「それと、何だ?」
「お梅の方も実家を失って酷く気を落としておりまする」
氏政は武田家から嫁いだ妻・お梅の方を気遣っていた。
「それは尤もであるな。新九郎、お梅の方は身重の大事な身体故、心労で子を流したりしては一大事だ。よくよく労わって養生させるのだな」
「はい、承知しておりまする」
「だが、武田が滅んだとなれば、織田は次は間違いなく当家を攻めて来よう。佐竹との同盟や関東の国人衆をまとめ上げるしか、織田に対抗する手はあるまいて」
「佐竹は上杉が蘆名を攻めております故、北の国境を案じておる様子。此方に合力する余裕がありますかどうか。南関東も里見が上総でしぶとく蠢いております故、まとめるのになかなか難儀しておりまする」
「だが、北条が武田と同じ轍を踏む訳には行かぬ。河東と伊豆の守りを固めるのは無論だが、長期の籠城に備えて上杉との戦の時よりもさらに小田原城の備えを厚くせねばなるまい」
北条氏康・氏政父子は来るべき織田家との戦いに向けて、徹底抗戦に備えるのであった。
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