甲州征伐⑨ 天目山の戦い

4月下旬、甲斐国都留郡にある谷村城に向かう武田軍は、信濃との国境沿いに上野から武蔵の奥秩父を経て、ついに甲斐に入る雁坂峠を目前にした山中で野営していた。


上野や北武蔵は上杉領であり、「近濃尾越同盟」に敵対する武田家のわずか300人の逃避行が見つかれば、すぐに討ち滅ぼされかねない。そのため大きな街道は通れず、獣道程度の山道や道のない山森を通り、煮炊きの煙が見つかるのを警戒して夜以外は火を起こせず、小諸城を脱出してから7日続けて山中での野営を強いられていた。


普段から野山を歩いていた兵たちとは違い、武田家の御曹司だった勝頼はさすがに疲労の色が濃かったが、それでも根を上げずに一行について来ており、今はまだ熟睡していた。


一方、高坂昌信は胸中に燻る不安からまだ暗い未明の時間に目覚めていた。5日前に小山田家に出立した使者が未だ戻って来ないのである。使者を命じた兵は一行の中で最も山歩きが得意な男であり、出立前に雁坂峠を通る予定は伝えてあったのだ。


(おそらく使者の役目に乗じて逃げ出し、故郷にでも戻ったというところであろうな。仮に使者が逃げて小山田信茂に話が通っていないとしても、四郎様率いる武田軍が助けを求めているとなれば、重臣の信茂ならば受け入れてくれるだろう)


昌信が深く溜息を吐くと、将兵の寝息が耳に届くほどの静寂は突然打ち破られた。


「火急の報せにございまする! 小山田が謀反、兵を率い、此方へ向かっておりまする!」


「何だと?! それは真か! 数は? 今どこにいる?」


「数は1000、松姫峠の南3里の所で野営中で、北に向かっておりまする。おそらくは小菅を経て西の大菩薩峠に向かうかと存じまする」


物見の透破から突如として予想外の災難を知らされ、さすがの昌信も、頼みの綱だった小山田信茂の反逆には動揺せずにはいられない。


(これならば小山田家に送った使者が帰って来ないのも辻褄が合う。もしかすると信茂は疾うに織田への寝返りを決めておったのやもしれぬ。四郎様の首を手土産にすれば、知行は多少減らされようとも御家は存続できると踏んだのであろう。腹に一物抱えた信用ならぬ男だとは薄々感じてはいたが、ここまで卑怯だとは見下げた奴だ!)


昌信は信茂の背信行為を心中で痛烈に批判する。怒りと怨嗟の言葉で悪態を吐きたいのは山々だったが、それが将兵の心を乱すと分かっていたため思い留まった。


昌信はふと勝頼に目を向けると、目を覚ましたのか、顔面蒼白で唇はわなわなと震えていた。頼りの味方にも裏切られ、まさに四面楚歌の最悪の事態だ。無理もない。


(四郎様があの状態なのだ。今、自分まで取り乱せば瞬く間にそれは広まり、兵たちまで動揺してしまう。せめて自分だけは最後まで毅然としていなければならぬ)


動悸に震える心の臓を抑え込みながら、昌信は兜の緒を締めた。


「四郎様! 毅然となさいませ! 武田家の当主が狼狽えた姿を家臣に見せてはなりませぬぞ!」


昌信の言葉に勝頼はハッ、となって周りを見渡すと、目に映る将兵の顔には不安と動揺の色が浮かんでいる。


(私は何をしているのだ! ここまで付き従ってくれた兵たちを裏切る訳には行かぬ! 武田の当主として最後くらいは恥ずかしくない姿を見せねばならぬ!)


勝頼は自分で自分を叱咤し、戒める。あまりに情けない武田家当主では、冥府で信玄に顔向けができない。


「……済まぬ。兵たちに情けない姿は見せられぬな。礼を申すぞ」


勝頼の目に意志の光が灯っているのを見た昌信は、微笑みを浮かべて頷くと向き直った。


「四郎様。こうなれば、もはや北条を頼るしかありませぬが、ここから相模に向かうには小山田の領地を通らねばなりませぬ。あるいはこの道を一旦戻って東の武蔵に出る策もございますが、いかがなさいますか?」


昌信は気を取り直し、勝頼に自分たちの命運を左右する決断を仰ぐ。すると、勝頼はしばし瞑目した後、カッと目を見開いて淀みなく答えた。


「私と皆の命を第一に考えれば東に向かうべきなのであろう。だが、私にも武田家当主としての誇りと意地がある。謀反人の小山田信茂を相手に逃げとうなどない。既に太郎兄上は寺倉家に身を寄せておる故、武田の血脈は残るであろう。ならば弾正、最後の我が儘を許してはくれぬか?」


勝頼は真田信綱の置き手紙から、織田に攫われたと案じていた兄・義信が無事で、寺倉家に仕官していると知って安堵していた。これで勝頼が死んでも武田の血が途絶えることはないのだ。


「構いませぬぞ。私も信茂めに後悔させてからでないと死に切れませぬ。ふ、ふふっ」


「そのとおりだな。は、ははっはっ」


子供のように無邪気に笑い合う二人の姿を見て、不安に押し潰されようとしていた兵の間に安堵が広がると、勝頼が将兵たちに号令を掛ける。


「皆の者、我らはこれより木賊山に向かう! 我が軍の最後は逆臣・小山田信茂との戦だ! 我の為に命を捨てんという者は、後に続けーぃ!!」


「「「えいッ!えいッ!応ォォーー!!!」」」


未明の静寂の山中に武田軍の鬨の声が響き渡り、驚いた鳥たちが一斉に飛び立ったのだった。




◇◇◇






武田軍は日本でも有数の標高にある雁坂峠を越えて一路南下し、途中で坂脇峠を東に越えると、2日後の夕方、木賊山の麓の武田家と所縁のある棲雲寺に到着した。


棲雲寺の山号は"天目山"と言い、木賊山は奇しくも史実の「天目山の戦い」で勝頼が織田家に追い込まれて自決した山、天目山であった。


武田家と棲雲寺の所縁とは、150年ほど前の「上杉禅秀の乱」に加担したとして、幕府の討伐を受けて木賊山で自決した甲斐武田家第13代当主・武田信満の墓所が、この棲雲寺にあることであった。その所縁を知っていた勝頼は、甲斐武田家が一時断絶し掛けた因縁の地である木賊山こそ、甲斐武田家の最後の当主となる自分の最期の地に相応しいと考えたのだ。


勝頼が棲雲寺に到着した直後に、物見に出ていた透破が戻って来た。


「昼前に大菩薩峠の東で西進する小山田軍を見つけました。ここに到着するのは明日の昼過ぎかと存じまする」


武田軍は少人数の隊だったのが幸いして険しい山道を速く移動し、小山田軍より1日先行することができ、逃避行の長旅を続けてきた兵たちは体を休める時間を得たのであった。


勝頼は先祖の武田信満の墓に赴いた。荒れて寂れていた墓を掃除した後、信満の墓碑に手を合わせて先祖の冥福を祈る。


(ご先祖様、私は甲斐武田家を滅ぼしてしまう不肖の末裔にございます。ですが、武田の血は途絶えませぬ故、ご安心くだされ。私は明日この地で御旗楯無の誇りを胸に謀反人と戦って散る覚悟にございまする。私と共に戦ってくれる武田の忠義の臣たちに、どうかご先祖様の加護を授け給え)


先祖の墓参りを済ませた勝頼ら主従は、久しぶりの風呂に入って長旅の垢と土汚れを落として疲れを癒すと、その夜、棲雲寺でささやかながら最後の宴を開き、別れの盃を酌み交わしたのであった。


翌朝、勝頼ら武田軍300は棲雲寺を本陣として北から南下してくる小山田軍を待ち構えるように布陣すると、昼過ぎに小山田信茂と穴山梅雪斎率いる1000余りの軍勢も到着し、ついに天目山を最後の戦場として両軍が対峙したのである。

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