甲州征伐⑧ 小山田信茂の背信
甲斐国・谷村城。
「四郎様が此方に向かっているとな?」
4月下旬、武田勝頼は一行の中で最も山歩きの得意な者を小山田信茂への先触れの使者として送り、信茂は居城の谷村城で使者を前にして、独り言の如くボソボソと呟いた。
小山田氏は甲斐東部の郡内地方の国人衆の代表格であり、当代の信茂は「武田二十四将」の一人として、武田家中において高き地位と名声を築いていた。
だが、今の信茂の心中は穏やかならざる複雑な感情で支配されていた。それというのも、信茂は武田家の重臣に数えられながら、武田信玄の死を伝えられなかったためである。
昨年の「焼津の戦い」から帰還して以来、"信玄"や他の重臣たちのどこか壁を感じる言動に、他人の心の機微に敏感な信茂が違和感を感じない訳がなかった。
そして、年が明けて間もなく信玄の死の噂が甲斐の国中に広がるようになると、武田家中でも噂の真偽と出元を巡って、重臣たちも根拠のない様々な憶測で半ば公然と噂話を口にするようになった。
もちろん信茂も信玄の死を信じたくない気持ちが強かったのは事実だが、一方で信玄と瓜二つの弟・信廉が「焼津の戦い」以降、消息を絶っているのにも関わらず、兄の信玄が一向に信廉の安否を案じる様子を見せないことから、信茂も次第に噂話の影武者説を無視できなくなりつつあった。
そして、家中で影武者説が信憑性を以って囁かれるようになると、2月初旬ににわかに信玄から信廉が「焼津の戦い」に援軍に駆けつけて討死したと公表され、取ってつけたような不自然な信廉の葬儀が挙げられるに至り、"まだ信玄は生きている"という信茂の一縷の望みは無残に打ち砕かれ、もはや信玄の死は確信に変わったのであった。
信茂は当然"信玄が死んだ"ことに酷く落胆はすれども、武田家に対する忠誠は確固なものであるはずだった。しかし、信茂はなぜか体の震えを止められなかった。それが何に因るものなのか、薄々感じてはいた。
"信玄の死を秘匿された"、その事実は「武田二十四将」としての強い自負を抱いていた信茂にとっては、重臣としての誇りを踏み躙られ、これまで長きに渡って築き上げてきた武田家との主従の信頼関係が無に帰するほどの重大な問題だったのである。
無論、信茂自身にも非はあった。日頃からの傲岸不遜な立ち居振る舞いと、腹に一物を抱えていそうな信用ならない言動は、真の武田家当主である勝頼からすれば不信感から敬遠するに値する理由になっていたのだった。
そして今、要害山城と小諸城で立て続けに二度の大敗を喫して、先代当主の信玄とは比べるまでもない無能さをあからさまにした勝頼が、もはや他に頼る者がおらず、恥を忍んでこの自分に縋って身を寄せようとしている。勝頼から信用されずに"信玄の死"を秘匿された信茂にとってすれば、そう捉えられても仕方なかった。
「四郎様に付き従う兵の数はどれほどだ?」
「はっ。300程にございまする」
しばらく沈黙して思案していた信茂がようやく口を開くと、使者はホッと安堵して信茂の問いに答える。
(ふふっ。半年前までは甲斐・南信濃・駿河の3国を治めて栄華を誇った武田の当主も、今や兵300の残党にまで落ちぶれたか。盛者必衰とはまさに武田のことよな)
信茂は痛快な気分で、内心では無様な勝頼を蔑み、嘲笑しながら唾棄していた。
一方で、織田家が甲斐西部の国中地方を制圧した今、次はこの郡内に攻め入るのは明白である。たとえ「武田二十四将」の一人である信茂と言えども、降伏するか敵対するか、未だ態度を明らかにしていない小山田家がここで勝頼を匿うことは、織田家に対する明らかな敵対行為であり、もはや臣従どころか、御家断絶を一層確実にさせるのは明白である。
仮に小山田家が全力を以って武田に援助したとしても、勝頼の兵300を合わせて、せいぜい1000を少し超える程度にしかならない。その程度の兵力で織田の攻勢を防ぎ、武田が復興を果たす可能性は皆無に等しいと言えるだろう。
であれば、小山田家にとって勝頼に味方することは何の旨味もなく、明らかに愚策である。むしろ勝頼の首を討ち取り、織田への臣従の手土産として差し出せば、御家存続だけでなく、好待遇を得ることもできるはずだ。
無論、長年重臣として仕えてきた主家である武田を裏切るのは、信茂にとっても容易い判断ではなかったが、御家の存続、ただその一点を目指すという理由から信茂の心中でその判断は正当化され、罪悪感は拭い去られたのであった。
「左様か。……済まぬが、四郎様を我が領内に受け入れることはできぬ」
「はっ?! 越前守様、それは如何な意味でございまするか?」
「今申した言葉のとおりだ。ここまで落ちぶれた武田家を匿えば、当家も滅ぶは必定。ならば、もはや四郎様に義理立てしてお救けする訳には参らぬ、ということだ」
「まさか越前守様が……!!」
まさか「武田二十四将」の一人である重臣の小山田信茂が裏切ろうとは、露ほどにも思っていなかったのか、勝頼の使者は目を見開いて驚きを露わにしている。
「お主は我の意思を知ってしまった。四郎様の使者故、殺しはせぬが、牢で大人しくしていただこう。連れていけ」
「なっ! 越前守様、何卒お考え直しくだされぇ!」
使者はそれ以上、言葉を紡ぎ出すことはできなかった。小山田家の家臣に為すがままに身を拘束され、無言の信茂に冷徹な目で見つめられながら連行されていった。
◇◇◇
勝頼の使者が連行されていくのを見届けると、信茂は隣の部屋に入っていった。
「梅雪斎殿、話は聞かれておられましたな?」
その部屋には一人の男が座っていた。名を穴山梅雪斎と言い、信茂と同じく「武田二十四将」の一人である。
穴山家は武田家と代々婚姻や養子縁組で姻戚関係を結び、武田家の重臣の地位を築いていた家柄であり、当代の梅雪斎は甲斐南部の河内地方を領した国人衆の重鎮であり、まだ20代半ばの若さであるが、昨年出家して信君から梅雪斎不白と号していた。
しかし、3月の織田軍の甲斐侵攻により梅雪斎の領地である河内地方は最初に織田に奪われることになったが、梅雪斎はその時点では織田からの降伏勧告には応じなかった。
とは言え、信茂と同じく、勝頼から"信玄の死を秘匿された"ことにより武田家に対する不信感が芽生えた梅雪斎は、要害山城への合流指示に従わず、信茂を頼って小山田家に身を寄せていたのであった。
「うむ。確と伺いました」
「では、梅雪斎殿は如何されるおつもりかな?」
「私も心苦しくはござるが、越前守殿と同じく、もはや武田家に味方する訳には参らぬと存ずる」
「では、四郎様の首を以って、共に織田家に降るということで宜しいですな?」
「たとえ不忠者の誹りを受けようとも、御家存続のためにはそれしかありますまい」
「合力いただき、かたじけなく存ずる」
こうして、小山田信茂と穴山梅雪斎は謀反の兵を挙げ、織田に臣従する意思を固めたのであった。
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