甲州征伐④ 真田家の岐路と別離
武田勝頼率いる武田軍は、籠城していた要害山城を深夜に脱出すると北上し、殿の一条信龍の決死の活躍もあり、どうにか山越えを果たして信濃国に落ち延びることができた。
しかし、武田家の本拠だった甲斐国を捨てたことにより山中で離反する兵が多く出て、要害山城を出る際には3000いた兵が信濃に入る頃には2000にまで減っていた。
無理もない。今の状況からすれば武田家の敗北は必至である。付いていったところで何ら得する見込みはなく、離反した兵の殆どは甲斐から落ち延びるのを良しとしない者たちであった。
対照的に、武田家に最も高い忠誠を誓っていた一条家の兵たちは、"信玄"と勝頼を逃がすために身命を賭して要害山城で命を散らしてしまった。
そして、武田家の誇る「武田四天王」も今や高坂昌信、ただ一人となっていた。「甲越同盟」による和睦で更級郡の所領を失った昌信は、駿河に新しく領地を得ていたが、その駿河も失ったため、昌信は信玄の遺言に従い、信廉と共に勝頼を支えていたのである。
だが、勝頼は諦めてはいなかった。信龍の犠牲を無にする訳にはいかない。最後の最後まで抵抗し、必ずや武田家の再興を目指す覚悟であり、甲斐の大部分を失った今、勝頼が身を寄せる先は佐久郡の小諸城を守る真田家であった。
真田家は「滋野三家」の海野氏の一族であり、真田幸隆はかつて武田信玄が苦戦していた村上義清の居城・戸石城を謀略により落城させたことから、「武田二十四将」の一人としての地位を獲得した。しかし、その後「甲越同盟」による和睦でやはり小県郡の所領を失った幸隆は小諸城を与えられ、佐久郡の守備を任せられていたのであった。
そして、険しい山越えの末に信濃に入った武田軍は、要害山城を出てから4日目、ようやくその真田幸隆の居城・小諸城に入城した。この時、既に残る兵は1500ほどに減っていた。厳しい山越えに根を上げた者もいれば、見知らぬ信濃の地に行くのを拒み、山中で野営する度にこっそり引き返していった者がいたのだ。
一方、この時、織田軍はまだ一条信龍の突撃による被害が大きく、勝頼を追撃する態勢が整ってはおらず、要害山城から動くことはなかった。
だが、織田軍が動かない理由はそれだけではなく、諏訪郡を瞬く間に制圧した竹中軍が、東山道を通って佐久郡に進軍を始めたためである。
半兵衛は信濃は「近濃尾越六家同盟」で定めた自らの領分であることと、武田家を討ち滅ぼすことで竹中家の家名と武威を一層高めることができるという目論見から、信長に「後は任せて欲しい」と伝え、織田軍を制して諏訪郡から一路北上を始めたのであった。
◇◇◇
信濃国・小諸城。
「父上、それは一体どういうことにございまするか?!」
人払いを済ませた夜更けの城の奥の一室で、真田家当主・真田信綱は声を潜めながらも目を見開いて目の前の父・幸隆に訊ねた。
狭い一室には、真田幸隆とその息子たちである長男・真田信綱、次男・真田昌輝、四男で加津野家に養子に入った加津野信昌、五男・真田信春の5人が膝を突き合わせて座っていた。信綱だけでなく、他の弟たちも頷いて、信綱と同じように幸隆を責めるような面持ちをしている。
そんな息子たちを「まだまだ青いな」と心中で苦笑しながら、小諸城の城主であり、真田家の家督を信綱に譲ったものの、未だに真田家の実権を握る真田幸隆は、落ち着いた所作で煎茶を啜りながら、さも何でもないかのように返答する。
「今申した言葉のとおりよ。お前たちに寺倉家に身を寄せろと申しておるのだ」
「武田家を裏切れと、そう申すのですか!」
「いや、それはちと早合点が過ぎるぞ。御屋形様が討死された今、もはや武田家はここ、佐久郡を残すのみの風前の灯だ。聡明なお前たちならば分かるであろう? この乱世で主家を見限って勝ち馬に乗ることは、確かに忠義には反するが、決して間違った行いではないのだ。信綱よ、違うか?」
「……そ、それでも、私は御屋形様に恩義を持つ身でございます故、武田家を裏切るつもりなど毛頭ございませぬ」
信綱は初陣で一番槍の功名を挙げるほどの豪勇を誇り、信玄から将来を嘱望されて恩寵を賜ったという恩義と、「武田二十四将」の一人としての矜持があった。だからこそ、たとえ信玄亡き後でも武田家に対する想いは人一倍強かったのだ。
だが、時代の先読みと謀略に長けた真田家の血筋において、信綱の性格はやや愚直な面が目立った。その分、"武"の才に特化した活躍を見せており、それが信玄に重用された理由の一つでもあるのだが、今の局面において真田家を守るためには、幸隆は当主である信綱を討死必至の負け戦に参加させる訳には絶対にいかなかったのである。
「そうか。お前がそう申すのであれば、この儂がこの城に残り、武田と共に散ろう。さすれば、お前の申す『恩義』とやらも果たせるであろう?」
「な、何を申すのですか! 父上を見殺しにすることなど、断じて私にはできませぬ!」
「二つに一つだ。何も織田や竹中に寝返ろと申している訳ではない。源五郎が焼津で寺倉家に捕らわれたのは当然耳にしておるな?」
「「勿論にございまする!」」
幸隆の息子の5人兄弟は大変仲が良く、三男の武藤喜兵衛が「焼津の戦い」で捕虜となったのを知った兄弟たちは、当然ながら皆心配していたのである。
「源五郎は生きておる。"人質"としてな」
「「源五郎は生きているのですか? 無事なのですな!」」
兄弟たちは喜兵衛の生存を知って喜色満面となる。
「うむ。源五郎は虜囚の身でありながら、儂に文を送ることを許された。その文がこれだが、源五郎が文を送ってきたことの意味が分かるか?」
幸隆は懐から手紙を取り出すと徐に息子たちの前に広げた。
「「源五郎は何と?」」
「まぁ、そう慌てるでない。この文にはこう書いてある。源五郎の命は寺倉家に握られているが、お前たち兄弟が寺倉家に身を寄せることで源五郎の命は救われ、お前たち諸共、寺倉家の家臣として召し抱えると、寺倉家当主の寺倉正吉郎と約定を交わしたとな。それと、廃嫡されてどこぞに幽閉されていた太郎様が、今は救け出されて寺倉家の元に身を寄せているそうだ」
「「なんと、太郎様が寺倉家に?!」」
喜兵衛だけでなく、義信の廃嫡には内心で反対していた真田家の兄弟たちは、義信の無事と寺倉家を頼っていることに驚いていた。
「さらに、その文の末尾にはこう書いておった。『死にたければ死ね。されど、生きていればまだまだ楽しいものが見られるぞ』とな」
勿論、「お前たち兄弟が寺倉家に身を寄せることで源五郎の命は救われる」というのは喜兵衛の体のいい嘘である。
可愛い弟の命を握り、脅して無理やり家臣に迎え入れたところで、当然ながら不穏分子になるのは目に見えている。となれば、これは喜兵衛の施した緻密な謀略であった。
兄弟たちの身を危うくさせることなく、何とか無事に落ち延びさせられる方法はないかと考え抜いた喜兵衛は、信綱ら兄弟たちが臣下に加わることを正吉郎に了承してもらった上で、わざと最後に信綱たちが揺さぶられるような文言を書いた手紙を、素破を使って幸隆に送りつけたのである。
幸隆はすぐに喜兵衛の意図に気づいていたが、“愚直な“信綱や弟たちがそこまでの思考に至ることはなく、信綱は歯を食い縛ったまま絞り出すように言葉を紡いだ。
「分かり申した。父上との今生の別れは辛うございまするが、私も武家に生まれた男にござる。甘んじて定めを受け入れまする」
他の弟たちも、「武田二十四将」の一人として武田家中で確固たる地位を築いていた真田家当主の信綱が賛同したことで、信綱の意向に倣うように寺倉家への臣従を了承する口上を述べていく。
「うむ。信綱よ。お前は真田家の当主だ。たとえ信濃の地から離れようとも真田家の血を絶やさず、御家を隆盛させることだけは努々忘れてはならぬ。良いな」
「はい、承知しました。どうか父上もご武運をお祈りいたしておりまする。うっうっ」
最後は涙声になった信綱に釣られるように、弟たちも父との別れにすすり泣く。
「泣くな。武田家の後のことは儂に任せておけば良い。余命幾ばくもないこの老体に鞭打って、最後くらいは華々しく散ってやるわい。わっはっは」
幸隆は別れの場に似合わない愉快な笑いで陰鬱な空気を吹き飛ばした。
信綱は主君である勝頼を想いながらも、努めて冷静さを保って暇乞いの手紙を認めて幸隆に託すと、その夜の内に弟たちや家族を連れて密かに小諸城を後にした。
2日後に幸隆から信綱の手紙を渡されて読んだ勝頼は、迫真の演技で伏して謝罪する幸隆の気持ちを慮り、信綱らの出奔を許したのであった。
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