義信救出③ 小笠原長時の改心
小笠原長時の指揮の下、さながら一騎当千の活躍を見せる寺倉騎馬隊は、戦国最強の武田騎馬隊にも決して引けは取らない卓越した戦いぶりを見せていた。
この奮戦を引き出しているのは、騎馬隊を率いる将・小笠原長時である。
元は信濃国守護であった小笠原長時は、華々しく勇ましい小笠原家の騎馬隊に誇りを持っていたが、その誇りはある日突然、粉々に打ち砕かれた。
1548年、武田晴信率いる武田軍との戦いで、信濃の国人衆を集めて兵数で勝っていた小笠原軍は、陣を張った勝弦峠で絶対に勝てると確信していた。だが、その油断がその後の地獄を招くことになった。
武田晴信の策略による鈍重な行軍を知って、しばらくは武田軍が辿り着くことはないと思い込んだ小笠原軍の将兵の大半は、武具を脱いで完全に気を抜いて就寝しており、戦う態勢など取れるはずもなかった。
そして、武田軍はまだ陽が昇らない未明の時刻に、小笠原軍の本陣のある勝弦峠を奇襲し、完全に油断していた小笠原軍は、大半が寄せ集めの統率が取れない将兵であったことも災いして、ほとんど抵抗もできずに大敗を喫した。この「勝弦峠の戦い」で小笠原軍は1000人もの死者を出して総崩れとなり、これを機に長時は信濃を追われることになったのである。
長時の心にあったのは、自分を信濃から追い出した武田家に一矢でも報いることであった。長時は何度も夢に見たこの敗戦の教訓をしっかりと噛み締め、冷静な思考と共に兵を鼓舞し続けた。「もう二度と同じ過ちは繰り返さん」と。
長時は信濃を追われてからも武田家、特に武田信玄に対する復讐心を常に抱き続けていた。それは心の深くに根付き、将軍家の客将として在京していた時でも、武田に対する復讐心が色褪せることはなかった。
しかし、そんな復讐心に捉われた長時が目覚めたのは、正吉郎の過去を聞かされた時であった。
寺倉家は“復讐”を契機に成り上がった家である。しかし、正吉郎の個人的な復讐心によって家臣や民を危険に晒してしまったことから、正吉郎の脳裏には今もなお消えることのない後悔の念が燻り続けているのだと、長時は正吉郎から聞かされたのだ。
そして、正吉郎は何の目的もないまま、ただ“復讐”を果たした後には何も産むことはなく、空虚な抜け殻しか残らないことに気づかされ、笑顔の絶えない世の中、即ち天下泰平を志すようになったのだと聞かされ、長時は仇敵に執着するあまり、人生の目的が武田への復讐だけになっていた自分を省みて恥じ入り、考えを改めるには十分だったのであった。
そして、長時は“寺倉家を盛り立て、正吉郎の天下泰平を全身全霊を以って支える”という明確な目標を持つに至った。この義信救出作戦に志願したのも、自身の心に蔓延る武田への復讐心にケリをつけるためであったのだ。
一兵たりともこの先には進ませない。長時の決意は配下の精鋭たちにも伝わり、数に勝る武田の追撃部隊を翻弄し、頑強な抵抗を続けた。
そして四半刻の戦いの後、武田の追撃部隊は半数近くを失い、これ以上の追撃は愚策だと判断し、やむなく退却していった。対する長時率いる寺倉騎馬隊の被害は極めて軽微であり、まさに長時の大勝利であった。
この時の小笠原長時の奮戦は後世に遍く伝わることとなり、その人馬一体の戦いぶりから世に比肩する者のない“天下無双の騎馬大将”と賞賛を受けることになる。
長時の活躍もあり、笛吹川を南下した武田義信と武藤喜兵衛の乗る舟は富士川に達し、織田領内の西駿河へと逃げ込むことに成功する。さらに一行は駿府から志摩水軍の船で寺倉領に移動し、3月10日、統麟城へと無事帰還したのであった。
◇◇◇
近江国・統麟城。
義信が登城したとの報告を受けると、俺は会見の間に通し、虎高、長時、喜兵衛に加えて今川氏真を同席させて、武田義信と面会した。
「武田太郎義信と申す。此度は敵でありながら幽閉の身の私を救け出してくださいましたこと、誠にかたじけなく、厚く御礼申し上げまする」
初めて会った武田義信は信玄とは違って細身の引き締まった身体で、見るからに温厚で誠実そうな風貌をしていた。
「寺倉正吉郎伊賀守蹊政でござる。太郎殿、遠路はるばるよくぞ参られましたな。虎高、長時、そして喜兵衛、よくぞ難しい役目を見事に果たしてくれたな。誠に大儀であった」
「「ははっ」」
「太郎殿。当家には貴殿の祖父・無人斎道有殿も仕えておる故、後日にでも会われるが良かろう。道有殿も喜ばれるであろう。それと、貴殿が離縁させられた嶺松院殿も今川彦五郎の屋敷に住んでおられるぞ」
「なんと! それは真でございまするか?」
強制離婚させられた嶺松院がいると聞いて驚く義信を見て、俺は氏真の方を向くと頷いてみせる。
「武田太郎殿、私は今川彦五郎治部大輔氏真と申しまする。宜しければ妹・嶺松院にぜひ会ってやってはもらえぬだろうか? 妹も駿府に戻ってからは元気がない故、貴殿に会えばさぞや喜ぶであろう」
「今川彦五郎殿。お初にお目に掛かりまする。亡き父・信玄が今川家との同盟を破棄し、駿河を簒奪したこと、深くお詫び申しまする」
義信には信玄のした行為に全く責任はないはずなのだが、やはり一言謝罪せずにはいられないのだろう。
「いえ、むしろ太郎殿は同盟破棄に反対したが故に廃嫡され、長く幽閉されていたと聞き及んでおりまする。気の毒に思うことはあっても、貴殿を恨むことなどございませぬ」
氏真の言葉は、偽りなき本心であった。
「彦五郎殿。お気遣いいただき、誠にかたじけなく存じまする。嶺松院とは別れの言葉も交わせず離縁させられました故、ぜひもう一度会って話をしたいと存じまする。ですが、その前に、寺倉伊賀守様。この武田太郎義信を寺倉家に仕えさせていただきたく伏してお願い申しまする」
義信は俺の方に向き直ると、深々と平伏して寺倉家への仕官を願い出た。武田家の元嫡男だ。おそらく信玄以外に平伏したのは初めてだろうな。
「武田太郎殿、私は貴殿の父、信玄殿を討った親の仇だぞ。それでも私に仕えたいと申されるのか?」
万が一にでも義信に叛意があっては取り返しのつかないことになる。俺は義信の真意を見定めようと彼の目をジッと見据えて訊ねた。
「はい。父、信玄と私は水と油の関係でございました故、廃嫡された時に既に父との決別は済んでおりまする。むしろ私は父の果たせなかった天下泰平の夢を、寺倉伊賀守様の下で果たしたく存じまする」
わざわざ兵を喜兵衛に貸してまで自分を救出してくれたことに大きな恩義を感じているのか、義信は一切淀みのない真っ直ぐな眼差しを俺に向けていた。
「……うむ、相分かった! 喜んで貴殿を寺倉家家臣として迎えよう。武田太郎義信、天下泰平の世を作り出すため、これから宜しく頼むぞ」
「ははっ、誠心誠意励む所存にございまする」
こうして、武田義信は寺倉家に臣従し、武藤喜兵衛と共に「寺倉十六将星」に数えられ、寺倉家を支えることになる。
俺との会見の後、義信は廃嫡された際に離縁させられた嶺松院と再会したそうだ。甲斐ではおしどり夫婦だった二人は滂沱の涙を流して再会を喜び合い、すぐに復縁して再び夫婦になったそうだ。
そして、同い年の義信と氏真は再び義理の兄弟の間柄となり、二人は固い友情を結ぶまでに至った。
さらに数日後には、義信は京に駐在する祖父・無人斎道有とも再会を果たし、道有は思いも寄らない可愛い孫との再会に涙を流して喜んだのであった。
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