義信救出① 藤堂虎高の決意

時は少し遡り、12月上旬の駿河国・駿府館。


「藤堂殿、私の身勝手に付き合わせてしまい、誠にかたじけなく存じまする」


武藤喜兵衛が寺倉家に仕官することになった翌朝、正吉郎は佐渡へと出立したが、喜兵衛との約束どおり幽閉されている武田義信の救出のために、名将・藤堂虎高の精鋭部隊と、小笠原長時率いる騎馬隊など合わせて150の兵を残していったのである。


「お気になさいますな、喜兵衛殿。実は私は昔、武田家に仕えておりましてな。武田太郎殿の祖父の無人斎道有様が武田家当主だった頃、他国者の私に『虎』の偏諱を賜るなど、誠に良くしていただいたのでござる」


虎高は僅かに視線を逸らして懐かし気に喜兵衛にそう語った。


(良くしていただいたのは道有様だけだったがな)


確かに虎高は武田家では新参者ながら多くの戦功を挙げて、先代いや、先々代当主の武田信虎から偏諱を賜ったほど寵愛されたが、他国者の出世が武田家臣の嫉妬と反感を招いて、甲斐を追い出されたのだ。虎高にとっては若かりし日の懐かしい思い出であると同時に、苦く辛い思い出でもあったのである。


「左様でございましたか。私は若輩者故、武田家中では藤堂殿の名をついぞ聞いたことがなく、武田家の先達だったとは存じ上げませなんだ。大変ご無礼いたしました」


「いやいや、もう遠い昔のことでござる故、構いませぬ。それと私のことは源右衛門とお呼びくだされ」


故郷の近江で土豪の藤堂家に婿養子に入った虎高にとって、余所者を全く差別しない寺倉家の水が合ったのだ。虎高は今や「寺倉六芒星」の一人として甲斐にいた時よりも遥かに重要な役目を任され、自分を拾い上げて重臣に据えてくれた正吉郎に心から忠誠を誓い、その信頼に応えていたのである。


「それに喜兵衛殿の太郎殿への忠誠心は承知しておりまする。私としても昔仕えた武田家での理不尽には思うところがございましてな」


虎高にとっても、必要な時は味方であっても切り捨てるべきだという信玄の考え方は容認できなかった。


一方、信玄とは対照的に正義感が強い義信には当時、三国同盟を結んでいた今川家を裏切ることなど断固として認められなかった。義信の主張は決して間違ってはおらず、戦国乱世でなければ誰もが賞賛する正当な言い分であっただろう。


そんな"武田らしくない"誠実な性格の嫡男を軽んじて幽閉しただけでなく、それ以前には虎高にとって大恩のある実父の信虎を追放するなど、虎高にとっても信玄の魂胆は決して許せるものではなく、それもあってか武田家に対する思い入れは人一倍強かったのである。


喜兵衛は一見すると冷静沈着で与えられた役目を黙々と果たすように見えた虎高が、目に熱い闘志を浮かべていることを意外に感じた。


「左様でございまするか。必ずや我らが手で太郎様を救い出して見せましょうぞ」


喜兵衛の言葉に虎高も頷く。正吉郎から直々に頼まれた任務だ。決して失敗する訳にはいかない。甲斐での過去の経緯を慮って命じられたのかどうかは虎高には知る由もなかったが、それを意識したせいか自然に表情が強張るのを感じながらも、武者震いを抑えるように虎高は拳を力強く握ったのであった。




◇◇◇





例年よりやや暖かい冬を越した3月の上旬、田植えの準備が始まる時期であるが、駿府館に駐留していた織田軍は銭雇いの兵で構成されており、にわかに動き始める。武田信玄を討ち破った正吉郎は御役御免となって出立し、残された義信救出部隊の兵150も織田軍の甲斐侵攻に乗じて動き出した。


一方、武田家は「焼津の戦い」で多くの重臣だけでなく、屋台骨である信玄をも失った。武田領内では冬の間に信玄が死んだという噂が広まり、今やその噂を知らない者などいないという状況に甲斐の領民は酷く混乱し、それに加えて武田家中では一体誰が信玄の死を漏らしたのかという疑心暗鬼の状態にもなり、武田家の統制は狂いを見せ始めていた。


信玄の死を知る者は極々限られ、勝頼自身が信頼を寄せる重臣のみのはずであった。さらには信玄の影武者として当主を演じていた武田信廉は、甲斐に帰還すると甲府の町中を視察して領民を慰撫して廻り、信玄が健在であることを周知させていた。


だからこそ、信玄の死の噂が流れたと知った勝頼と信廉の衝撃は大きく、信玄の死が漏れたとなれば、家中が疑心暗鬼となるのも当然であった。中には信玄の死の噂を信じて、織田と通じようとしたのが露見して処刑される者まで出る始末で、武田家は未曾有の混乱を招いていたのだ。


その結果、武田軍は織田の大軍に対抗するため領内から限界まで兵をかき集め、春にも予想される織田軍の侵攻に備えていた。


それは武田義信が幽閉される東光寺を警備していた兵も同様であり、必然的に東光寺の守りは薄くなっていた。


寺倉の素破からそれを知った武藤喜兵衛はその隙を突いた。進軍する織田軍の後方に紛れて甲斐に侵入すると、まずは藤堂虎高と共に駿河に残っていた小笠原長時が騎馬兵を率い、夜陰に乗じて笛吹川沿いに東に大きく迂回して東光寺を襲撃したのだ。


まさか襲われるとは露ほどにも思っていない東光寺の守備兵は、夜番以外はほとんど寝ており、小笠原長時率いる騎馬隊の突然の夜襲によって瞬く間に壊滅してしまう。


その夜襲に乗じて、武藤喜兵衛と藤堂虎高の部隊は東光寺内に潜入すると、寺倉の素破の案内で義信が幽閉されている奥の僧院に進んだのである。




◇◇◇





日中も僅かな陽の光しか差し込まず、薄暗い東光寺の離れの僧院に幽閉されていた武田家の元嫡男・武田義信は、廃嫡されてからの3年半の間、写経と座禅により精神の平穏に努めながら、ただ過ぎ去る日々を静かに暮らしていた。


義信は陽当たりの悪い寺の最奥で過ごすことを余儀なくされていたものの、東光寺の門を出ない限りは、寺内を歩く程度の自由は認められており、義信が申しつければ部屋の外に出て寺の庭の景色を眺めることも叶っていた。


そんな時である。夜だというのに寺の外が何やら騒がしい。義信は寺の外の喧噪を耳にしてふと目を覚ますと、鬨の声と悲鳴が混じり合った喧騒には聞き覚えがあった。


(あぁ、織田軍の襲撃か)


当然、義信の耳にも武田軍が織田軍に大敗し、甲斐に退却したという報せは届いていた。故に、武田の血を絶とうという思惑からの織田軍の襲撃だと予測した。


当たらずとも遠からずというところではある。実際に武田家にとっては敵であるが、義信にとっては味方である。しかし、幽閉の身の義信に真実を察せられるはずもない。


“敵“の狙いは己の命だと察すると、灯明を手にして部屋の外へと踏み出していた義信は星の瞬く夜空を見上げて、弱々しく嘆息を吐いてみせた。どうせ短い命なのだ。自害するか、敵に斬られるかの違いでしかない。そんな諦観が去来した義信には、もはや生きる気力など残ってはいなかった。


そして、義信が力なく縁側に腰掛けてしばし星空を見ていると、近くにいた見張りの兵の短い呻き声を耳にする。それが何かを察した義信は、まるで絡繰り人形のように恐る恐る見張りの兵がいた方向へと目を向ける。


暗がりの中で倒れ伏した見張りの兵の横に灯明を持って男が立っていた。義信はその顔に見覚えがあった。


そう、武藤喜兵衛である。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る