佐渡平定と次男誕生
「正吉郎様、佐渡の制圧に手間取り、誠に申し訳ございませぬ。羽茂城の抵抗が予想以上でございました故、これだけの兵を預かりながら攻めあぐねており申した」
「伊賀守殿、敵の10倍の兵であの程度の山城を落とせぬなど、蒲生家当主として誠にお恥ずかしい限りでござる」
本陣で総大将の前田利蹊と副将の蒲生忠秀が揃って顔を伏せながら俺に謝罪するが、俺はそれを否定するように首を左右に振った。
「いえ、ここまでくれば後はもう一息でござる。我らが持つ大鉄砲で一気に粉砕して見せましょうぞ」
俺は2人に胸を張って告げる。自信満々とはいかないものの、「焼津の戦い」で使用した大鉄砲の威力はある程度把握できたし、羽茂城も"寺倉家の当主"が自ら援軍に来たと知って意気消沈しているはずだ。後ひと押しすれば城は落ちるだろう。
俺は羽茂城の本丸までを射程に収めるように大鉄砲を設置した陣地の設営を命じると、間もなく城攻めが再開された。
大鉄砲を城攻めに用いるのはこれが初めてだったが、ドーン、ドーンと轟音が鳴り響く度に、羽茂城の城門が次々と崩壊していく様をこの目に収めた。大鉄砲の破壊力は明らかにこれまでの戦の常識を超えていた。
やがて城門を破壊し終えた大鉄砲が本丸を直接狙って砲撃し始めると、砲弾が屋根を突然突き破ってくるその恐怖に耐えかねた本間高信は、小便を垂らしながら涙を流し、「降伏だ!」と声高に告げると、死んだように気を失ったという。
少しやりすぎたか。落城した城の兵の多くが気絶するという異様な形で決着したが、大鉄砲が城攻めに極めて有効であることがこれで証明できた。これからは攻城戦には欠かせない兵器になるだろうな。
後ろ手に縛られて本陣に連れて来られた本間高信は、俺の前で跪いていた。
「なぜ佐渡に攻め込んだのだ! 羽茂本間家は上杉家とは縁を結んでいるのだぞ!」
高信は憎悪の篭った面持ちでまくしたてた。いざとなれば上杉家の手を借りればいい、そんな意識があったのだろう。
「抵抗せずに大人しく降伏臣従すれば良かっただけであろう。違うか? 上杉殿からは『佐渡は寺倉家の自由にして構わぬ』との了解をいただいておる故な。縁と言っても上杉殿の従姉を妻にしている程度では全く役には立たぬぞ。恨むならばこの乱世と己の才覚のなさを恨むのだな」
「ぐっ、ぐぐ」
高信は悔しそうに歯軋りをしながら口籠る。
「本来ならば徹底抗戦したお主や一族は斬首か切腹とするところだが、ここでお主を殺せば、上杉殿も寝覚めが悪いであろう。お主や妻子は佐渡から追放し、上杉家に預けることにする。ただし、二度と佐渡の土を踏むことは許さぬ」
少々厳しいかもしれないが、甘さは己の身を滅ぼすのだ。心を鬼にしなければ、いつか自分に撥ね返り、天下泰平など夢のまた夢だと過去の教訓から学んでいる。
高信は一言も発することなく引っ立てられ、船で直江津の今町湊に護送されていった。輝虎に預ければ心配はないと思うが、上杉家での処分は素破に命じて一応報告させるつもりだ。佐渡奪還や暗殺を企まれても困るからな。
こうして佐渡国2万石を平定した俺は、佐渡国の代官として、桃原城城代を務めていた譜代の家臣である中藤権作亮嗣政を任命した。そして寺倉・蒲生連合軍は雪が酷くなる前に佐渡島を後にし、帰国の途に就いたのであった。
◇◇◇
近江国・統驎城。
「おぎゃぁ、おぎゃぁ!」
間もなく年が明けようという12月31日の夕方、奥の間から元気な赤ん坊の声が響いた。
「お生まれになりました! おめでとうございます。元気な男の子にございます!」
俺のいる部屋に駆けつけてきた市の侍女の仙の少し慌てた喜びの声に俺は腰を上げた。そうか、男の子が生まれたか。俺としては男女どっちでも構わないのだが、この時代は女児よりも男児の方が喜ばれるため、俺と一緒に誕生を待っていた家臣たちは、男児の誕生とあって口々に「おめでとうございまする」と祝福してくれて大いに湧き立った。
「市の容態はどうだ?」
「母子共に健康にございます」
「そうか! それならばひと安心だ」
長く緊張の糸を張っていたからか、少し疲労感と空腹感を感じるな。俺は腰に手を当て背筋を伸ばし、小さく息を吐いて緊張を解すと、早足に市の元へと向かった。
「よく頑張ったな、市」
大仕事を成し終えた市は赤子の手を握ってスヤスヤと眠っており、赤子も泣き疲れたのか、一緒に眠っている。その光景を見ると母子なのだなと、父親としての温かな愛情が湧き上がってくる。俺は優しく市の頰を撫でると、市を起こさないように静かに部屋を後にした。
俺は生まれたばかりの次男を「峰珠丸」と名付けた。珠玉が如く光り輝く才を願っての意味で、島津豊久の幼名である豊寿丸を文字って俺の幼名の一文字と合わせ「峰珠丸」と名付けた。
峰珠丸は将来、上杉輝虎の養子に入って上杉家の家督を継ぐ約束だ。どうか健やかに育ってほしいと願っている。
◇◇◇
年が明けて松の内も終わり、佐渡から帰還して1ヶ月が経過した頃、望月吉棟が望月千代女を連れて登城してきた。千代女は意外にも20代の若い女性で、彼女が率いる"歩き巫女"たち50人と数名の男児も一緒にやって来たそうだ。これは大きな戦力になるな。
俺は"歩き巫女"は甲賀衆の管轄から外して望月吉棟に任せることにした。「甲賀五十三家」の筆頭だった甲賀望月家だ。吉棟も和田惟政の下に就くのは不本意だろうと考えたのだ。
それと結局、信濃望月家が寺倉家に来ることはなかった。信玄の死の情報が漏れたのが信濃望月家からだと武田に知られていれば、制裁を避けて逃げて来たかもしれないが、今のところは疑われている様子はないようだ。
それに、甲賀望月家は分家であり、本家である信濃望月家の系譜を継ぐ人間が甲賀望月家を頼る、つまりは分家の下に就くなど、本家のプライドが許さなかったに違いない。故に信濃望月家は落ち延びるのを良しとせず、先祖代々の領地である佐久郡に殉ずる考えを選んだのだろう。たとえ武田が滅びようとも最後まで領地を守る意思を固めたようだ。
◇◇◇
統驎城から冬の居城である伊賀の玲鵬城に移り、1月も下旬に差し掛かると、織田家の使者が来て「焼津の戦い」の援軍の謝礼を贈られた。その品を一目見て、俺はまさかと驚くと同時に、露骨に顔をしかめた。
「これはまた、とんでもない物を贈られたな」
その品とは茶器の「曜変天目茶碗」であった。これは南宋時代の唐物の天目茶碗として最高級の"大名物"である。
"曜"とは星の輝きを意味しており、漆黒の器の内側に星のようにも見える大小の斑文が散らばり、斑文の周囲には瑠璃色や虹色の光彩が取り巻いて輝いている。「器の中に宇宙が見える」とも評され、茶器にあまり興味を示さない俺でも目を奪われるほど美しい茶碗であった。信長や徳川家康が愛用したと言われる所以が納得できるな。
決して真似して再現出来るような代物ではなく、現代に残るものは日本の僅か3点しかなく、いずれも国宝だ。目の前にあるのは史実で「本能寺の変」で焼失したとされる幻の4つ目の曜変天目茶碗だろう。
しかし、そんな国宝級の貴重なものを信長が贈ってきたのには正直驚かされる。俺は長島攻めの際の援軍を対価として今回の援軍を派遣したのだから、援軍の謝礼とはおまけ程度のものだと考えていたのだ。
つまりは、信長にとって武田信玄を討ち取った功績はそれほど大きいということなのだろう。今更ながら、自分の成したことに思わず震えてしまう。受けた恩恵はきっちりと返す。それが信長のポリシーということか。
俺は信長の厚意をありがたく受け取ることにし、この曜変天目茶碗を寺倉家の家宝として後世に大切に受け継いでいくことにしたのだった。
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