信玄の死と望月家
北信濃の名家である「滋野三家」の一つ、望月家。その当主は望月印月斎と言い、庶子で元の諱を信雅と言った印月斎は同じ「滋野三家」の海野一族である真田幸隆の仲介で武田家に臣従し、嫡流の兄・昌頼を追放して望月家の家督を継いだ男だ。
印月斎は昌頼の娘が嫁いだ武田信繁の次男・信頼、次いで三男・信永を養子とするが、二人は「第四次川中島の戦い」と「焼津の戦い」で相次いで戦死してしまう。そのため、出家していた印月斎は望月家の当主に復帰していた。
印月斎は今回の織田軍との戦いでは佐久郡の守りを任されて望月城に残っていたが、武田軍には分家の甲賀望月家から印月斎の父・盛時の後妻として嫁いだ義母の千代女が"くのいち"として参陣していた。甲賀望月家は「甲賀五十三家」の筆頭で「伊賀の服部、甲賀の望月」と並び称され、今や本家の信濃望月家よりも名を上げた家である。
盛時が「第四次川中島の戦い」で討死して千代女が未亡人となると、千代女は信玄から諸国を巡って神事を執り行う"歩き巫女"の頭領・神子頭に任じられ、"歩き巫女"で構成された巫女村を差配した。"歩き巫女"は武田家を陰で支える諜報員として暗躍する一方で、元は甲賀の"くのいち"の千代女自身も従軍して諜報活動を行っていた。
そして、敵方に従軍していた千代女から「焼津の戦い」で信玄が討死したと内密に知らされた、千代女の父で甲賀望月家当主の望月吉棟は、甲賀衆を束ねる和田惟政に報告すると、すぐさま信玄の死の報は正吉郎の耳に届いたのである。
◇◇◇
駿河国・駿府館。
「ほう、信玄が討死したとな? それは真であろうな?」
12月上旬、織田軍による駿河国の接収も大方の目途が着いた頃、俺は目の前の和田惟政と望月吉棟の2人から武田信玄の死の報告を受けていた。
「はっ。信濃望月家に嫁いだ我が娘、千代女からの報せでございます故、間違いはないと存じまする」
平身低頭に告げる甲賀望月家の当主、望月吉棟の目からは嘘は全く感じられず、俺は信玄の死が真実なのだとようやく実感し、内心では歓喜で小躍りしたい気分だった。戦国最強とも言われる「甲斐の虎」武田信玄を寺倉家が打ち破ったのだ。これを喜ばずにいられようか。初めて実戦で使用した大砲が予想以上に効果覿面だったことに頰を緩ませながらも、惟政と吉棟の目を見据えて訊ねる。
「そうか。このことは他の者は知っておるのか?」
「いえ、おそらくは武田家以外では誰も知らぬでしょう。我らも昨晩知ったばかりでございまする。武田家中でも当主に近い一部の重臣しか知らぬようにございまする」
そんな貴重な情報をいち早く伝えに来た行為に俺は感心し、思わず膝を叩いて大きく頷いた。
「大儀であった。よくぞ教えてくれたな。吉棟の忠心に礼を申すぞ」
「何のこれしき。行き場を失くした我らを受け入れ、厚遇してくださった伊賀守様には、甲賀衆は皆心から感謝しておりまする。これくらいは当然の恩返しにございまする」
吉棟は素破の身分で大名から直々に感謝されるなど、光栄の至りなのだろうか。俺の感謝の言葉に感激した面持ちで返答した。
「だが吉棟、信濃望月家は甲賀望月家の本家であろう? そこに嫁いだお主の娘が信玄の死という極秘の報せをお主に伝えたのが、もし武田の者に知られては娘の身が危うくなりはせぬか? 嫁いだ娘とは言え、父親としてお主も心配であろう?」
何しろ内容が内容だ。信濃望月家からの情報漏洩だと武田の耳にでも入れば、たちまち信濃望月家は族滅されかねない。
「拙者の娘の身までご案じてくださるとは! 誠に申し訳なく存じまする」
「此度の戦で信玄が死んだ話が広まれば、おそらく武田家中の戦意は大きく下がり、織田殿は来春にも予想される甲斐攻めで武田を討ち滅ぼすであろう。であるならば、千代女と言ったか、お主の娘に信濃望月家ごと寺倉家に仕えるつもりがないか、当たってみてはどうか? 情けだけで申しておるのではないぞ。私も武田の"歩き巫女"の話は聞いたことがある故、"歩き巫女"を率いるお主の娘が寺倉家に加われば、大きな力となると考えての話だ。どうだ、できるか?」
「ははっ。誠にありがたきお言葉にございまする。千代女の夫は既に戦死して、千代女は後家でございます故、仮に信濃望月家ごとは無理であっても、"歩き巫女"を率いて出戻って来ることは問題ないかと存じまする」
「そうか。では、早速当たってみてくれ」
「ははっ」
こうして、俺は千代女率いる"歩き巫女"の集団と望月印月斎を始めとする信濃望月家をスカウトすべく、望月吉棟に調略を命じたのであった。
◇◇◇
俺は信玄の死の情報の扱いについて熟慮した末、情報を信長に流し、扱いを一任することにし、駿府館の信長の居室を訪ねた。
「なに? 信玄が死んだだと?!」
俺から信玄の死を知らされた信長は、さすがに目を丸くして驚いていた。
「私も先ほど聞いたばかりですが、間違いないかと存じまする。武田はどうやら影武者を使って信玄の死を秘匿しているようですが、後は三郎殿にお任せいたしまする」
「であるか。正吉郎、よくぞ信玄を打ち倒してくれた。礼を申すぞ」
信長は俺の話を疑うことはなく、信玄の死という極秘情報を来春の甲斐侵攻に向けてどう扱うべきか、すぐに思案を始めたのだろう。しばし無言でいたかと思うと、やがてニヤリと笑った。
「おそらく信玄の死を知るのは一部の重臣だけで、他には口止めして隠しておるのであろう。ならば、素破を使って武田の領内にて信玄の死の噂を流し、武田家中を混乱させるのが良かろう。信玄の死を漏らしたのは誰だと、武田の家臣同士で疑心暗鬼になり、勝手に動揺でもすれば好都合というものよ。クックック」
やはり信長も俺と同じことを考えついたな。悪どい笑顔を浮かべている。
「三郎殿。此度の援軍は信玄を討って御役御免ということで、我々は帰還しても宜しいですかな?」
「無論だ。信玄亡き武田など、もはや正吉郎の力を借りるまでもなく、織田が滅ぼしてくれるわ。後で信玄を討った謝礼を贈る故、受け取ってくれ」
「かたじけなく存じまする。では、甲斐攻めは来春でございますな。ご武運をお祈りいたしまする」
信長相手に遠慮は無用だ。何を贈ってくれるかは知らないが、ありがたく貰っておこう。
信玄を討ち、武田軍を駿河から撃退して今回の援軍の役目は十分に果たした今、寺倉軍は佐渡島へ向かうつもりだ。というのも、蒲生の御家騒動の援軍の対価にした佐渡島侵攻への援軍が、今回の織田への援軍と並行して派遣されているからだ。
2万石の佐渡国は前田利蹊の兵500と蒲生の援軍2000で制圧するのは十分可能なのだが、山城が多いため時間が掛かり、もうすぐ佐渡は積雪で戦ができなくなる。佐渡は沖を流れる対馬暖流の影響を受けるため越後よりも積雪は少ないものの、それでも伊勢と比べれば積雪は多いだろう。尾張育ちの利蹊も山奥の沼上に住んでいたとはいえ、佐渡での越冬は堪えるに違いない。
そこで、俺は志摩水軍を使って太平洋岸を北上し、津軽海峡を通って佐渡島へ向かうことにしたのだ。船で今から出立すれば積雪前に佐渡の制圧に加勢できるし、佐渡制圧後も船で速やかに撤収し、敦賀湊から近江に帰還できるだろう。
今はもう師走に入り、年末には3人目の子供が生まれる予定だ。今回は何としても出産に立ち会うと誓った俺は、すぐに出立の準備を指示したのであった。
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