焼津の戦い③ 偽りの安堵

駿河国・宇津ノ谷峠。


「何なんだ? あの音は?!」


武田信廉は南の方角から聞こえてくる凄まじい轟音に喫驚を露わにした。それも一度ではなく、先ほどから間を置いて何度も続いている。


竹中軍の侵攻を受けて高遠城から撤退し、3日前に甲府に帰還した信廉であったが、悪い胸騒ぎがして止まず、数名の馬廻りを率いて大井川の戦場の信玄の元へと駆けつけている最中であった。だが、東海道の宇津ノ谷峠を越えたところで南の海側から大きな音が連続して聞こえてきたのだ。


そして、峠を下る途中で信廉は、山の合間から遠くの海の近くに「風林火山」の旗印を視認した。


「御屋形様はあそこにおられるのか!」


なぜかは分からないが、武田軍が大井川ではなく、焼津で戦っていると悟った信廉は、馬首を焼津の方へと巡らせ、先を急ぐのであった。




◇◇◇




駿河国・焼津。


「そうか、父上が……」


武田家次期当主、否、当主・武田勝頼は、悔恨の念を湛えた目に涙を浮かべて呟いた。


「寺倉の巨大な船から飛んでくる鉄球に押し潰され、生き残っているとはとても……。命に逆らってでも御屋形様を四郎様の元にお連れするべきでございました。某の力が足りず、誠に申し訳ございませぬ。う、うっっ」


高坂昌信は止めどなく溢れ出す涙を見せまいと顔を伏せ、嗚咽を漏らしながら、勝頼に信玄の最期の状況を報告し、謝罪の意を伝えた。


「もう良い、泣くでない。それよりも今は退却が先決だ。弾正、私に力を貸してくれ」


勝頼も気を抜けば涙腺が崩壊しそうなのを必死に堪え、顔を上げて気持ちを前向きに入れ替えた。それが、父・信玄の望む自分の役割だと思ったからだ。


その時、ふと視界の隅から焦燥の表情で駆け寄ってくる伝令兵の影を捉えた。


「申し上げまする! 織田軍が背後から迫っているとの由にございまする」


この状況で織田軍と寺倉軍に前後から挟撃される形になれば、間違いなく武田家はお終いだ。それこそ信玄の弔い合戦どころではなくなってしまう。


「ここは織田への抑えとして幾らかの将兵を殿しんがりに残して撤退すべきかと存じまする。もはや我らの敗北は必定。これ以上戦えば徒に兵を失うだけではなく、四郎様の身にも危険が及びまする」


「そのような味方を見捨てるようなこと……いや、必要なのだな。武田家の当主たる者、この乱世を生き延びるには、時には心を鬼にして見捨てることも必要だと、父上も口を酸っぱく申しておられたな」


「左様にございまする。では、『逃げ弾正』の某が殿の役目を務めまする」


昌信は信玄の死を止められなかった責任を取って殿を申し出る。


「ならぬ! お主に殿を任せる訳にはいかぬ。弾正には私を支えてもらわねばならぬのだ。父上もそう申されて、お主をここへ寄越されたのではないか?」


「……」


勝頼は昌信が父の後を追って死ぬつもりだと見抜いて制止すると、昌信も「信廉と共に勝頼を、武田家を支えよ」という信玄の遺言とも言える命令を思い出して口を噤んだ。


「では、拙者が殿の栄誉を承りたく存じまする。老いたりとは言えども織田の弱兵になど負けはいたしませぬ。今こそ『甲山の猛虎』の底力を見せてやりましょうぞ」

そこへ昌信に代わって殿の名乗りを上げたのは飯富虎昌であった。


62歳の老境にある虎昌は廃嫡された武田義信の傅役を務めていたが、義信の廃嫡と幽閉の責任を背負い、「義信事件」の後は半ば隠居の身であった。今回の戦に死に場所を求めて老体に鞭打って参陣したものの、信玄は虎昌を死なせまいと本陣の守りを命じていたのである。


「飯富兵部か。……すまぬ。兄上のことは決して悪いようにはせぬ故、殿を頼む」


勝頼は尊敬する兄・義信に代わって自分が武田家の当主となることに、罪悪感と責任感を抱いていたが、その想いが今初めて形となって表われ、虎昌の意を酌んで頭を下げると、「死ね」と言うのに等しい殿の役目を虎昌に命じた。


「ははっ、ご配慮いただき、誠にかたじけなく存じまする。これで心残りなく戦えまする。最後に死に花をもう一花咲かせましょうぞ。はっはっは」


辛気臭い空気を豪気に笑い飛ばす虎昌と別れの挨拶を交わすと、まだ20歳ながら文武に優れ、温和な性格も相まって、家中では次期当主として将来を嘱望されていた勝頼は、父・信玄に代わって武田家当主として全軍に号令を発した。


「退却する!織田軍と接する前に駿府まで退却するぞ!」


前線が砲撃や銃撃で壊滅し、次々と歴戦の勇将の討死が本陣に伝わる中で、織田軍が近づいているという言葉は少なからず兵に動揺を与えた。しかし、勝頼の覇気のある声に信玄の面影を感じたのか、武田軍の将兵は速やかに隊列を整え整然と退却していった。将兵は信玄の死は知らない。故に次期当主である勝頼が退却を命じても、信玄の指示だと考えて疑念を持つ者は皆無であった。


まだ撤退戦の経験のない勝頼も、高坂昌信の補佐を受けて速やかに退却を始める。


「逃げ弾正」と称される昌信は、父・信玄を亡くして心細い今の勝頼にとっては、何よりも頼もしく心強い存在であった。


勝頼ら一行が焼津の戦場から西に脱して、東海道の宇津ノ谷峠を通って退却しようというその時、前方から数騎の将兵が勝頼の前に姿を現した。


「ち、父上?! 生きておられたのですか!」


勝頼はその顔を見るや否や、目を見開いてその将を"父上"と呼んだ。


勝頼の精神がおかしくなった訳ではない。その馬上の将は紅い甲冑を身につけ、広い肩幅と濃い髭髭を生やした威圧感のある顔つきは、まさに"武田信玄"そのものであったのだ。周囲の傷心していた重臣たちも俄かに喜色を浮かべて騒めきたった。死んだはずの"信玄"が無傷で姿を現したのだ。


一方、当の"信玄"は勝頼たちの反応に眉を寄せて怪訝な顔をする。


(まさか、兄上が討死なされたのか?! 勝頼の感激した様子はそうとしか思えぬ。嫌な胸騒ぎが気になって急いで駆けつけたが、くっ、一足遅かったか。この様子だと武田は負けたようだな)


そう、"信玄"は武田信廉であった。信廉は武田の敗北を悟り、表情に暗い影を落とした。


「四郎よ、耳を貸せ」


「はっ? はい」


勝頼は訝しみながらも信廉に身体を寄せると、信廉は勝頼の耳元で小声で話し始めた。


「四郎、儂は刑部だ。兄上ではない。儂は竹中軍の侵攻を受けて高遠城から撤退したが、嫌な胸騒ぎがしてな。急いで駿河までやって来たのだが、お主らの様子からすると、兄上はお亡くなりになったのだな?」


「なんと、叔父上であったか。……父上は焼津湊に上陸した寺倉軍の攻撃で御討死なされたのだ」


「兄上の死はどれくらい広まっておるのだ?」


「今はこの本陣の者だけにござる。ですが、前線に出ていた父上の死を目の当たりにした兵も少なからずいるはず故、それも時間の問題だろう」


「では、儂が影武者として兄上に扮し、駿府までの退却を指揮しよう」


「よろしいので?」


「うむ。だが、儂が兄上の影武者だと教えるのは信頼の置ける者のみとし、他の者には兄上が生きておると周知して、兄上の死を隠すのだ」


「なるほど、分かり申した」


こうして、勝頼は信廉を信玄の影武者として置き、高坂昌信の補佐と飯富虎昌の決死の殿もあって、武田軍は織田軍の追撃を受けることなく、宇津ノ谷峠を越えて無事に駿府へと退却した。


だが、駿府館の防御力は低く、じきに未だ健在の織田軍と寺倉軍が攻め込んで来れば駿河国を守り切れないと勝頼は判断した。駿河を捨てる苦渋の決断をせざるを得なかったのである。


そして、11月末、身延道を北上して甲府の躑躅ヶ崎館に到着した勝頼は、家中の混乱を避け、他家を欺くためにも引き続き武田信廉を“武田信玄”として偽りの当主に据え、領内の統制を図ることになった。


信玄が生きているという“偽りの安堵”は瞬く間に甲斐の民に広まり、焼津の敗戦で心が折れ掛けていた武田の兵が再び起き上がる力の源となった。


だが、兄・義信を廃嫡してまで今川との同盟を破棄した末に、漸く手に入れた駿河も呆気なく失ってしまった。勝頼は己の力不足を心中で嘆いたが、そうしたところで駿河が戻ってくることはない。


今回の「焼津の戦い」で武田家は、飯富虎昌、曽根昌世、甘利信忠、土屋昌続、三枝昌貞、原昌胤、小幡昌盛、小山田虎満、栗原信盛という「武田二十四将」の半数近くを失うという大きな痛手を被った。勝頼はその手痛い傷を冬の間に少しでも癒し、西駿河10万石を接収し始めている織田・寺倉連合軍と来春再び対決する覚悟を固めるのであった。

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