焼津の戦い② 巨星墜つ
湿った海風が頰を容赦なく殴りつけていた。信玄は大きく息を吐く。何度感じても慣れることのない生臭い潮の香りを不快に感じつつも、信玄は“甲斐の虎”の風格をその身に纏わせながら騎馬で足早に行軍していた。
目の前の敵軍が急に反転して東に引き返したのだから、これまで刃を交えていた織田軍は追撃を加えんと必ず後を追ってくるだろう。万が一にでも追いつかれることにでもなれば、前後から挟撃に遭って武田軍は総崩れだ。
だが、信玄に焦りはない。武田軍の強さを一番良く知っているのは信玄自身であった。
そして、これまでの人生で重ねてきた業のせいか、信玄はどんな厳しい状況に相対してもさほど動じることはなかった。
寺倉家。
信玄がその家名を初めて耳にしたのは5年前の「野良田の戦い」だった。ここ7年ほどで信じられない速さで急成長し、六角、美濃一色、北畠といった名だたる大名を打ち破り、一介の国人領主から100万石を優に超える大大名にまで成り上がった、言わば戦国の風雲児だ。今川が滅んだ後には追放した父・無人斎道有が仕えていると聞いて驚き、信玄としても寺倉正吉郎という人物の手腕には並々ならぬ興味を抱いていた。
さらに、今春には合わせて700万石もの領地となる六家による「近濃尾越同盟」を成立させた立役者だとも聞くに及ぶと、武田家を2方面で苦しめている織田、竹中もその一角であり、言うなれば寺倉は武田家の今の苦境を作り出した元凶と言ってもいい存在であった。
そして今、その寺倉軍が海から侵攻してきたと言う。織田軍と挟撃しようという戦術だと看破した信玄は、窮地とも言える状況にむしろ楽し気に笑みを浮かべていた。
(ここまで追い詰められた戦は長尾との川中島以来だわい。久々に血が滾るのぅ)
信玄はこの状況を“楽しんでいた”。父を追放し、嫡男を幽閉し、年端もいかない娘まで人質として差し出した信玄にとって、もはやこの世に怖いものなど残ってはいなかった。
一方、傍に控える側近や重臣たちは、信玄の笑顔を見て薄気味悪さを感じていた。それも当然であろう。御家の存亡を賭けた戦い、負ければ苦労して手に入れた駿河を失いかねない土俵際だ。そんな最悪の事態も頭の隅にちらつく中、笑みを浮かべる大将の心理など理解できるはずもない。
しかし、それこそが武田軍の強さでもあった。どんな窮地でも絶対に折れない大将がいるという安心感をもたらす信玄の存在は、将兵の勇気と力の源となっていた。
寺倉軍が焼津の瀬戸川北岸に布陣したとの報せを受けてから二刻後の午の刻(正午)。武田軍は10町(約1km)ほど先にようやく寺倉軍の姿を視界に捉えた。
その時であった。
信玄の僅か1町先の所で突然、土砂と人馬の肉片が弾けた。砂塵が容赦なく舞い散り、信玄の視界を塞ぐ。信玄は自ら槍を振るい、視界を確保する。
信玄は勿論、武田軍の将兵の誰もが当惑した。真昼間だというのに、一寸先は闇とも言うべき状況であった。
なぜなら、至る所で轟音と共に砂煙が巻き起こり、至る所で人馬が吹き飛んでいたからであった。
(鉄砲ならば、もっと近くで撃たない限り弾は届かないはずだ。ましてや人馬が吹き飛ぶなど聞いたことなどない。まさか、寺倉の素破か?)
信玄は思案に耽り、寺倉で有名な素破の存在を頭に浮かべていた。寺倉の抱える志能便や伊賀の素破の名は甲斐にも聞こえており、戦闘の際に"爆弾"という火薬を用いた武器を用いるという噂話を甲斐の透破から伝聞したことがあった。
(それを見抜けなかったのは自分の不手際に他ならぬが、武田家も優れた透破を召し抱えておる。ならば味方に紛れ込んだ敵の素破など、すぐに排除できよう)
信玄は頭を振って思案を中断した。今は原因究明よりも目前の状況をどう打開するかが先決だ。だが、先ほどから鬱陶しいほど頻繁に鼓膜を打ち破りそうなほどの衝撃を受け、思考を妨げられた信玄は思わず歯噛みしてしまい、その表情は先ほどまでの笑顔とは打って変わって、苛立ちと焦りが滲み出ていた。
(やはり先鋒に檄を飛ばすために中陣まで出張ったのが拙かったか?)
信玄は総大将でありながら嫡男の勝頼を副将として本陣に残し、自らは中陣に出て先鋒の督戦に当たっていたのだ。信玄も今のままでは自分が死んだ後の武田家がどうなるかは容易に想像でき、勝頼の実戦教育も兼ねて中陣に出ていたのである。
「くっ。狼狽えるな! これは敵の撹乱である! 怯むことなく前へ進め!!!」
耳をつんざく着弾音の間を縫うように信玄が声を張り上げると、波が広がるように鬨の声が上がった。
(武田はまだ戦える。武田の不撓不屈の底力、今ここで見せようぞ!)
そう思ったその瞬間であった。先程よりも大きな音を上げて、“何か”が信玄の30間(約50m)背後を木っ端微塵に吹き飛ばした。弾け飛んだ人馬の血と砂塵が信玄の頰に打ち付ける。
そして、信玄は着弾地点にあった“何か”に恐る恐る目を向け、ここで始めて信玄は気づいた。これは寺倉軍が放った"巨大な鉄砲"の弾であると。その巨大な鉄砲の弾が次々と兵を引き潰していくさまは、この世の地獄だと錯覚する程であった。
一方、前方では大砲の攻撃を辛うじて回避した先鋒の騎馬隊が瀬戸川を越えて、寺倉軍の防御陣地に到達しようとしていた。
だが、その防御陣地も凝りに凝った仕組みになっていた。幾重にも重なった有刺鉄線に軍馬は身体中が傷つき、血を吹き出しながら暴れ出す。乗っていた将兵は振り落とされ、身一つの歩兵に成り下がると、嵯治郎率いる寺倉軍の鉄砲隊の餌食となっていった。
大砲のインターバルによって一時的に砂塵が収まった時、先ほど信玄の背後を掠めた大きな鉄の塊が焼津湊に停泊している、見たこともないほど巨大な船から撃ち込まれていることをようやく視認することができた。
信玄は"大砲"というものを知らず、陸戦で大砲の攻撃を受けるなど夢にも思っていなかったが、今目の前でまざまざと大砲の威力を見せつけられた信玄は、生まれて初めて”恐怖“という感情を感じていた。
(なんだ、あの巨大な船は! 南蛮の兵器とでも申すのか? 人馬で対抗できるような代物ではないではないか!)
「く、くくっ」
信玄は思わず自分の口から苦悶の声を出してブルッと震えた。武者震いではない。"恐怖"から来る"戦慄"であった。
「弾正よ、勝頼を頼めるか」
「はっ? 御屋形様、何を仰っておられますか!」
信玄に随行して中陣に参加していた「武田四天王」の一人、高坂昌信は、まるで死を覚悟したような信玄の言葉に慌てて詰め寄る。
「ここはもはや地獄の一丁目よ。いつあの鉄の球に襲われるやも知れぬ。儂が死んでからは3年の間は儂の死を秘匿せよ。連中もよもや儂が前線にいたなどとは思わぬだろう。信廉を影武者とし、共に勝頼を、武田家を支えるのだ」
「斯様なことはございませぬ! 某が本陣まで先導します故、ささ、早う!」
昌信は信玄に撤退を促すが、信玄はその場を動こうとはしない。
「『逃げ弾正』よ。今の状況で儂まで行けば無駄死になるぞ。これはお主にしか頼めぬのだ」
「ですがっ!!」
高坂昌信は「逃げ弾正」という異名で呼ばれていた。すなわち、不利な撤退戦に強い将という意味である。その昌信をも失えば、勝頼一人では撤退戦など到底不可能である。
史実の「長篠の戦い」では昌信は参戦せずに海津城を守備して運良く難を逃れたが、昌信がいなければ、「長篠の戦い」の大敗による影響はさらに拡大していただろう。
その昌信が今居なくなれば、武田は文字通り崩壊してしまう。
「心配せずとも儂は死ぬ気など毛頭ない。早う行けぃ。勝頼まで死ねば武田は終わりよ」
砲弾がいつ襲ってくるか分からない場所から動こうとはせず、死ぬ気はないと言う信玄の矛盾する言動に、昌信は顔を伏せながら信玄の心中を慮って主君に背を向けた。
「……どうかご武運を!」
昌信は大粒の涙を浮かべ、最愛の主君に別れを告げる。馬に乗ってその場を離れた直後、背後で轟音と共に砂塵が巻き起こるのが目に映ったのだった。
「焼津の戦い」、後世にそう呼ばれるこの戦いが、「甲斐の虎」武田信玄の最後の戦となったのであった。
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