室町幕府の滅亡と父子の相剋

8月、摂津国の普門寺城で室町幕府第14代将軍・足利義栄が亡くなった。享年28。三好三人衆の仲間割れ、そして蒲生家の京進駐による心労が義栄が以前から患っていた背中の腫物を悪化させるに至ったのか、将軍に就任してから僅か半年で史実よりも早く呆気ない死を遂げた。


京が戦乱に晒され、三好家に変わって新たな勢力が占領した。名ばかりの将軍と言えども義栄にとって大きなストレスとなったに違いない。


それに加えて、義栄には幕臣や親族にも頼れる者がおらず、義栄自身に力がある訳でもない。母方は周防国・長門国を中心に西国で大きな権力を誇り、一時は足利義尹を奉じて上洛するなど、“天下人”に最も近い地位にいた大内義興の娘であったが、その大内家も義興の嫡男であった義隆の代に重臣の陶隆房の謀反を受け、大内家は滅亡してしまった。


そう考えると、室町幕府で唯一の京入りを果たすことのできなかった将軍となってしまった義栄は、歴代将軍で最も不幸な将軍だったと言っても過言ではないかもしれない。


蒲生家は将軍を担ぎ上げることはなく、幕府は将軍不在となり、室町幕府は事実上滅亡したと言っていい。史実では義栄の後に担ぎ上げられた足利義昭が“謎の死“を迎えたのも原因である。


元より将軍などいてもいなくても大差ない状態だったのだから、そう問題ではないのだろうが、まだ足利将軍家には義栄の弟で平島公方の足利義助がいるので、三好は義助を次期将軍に担ぎ上げようと企むだろうな。


一方、蒲生家は京を押さえて60万石近い石高になった訳だが、蒲生が三好三人衆の残る2人を相手取るにはまだ少々戦力不足だろう。これから宗智がどう動くのか見ものだな。





◇◇◇





山城国・槇島城。


槇島城は南山城の宇治にある巨椋池という巨大な池沼に浮かぶ中洲に築かれた城であり、「勝竜寺城の戦い」で大きな痛手を受けた蒲生家は、防御力に優れたこの槇島城を京統治の拠点に定めて駐留していた。


9月上旬、その槇島城の評定の間で、蒲生宗智と蒲生忠秀が声高に議論を交わしていた。


「父上! 今の状況で蒲生家だけでこの秋に三好と対しようとは、正気でございまするか!」


蒲生忠秀は憤懣やる方ない様子で父である蒲生宗智に対して怒鳴り声を上げた。周囲の家臣らは普段は温厚な忠秀の見たことのない激高した様子に震えて顔を伏せたが、当の宗智本人は一切動じることなく、平然とした表情で上座に座っていた。


本来ならば蒲生家当主の忠秀が座るはずの上座だが、実権を握っているのは宗智であるため、忠秀本人も自らの感情を抑えて宗智の不遜な行為を黙認していた。


「ふん、当然であろう。我ら蒲生家が他の五家に置いて行かれぬためには、三好を独力で打ち破り、蒲生家の力を示さねばならぬ」


宗智は冷静な声色で淡々と返す。三好は丹波、大和、山城を立て続けに失い、領地は四国と摂津を残すだけの72万石に大きく減退している。


対する蒲生は「勝竜寺城の戦い」で大きな損害を受けたものの、山城国を得たことで60万石近い領地になり、国力的には真正面から戦ったとしても、決して勝算が見えない訳ではない状況となっていたのである。


「我らは先の戦いで大きな傷を負い申した。岩成友通一人を相手にしてもこれほど苦戦したのですぞ。残る二人を両方相手取るなど無謀に近い愚策ではござらぬか!」


忠秀の言い分も尤もであった。三好三人衆を相手取れば戦況が泥沼化して、前回以上の損害を被る可能性も否定できないのだ。蒲生が敗北する可能性を無視した宗智の楽観的すぎる強硬姿勢に、理性的でリスクを忌避する性分の忠秀は頑なに反論した。


「儂が指揮すれば三好など一捻りよ」


「勝竜寺城の戦い」では忠秀が最前線で指揮していた。忠秀の指揮を批判するような宗智の口ぶりに忠秀は歯軋りを響かせる。


「ですが!」


「ええぃ! お前は黙って儂の言うことを大人しく聞いておれば良いのだ!」


宗智は焦っていた。還暦近い58歳という年齢では、自らの死期を意識し始めるのも当然である。ただでさえ蒲生家は近濃尾越六家同盟の中で大きく出遅れている。己の命が尽きるまでに、どれだけ他家との差を縮めることができるか、宗智はそれに躍起になっていたのだ。


一方の忠秀には蒲生家の当主としての矜持がある。先日行われた統驎城での六家会談では、他の五家は当主が出席していたというのに、蒲生家だけは前当主の宗智が出席した。忠秀も当然出席すると主張したものの、結局は宗智の威圧に屈してしまい、当主としての面目を失った忠秀は耐え難い屈辱感を抱いていた。


そして今、忠秀は自分の存在を全否定するかのような言葉を実の父親から浴びせられ、歯を食いしばり、拳を強く握って堪えようと努めていた忠秀であったが、長きに渡って耐え続けてきた忠秀の堪忍袋の緒はついに切れたのであった。


「父上は他家に攻め入って勢力を広げることばかりに気を取られておられますが、大事なことを忘れてはおりませぬか?」


忠秀は僅かに残った自制心を駆使して、努めて冷静に宗智に告げる。


「よもやお前が儂に説教を垂れるとはな。何が言いたいのだ?」


宗智は息子の忠秀に説教臭い物言いをされたことが気に障り、忠秀を鋭い眼光で睨みつけた。しかし、忠秀も怯むことなく宗智の目を見返す。


「我らが守るべきは蒲生郡の日野の地、日野の民にございまする。父上の申されるような強引な力攻めでは、いずれ綻びを招くのは必定にございまするぞ」


「では、お前はどうするべきだと考えるのだ?」


「某は寺倉家にたとえ従属してでも、兵を借りることが最も御家の為になると存じまする」


寺倉家に従属する、そんな忠秀の言葉に宗智は憤慨し、間髪入れずに唾を飛ばしながら怒鳴った。


「たわけたことを申すでないわ! 寺倉は我らの……」


「元家臣、にございましょう? それくらい申されずとも某も存じておりまする。血を分けた息子であります故、父上の心情も少しは理解しているつもりにございまする」


宗智にとって寺倉家は7年前まで蒲生家の家臣だったという潜在意識が、寺倉家が100万石の大大名となった今なお非常に色濃く残っていた。そんな寺倉家の傘下に入ることになれば、御家安泰の道に繋がることは頭では理解できても、宗智の感情がそれを拒んでしまうのも無理はなかった。


そんな父親の心情を慮ってか、忠秀は慈愛の込もった眼差しを宗智に向けた。忠秀にも寺倉家が蒲生家の家臣だったという意識はある。ただそれが宗智と比べれば格段に薄いという程度であった。


しかし、一方で忠秀は寺倉家当主の寺倉正吉郎を尊敬していた。この世の古い慣習を破壊し、次々と革新的な施策を実行する正吉郎はやがて周囲を巻き込み、寺倉家は今や日ノ本随一の大大名となった。六家会談でも他の五家をまとめ上げ、筆頭格としての立場を如実に示した。


蒲生家を除く四家の当主も正吉郎の実力を当然認めているはずだ。いやむしろ宗智自身が正吉郎の力量を最も理解していると言えるだろう。正吉郎の秘めた才能に最初に目を向けたのは、他ならぬ宗智なのだから。


正吉郎は忠秀にとって10歳も年下だ。そんな若い正吉郎が寺倉家を率いるだけでなく、他の五家をも導いている姿は、実権を父に握られた忠秀にとっては憧れとも言える眩しい存在だったのだ。


だが、忠秀の言葉は宗智に届かない。宗智にとって寺倉家とはせめて対等でありたいという意地が強かった。


実の息子から元家臣の寺倉家に膝を屈することを提案されれば、宗智にとってはこれまでの人生を全て否定されたも同然であったのだ。


そんな矜持もあってか、頭に血が上っていた宗智の目には、忠秀の眼差しは老いた自分を憐れむかのように映ってしまう。


そして、宗智は顔を真っ赤に染め上げると、断固たる口調で言い放った。


「儂は寺倉に従属するなど認めぬ! 寺倉とは対等であるべきなのだ。決して膝を屈する相手ではない!」


「父上!」


宗智はもはやこれ以上の議論は無駄だと一切の思考を放棄し、勢いよく立ち上がると、呆れたような目を忠秀に向ける。


「もう良い。儂はお前の考えは認められぬ。どうしても寺倉に従属しようというのであれば、この儂を打ち倒してみせよ」


そう言い捨てた宗智は味方する古参の家臣を引き連れて槇島城を出ると、南近江の大津城へと移り、蒲生領全土から宗智に味方する譜代の家臣に出兵を募った。


こうして、蒲生家は現当主と前当主の二派に割れる事態に陥ると、圧倒的に実績に勝る宗智に味方する家臣が多く、当主とは言え実権を持たない忠秀には若い世代の家臣しか集まらず、苦境に立たされることとなった。


それもそのはず、蒲生家譜代の家臣にとっても寺倉家は元蒲生家家臣であり、元は同格の立場であったのだ。そんな寺倉家に主家が従属しようとするのに賛成する家臣が少ないのも当然と言えよう。


忠秀はこの非常事態をいち早く収めるべく、寺倉家の力を借りるため急ぎ統驎城に向かったのであった。

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