御旗楯無の終焉
能登平定
寺倉家が大和を制圧してから、6月中旬に統驎城に凱旋すると、出迎えてくれた市から蔵秀丸の時のように懐妊を告げられた。おかげで統麟城は戦勝と懐妊の二重の祝いで歓喜に包まれた。
3人目の子供だが、市にとって子供を産むのは何度経験しても慣れることはないだろう。ここ数年は戦に明け暮れていたこともあり、瑞葵姫の出産の際は立ち会うことができず、夫としては本当に面目なかった。
俺は市の漆の如く艶やかな黒髪を指で梳き、僅かに膨らんだお腹を優しく撫でながら、今回の出産は何としてもずっと市に寄り添っていようと心に決めると、暑さに苦しむ市のために、豆乳と蜂蜜でアイスクリームを作ることにした。
意外に簡単にできたアイスクリームを市に食べさせると、夏バテと妊娠で食欲不振だった市はとても喜んで食べてくれ、市曰く、「正吉郎様が作った料理の中で一番美味しい」とのことだ。やはりいつの世も女性は甘い物には目がないのだな。
◇◇◇
能登畠山家の居城・七尾城。
七尾城は「五大山城」の一つに数えられる堅固な城で、お膝元には城下町が一里余りも連なり、能登国の中心となっている。
能登畠山家は河内畠山家の分家に当たり、名君であった第7代当主・畠山義総の功績によって、能登畠山家は大いなる繁栄を享受した。義総は朝倉家の一乗谷のように、応仁の乱の戦火を逃れて下向してきた公家や文化人、商工従事者を手厚く保護し、七尾の町は「小京都」と呼ばれるほどの発展を遂げていた。
だが、義総が亡くなってから能登畠山家には暗雲が立ち込める。義総の次男・義続が家督を継ぐと、加賀一向一揆の力を借りた叔父に攻め込まれたり、重臣の間で権力争いが勃発して七尾城が一部焼失するなどした結果、義続の権力は失墜し、能登畠山家は「畠山七人衆」と呼ばれる年寄衆に実権を握られ、傀儡化することとなった。
義続は一連の騒乱の責任を取る形で、家督を嫡男の畠山義綱に譲って隠居し、義綱の後見人を務めたが、義続と義綱がこのまま黙っている訳もなく、「畠山七人衆」の筆頭である温井総貞を闇に葬ることにより、能登国主として復権を果たした。
その後、温井総貞の暗殺を契機に温井氏らが加賀一向一揆を味方にして大規模な反乱を起こしたが、義続と義綱は5年にわたる戦いの末に何とかこれを鎮圧し、この内乱の過程で能登畠山家の専制支配体制を確立したのであった。
そんな中、8月に越中の神保長職から能登畠山家に援軍要請が届いた。神保家とは数年前に長職が上杉輝虎に攻められた際に仲裁を頼まれ、停戦を合意させるなどして懇意にしていたのである。
「神保も素直に降伏すればいいものを。誠に阿呆な男ですな、父上」
「身の程も弁えずに抗うからよ。上杉の時のように我らに仲裁してもらえば停戦できるとでも考えたのだろうが、此度はそう都合良くは行かぬな」
「越中の次に浅井家の矛先となるのは間違いなくこの能登であろう。ならば、能登畠山家は存亡の危機に晒されよう。神保に援軍など送るどころの話ではないわ」
既に義続と義綱の耳にも「近濃尾越同盟」で浅井家と上杉家が同盟を結んだとの情報は届いていた。そのため、ここで神保家に援軍を送れば浅井家から敵対行動と見做されるのは自明の理であり、当然ながら神保からの援軍要請は一蹴されたのであった。
「左様ですな。100万石を優に超える浅井家と正面切って敵対するなど、まさに墓穴を掘るようなものですな」
「うむ。神保が滅んだ後には、おそらく浅井家から降伏勧告の使者が当家にやって来るであろう。さて、どうしたものかな、義綱? 決めるのは能登畠山家の当主だぞ」
「はい。叔母上が嫁いだ六角家は既に滅び、惣領家たる河内畠山家は援軍を求めるには遠すぎまする。頼れる者がない四面楚歌の状況でございます故、御家存続と本領安堵のためには浅井家に降るしかありますまい」
「そうだな。名門の能登畠山家を守るためには仕方あるまい」
畠山義続・義綱父子としても、この状況で真正面から浅井家に徹底抗戦するなどという愚かな考えを導き出すはずもなく、能登畠山家は浅井家に降ることを決意したのであった。
◇◇◇
越中国・富山城。
「ほう、能登畠山は大人しく降伏したようだな」
「はっ、能登畠山家は名門でございます故、御家存続が第一と考えたのかと存じまする」
9月中旬、浅井長政は畠山義綱からの降伏勧告に対する返書を読んで意外そうに呟くと、重臣の雨森清貞が応じた。
「しかし、能登を誰に治めさせるかが問題だな。畠山七人衆は浅井への降伏には大反対のようだからな」
「左様ですな。畠山七人衆は畠山義続・義綱父子と長く対立しており、能登を我が物としたいと考えておりまする故、浅井家への降伏には当然反対するでしょうな。したがって、能登を治めるには畠山七人衆を排除した上で能登畠山家に任せるか、あるいは……」
「両方を排除して浅井の直轄地とするか、か……」
今更、畠山七人衆が畠山父子に大人しく従うとは考えにくいし、かと言って力ずくで畠山七人衆を打ち滅ぼすのも、能登の領民の浅井家に対する心証を悪くさせて、後の統治をやり辛くさせるのも芸がない。潔く降伏した能登畠山家を無碍にもできず、これについて長政は大いに頭を悩ませていたところに、天の助けが現れることになる。
東越中の譲渡のために富山城に来た上杉輝虎から、奥羽侵攻の援軍派遣を求められたのだ。上杉家の奥羽侵攻の最初の標的は会津の蘆名家であり、輝虎はこの秋の11月にも侵攻を開始する計画だと言い、浅井家は約定どおり援軍を送らねばならない。
そこで、長政は畠山義続・義綱父子と畠山七人衆の両陣営に対して、会津侵攻の際に戦功を多く挙げた側に能登国代官を任せることとし、それまでは浅井家家臣が代官を務めると通達したのであった。
会津侵攻に援軍を派遣して上杉家との約定を守るのと同時に、浅井家の兵力を温存して両陣営の兵力を損耗させ、最終的には両陣営とも潰して能登を浅井の直轄地とするという、一石三鳥の悪どい企みであった。
しかし、この策が畠山義続・義綱父子の不満を呼ぶことになる。畠山義続・義綱父子は戦わずして降伏臣従したのだから、御家存続はもちろんのこと、当然ながら本領も安堵されると勝手に思い込んでいたのである。
本領安堵でないならば、戦って本領安堵を勝ち取るまでと考え直した畠山義続・義綱父子であったが、それを知った「畠山七人衆」は反逆を阻止せんと2人を襲って捕縛し、富山城の浅井長政の前に縛られた2人を連れて来たのである。
予想外の事態に驚いた長政であったが、「畠山七人衆」の遊佐続光と長続連から経緯を聞くと、さすがに反逆が露見した畠山義続・義綱父子を許す訳にはいかなくなった。
「畠山左衛門佐(義続)殿、畠山修理大夫(義綱)殿。何か申し開きしたいことはあるか?」
「小童め、よくも名門・能登畠山家の我らを縄目に掛けるとは! 」
「元は近江の国人領主の成り上がり者風情が!」
「ようやくお主らの本音が聞けたな。最近は臣従しても面従腹背の者が多くて困るのだ」
長政はそう言って遊佐続光と長続連に視線を向けると、2人は慌てて目を背けた。
「名門とはな。お主の先祖らが苦労して積み上げた功績の賜物だ。だが、名門の名に胡坐を掻き、領内を混乱させてきたお主らはただの阿呆の御家の恥晒し者だ。名門が聞いて呆れるわ。どうやら申し開きはないようだな。本来ならば反逆者は打ち首であるが、降伏したばかりの当主と前当主を殺すのはいささか世間体が悪いのでな。両名を追放処分とする故、河内にでも落ち延びるのだな。だが、河内も近い内に義兄の寺倉伊賀守殿が攻め入るであろうから、安住の地ではないと心得よ。では両名を船で小浜湊に運んで大飯郡に追放せよ」
長政は2人を浅井領からの国外追放に処し、2人は惣領家の河内畠山家を頼って落ち延びていったのであった。
これにより「畠山七人衆」は長政の企みも知らずに、秋の会津侵攻で能登国代官を懸けて戦功を競い合うことになる。
こうして、能登国21万石を制圧した浅井家は北陸道の敵を一掃し、会津侵攻の援軍派遣の後は西へと目を向けることになるのであった。
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