蒲生家の御家騒動① 忠秀の要請

「正吉郎様。蒲生家当主、蒲生左兵衛大夫様が正吉郎様への御目通りを願っておりまするが、如何なさいまするか?」


夏の残暑が残り、未だ青々とした木々が風に揺られる9月中旬の昼下がり、穏やかな空気に包まれていた統麟城の居室に、来客を告げる光秀の言葉が響いた。


「そうか、やはり来たか」


よほど至急かつ重要な要件でない限り、使いの者を寄越すのが普通であり、蒲生家当主が自ら来たことに本来は驚くべきところなのだが、実は2日前、俺は植田順蔵から蒲生で内紛が起きているとの情報を聞いたばかりだったのだ。


俺は両頬を両手でパンと叩いて、緩んだ気を引き締めると、光秀に向き直って告げた。


「すぐに会見の間に通してくれ。丁重にな」


「はっ」


光秀は首肯すると俺の居室を出て足早に去っていった。




◇◇◇




俺は会見の間で上座を作らずに忠秀の来訪を待ち受けていた。


この部屋は評定の間ほど広くはなく、と言っても30畳ほどはあるが、使者との会見などで使用する外交用の部屋である。当然ながら上座はあり、相手が朝廷や幕府の使者でもない限り、当主の俺が上座に座るのは何ら問題はないのだが、忠秀は実権を宗智に握られているとは言え、歴とした蒲生家の当主だ。その忠秀を見下す形で会見して、蒲生を下に見ていると捉えられるのは俺の本意ではない。「近濃尾越同盟」を結ぶ蒲生家当主に対する礼儀として、俺は下座で向かい合う形で忠秀と会見することにした。


光秀に案内されて会見の間に入ってきた忠秀とは久しぶりに会うが、顔を青白く染めて少しやつれている様子ながらも、ただならぬ気配で悲壮感すらその身に醸し出していた。


「左兵衛大夫殿、お久しゅうござる。蔵秀丸が生まれた後の正月以来、2年半ぶりですな。三好を退け、京の都を押さえられましたこと、誠におめでとうございまする」


「伊賀守殿、お久しゅうござる。伊賀守殿こそ、大和国を制圧されたお手並みは見事でございまするな。此度は突然の来訪、ご容赦いただきたい」


「いえ、お気になさいますな。ですが、左兵衛大夫殿自ら来訪されるとは、此度は一体どのような要件でいらっしゃったのか、是非ともお伺いしたいですな」


もし蒲生に何かあれば隣国の寺倉にも少なからず影響が及ぶ。俺は深刻な表情を浮かべる忠秀に努めて和やかに訊ねると、忠秀の言葉を待った。


「無論にございまする。身内の恥を他家に明かすのは忸怩たる思いでございますが、今月初めに今後の方針に関して父上と意見の相違があり、父上は激昂して城を出て兵を集め、私を排除しようと動いておるのでございまする」


「それは穏やかならざる話ですな。宗智殿が兵を集めて左兵衛大夫殿を排除しようとするとは、俄かには信じがたい話でござる。その意見の相違について詳しくお聞かせいただけますかな?」


大体は順蔵から聞いた情報どおりだが、それ以上に事態は深刻なようだ。宗智と忠秀の父子関係は決して険悪ではなく、寧ろ良好だったはずだ。宗智が兵を集めて家内が二分する事態に至るなど、よほどの意見の対立があったに違いない。


「父上とはこれまでにも意見の相違で何度も口論はあり申したが、いつもはお互いが歩み寄って仲違いすることなどございませなんだ。此度の対立の発端は、私が摂津の三好と対抗するためには、寺倉家に従属してでも助力を請うべきだと主張したことにござる。その考えを伝えたところ、父上は激高し、真っ向から反対して聞く耳を待たずに槇島城を出てしまったのでございまする」


なるほど。今の話で大体は事情が掴めた。蒲生は今は寺倉の後塵を拝しているが、おそらく宗智は寺倉とは対等な関係を築くつもりでいたのだろう。寺倉は元は蒲生の家臣に過ぎないという優越感が、現実では逆に寺倉に従属すべきという忠秀の主張で劣等感に代わり、理屈では理解できても、宗智の自尊心が受けつけないのも当然だろう。


一方の忠秀は、安定志向で御家存続を第一に考えており、国力で大きく勝る寺倉に従属するのが最も御家のためだと合理的に考えたのだろうな。


ただ、忠秀が寺倉への従属を考えたことには正直驚いた。忠秀にとっても寺倉は元家臣という意識が少なからずあるだろう。並大抵の思考では従属など決意できないはずだ。


「……なるほど。しかし、宗智殿が兵を集めているとなると、もはや親子喧嘩どころではなく、内乱寸前の事態でござるぞ」


「左様にございまする。父上は大津城に入って味方する譜代の家臣から兵を募り、私を力づくで打倒する考えのようでございまする」


俺は苦渋に満ちた表情の忠秀から目を逸らすと、「左様か。宗智殿がな……」と遠い目で独り言のように呟いた。


「しかし、父上に味方する家臣は予想より遥かに多く、今のままでは私は捻り潰されるのは明白でござる。父上は蒲生家の当主を息子か弟に挿げ替えるつもりでございまする」


蒲生の家中にも元々一介の国人領主だった寺倉の下につくなど認められず、勝ち馬に乗ろうという思考の家臣が多いのだろう。当主でありながらこれまで実権を宗智に握られたままの忠秀に人望が少なく、人が集まらないのも仕方のないことだろうな。


「そうなると、左衛門大夫殿の要件は我らに援軍を借りたいということでござるかな?」


「……左様にござる。全ては当主でありながら家中をまとめることができぬ私の未熟さによるものにござる。どうか父上のことは悪く思わないでいただきたく存じまする」


「無論です。宗智殿の心情も分からないではござらん。人は理屈だけで動くものではありませぬ。寺倉家と対等でいたいという矜持に拘る宗智殿には何の責もござらん。むしろ当然でしょうな」


「では?」


「うむ。援軍はお貸ししよう。早くこの御家騒動を収めねば、漁夫の利で三好を喜ばせるだけにございまする故な」


「寛大なお言葉、誠にかたじけのう存じまする。此度の騒動を鎮めた暁には、蒲生家は寺倉家に臣従いたしたく存じまする」


忠秀は深々と頭を下げた。その目には偽りなき感謝や尊敬の感情が表れており、忠秀に対する俺の見方が180度変わった。


宗智の言うことに従うだけのロボットではない。愚直だが、合理的思考と熱い情熱を胸に秘め、必要とあらば恥を忍んでこうして頭を下げることもできる。10歳も歳下の男に、それも元は家臣であった男に頭を下げることなど、なかなかできることではない。


忠秀自身も非凡な才を有しているが、偉大な父親と比べるとどうしても見劣りしてしまう。だが、身命を賭して御家を守り抜くという点では、誰にも負けないくらい強い信念を感じ取れた。例えるなら江戸幕府第2代将軍・徳川秀忠だろうか。名前も似ているしな。


俺はそんな忠秀の覚悟に感心しながら柔らかな微笑を返すと、首を左右に振った。


「いや、臣従などするには及びませぬ」


忠秀の"臣従"という結論に至るまでの苦悩を感じ取り、俺は忠秀の申し出を"否"とするべく、徐に口を開いたのだった。

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