山辺の戦い②

「……我らに内応しろと、お主はそう申すのか?」


「左様にございまする」


「ふん、此方の手の内は完全に見透かされていたという訳か。なるほど、寺倉家の素破はほとほと恐ろしいの」


越智家当主・越智家広は、寺倉軍の背後を突こうとする策を植田順蔵に看破されて、面白くなさそうに大きく嘆息した。


「それで、寺倉家への内応を考えてはいただけませぬか?」


「本来ならば首を縦に振ることなど決してできぬところであるが、我らの策が筒抜けだというのであれば話は別だ。寺倉家が一介の弱小国人から100万石の大大名にまで伸し上がった理由も頷ける。このまま筒井に与していたところで、敗北は必至だろう。条件次第では提案に乗ろうではないか」


「有難きお言葉にございまする。私は植田順蔵と申しまする。僭越ながら寺倉家の重臣の末席を汚す者にございます」


「ほう、お主は一介の素破ではないのだな。お主のような素破が重臣として召し抱えられるなど、近江ではよくあることなのか?」


家広の声音には侮蔑の感情が篭っていた。


この時代、素破という身分は非常に低いものとされてきた。そんな素破の身でありながら重臣として取り立てられた例としては、六角六宿老の三雲定持が挙げられる。


家広の目には、卑しい素破を重臣として重用する成り上がり者の寺倉家に対して、卑俗を軽蔑するような感情が確かに込められていた。


「いえ、そういったことはないでしょう。ただ一つ申せるのは、伊賀守様はたとえ身分の低い者でも、新参者でも差別することなく扱う御方であるということのみにございます」


しかし、順蔵はそんな視線には慣れているのか、さして気にも止めず淡々と返答した。


「クク、お主は余程心酔しているのであろうな。私も一度会ってみたくなった」


「我らが出す条件を飲めばそれも叶いましょう」


「ならばその条件とやらを聞かせてもらおうか」


「まず此方が求めるのは寺倉家への臣従、この一点のみです。その代わりに越智家の所領安堵、そして重臣としての待遇を約束いたしましょう」


「……それが真ならば破格の条件ではないか。我らに何一つ不利がないであろう」


「伊賀守様は寛大な御方故、これは至って普通のことにございます。ただ、伊賀守様はどうやら『大和四家』で残すのは最も強い一家のみで、その家に大和国の代官を任せる腹積もりのように見受けられまする」


「普通、とな。良いだろう。なるほど、我らに他の三家を討ち果たして見せよというつもりか。では、我らは寺倉家に臣従致す。寺倉伊賀守様によしなに伝えて頂きたい」


「ご英断、感謝致しまする」


順蔵は深く頭を下げた。


この越智家の内応が、この後の大和の制圧に大きな影響を及ぼすことになるのは言うまでもない。





◇◇◇






「鉄砲隊、放てーーー!!!!!!」


狭い谷合いの場所でこの戦が初陣となる嵯治郎の甲高い声が木霊した。筒井軍が鬨の声を張り上げて此方へ一気呵成に突っ込んでくる。


先陣が動き出したのは、巳の刻だった。梅雨の晴れ間で気温も上がり、雨も降っていない。鉄砲を撃つのには最適な時間であった。筒井軍は俺たちを挟撃して兵数差を挽回しようと考えているに違いない。


だがそれは罠だ。越智家広は既に寺倉家に内応しており、俺の指示で動いている。無論、それを筒井藤政が知るはずもない。むしろそれどころか、藤政の情報は此方に筒抜けである。


俺は藤政に掌の上で転がされているように見せて、逆にこちらが転がしていることにほくそ笑む。


寺倉軍は引きつけた筒井軍を鉄砲隊で一斉に銃撃した。馬は本来臆病な生き物だ。碌に鉄砲の音に慣れていないであろう筒井軍の馬は、一斉射撃の音に驚いた途端に暴れ出し、乗っている将を振り落としただけでなく、後ろの歩兵を足止めし、筒井軍の隊列は乱れて混乱した。そして当然、筒井軍が混乱しているのを見逃す嵯治郎ではなく、すかさず追撃するように鉄砲隊の第二列に発砲を命じたのであった。





◇◇◇





混乱の渦に包まれつつあった筒井軍の脇腹を何かが襲った。


「な、なんだ、何が起こっておる!!!」


藤政も混乱を収めようとするのに精一杯で、采配に精彩を欠いていた。故に何に攻撃されたのかも見当がつかず、あたふたするばかりであった。


「あ、あれはおそらく寺倉家の家紋、『二ツ剣銀杏紋』かと思われます!」


藤政はその言葉に凍りつく。それと同時に信じられないという気持ちと裏切られた憤怒の感情に駆られた。


「おのれ、裏切ったな!家広よ!!!先祖の恩を忘れたか!」


筒井家と越智家は幾度となく争ってきたが、天文元年に起こった天文一揆で一向宗徒が越智家の本拠である高取城に攻め寄せた際、越智家に援軍を送ったのが筒井家だったのである。故に、越智家にも筒井家に対する恩情はあったものの、家広はこれまで争ってきた歴史から割り切って考えていたのだ。


越智家広が筒井軍の横を容赦なく攻撃すると、ポツポツと大粒の雨粒が将兵の頬を濡らした。


それはやがて大雨へと移り変わり、視界も儘ならぬほどの豪雨に至った。


「この雨では鉄砲は使えぬ!鉄砲隊は下がり、騎馬隊は前に出よ!」


「「「応ッッ!!!!!」」」


そして、小笠原長時率いる騎馬隊は身を切り刻む暴風に打たれながらも、既に水溜りがあちこちにできている地面を勇猛果敢に駆け抜けた。


それはまるで決して砕けぬ矢の鏃であった。無数の雨粒を振り払うように兵たちは筒井軍を正面から襲う。


「お、越智が裏切ったぞぉ!!!!」


越智軍の裏切りと突然の雨も相まって筒井軍の混乱は最高潮に達しようとしていた。こうなれば、立ち直るのは不可能である。


絹を裂くような悲鳴が戦場に響き渡る。暴風雨は筒井軍の将兵の心情をそのまま表していた。血とも泥水とも土とも言えない三つの決して混じることのない液体が、戦場で弧を描き生々しく舞っていた。


さらには雨で視界が悪くなり、越智家という大和国の有力国人が裏切ったことで総じて疑心暗鬼となっていた筒井軍は、敵味方の区別がつかないほどの混乱に侵され、一部では同士討ちまで起こり始めた。


やがて同士討ちの影響は筒井軍の本陣まで及び、筒井藤政は味方の攻撃によって無念にもその命を散らした。


そして、一刻が経った頃、先程の暴風雨が嘘だったかのように雲は消え去って空は蒼く晴れ渡り、まるで戦で散った者たちを追悼するかのように、青空には見事な虹が明媚に弧を描いていたのであった。

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