山辺の戦い①

5月中旬。例年より早い梅雨入りを迎え、断続的に雨が琵琶湖の水面を激しく打っていた。


そんな陰鬱な天候を切り裂くように、寺倉軍は統麟城を出立した。狙いは大和国である。


畿内の覇権を巡って抗争を続ける三好三人衆と松永久秀であるが、この両者が内部抗争をせずに一枚岩であれば、三好家は本来敵対するには強大すぎる相手である。


しかし、寺倉家が100万石の大大名になろうとも、三好三人衆ら三好家の連中が畿外軽視の姿勢を崩すことはなかった。いや、こちらに目を向ける余裕はなかったのだろう。


そんな隙を俺が見逃すはずもない。寺倉軍1万は統麟城から出陣して真っ直ぐ伊賀の玲鵬城に入ると、南西に抜けて大和国の山辺郡へと攻め入った。


大和国は4月に松永久秀が堺に逃亡し、筒井藤政によって久秀から奪還を成し遂げられたものの、筒井家の統治体制は脆弱を極めていた。松永久秀を討つため共に手を組んだ大和国人衆の統率もままならず、群雄割拠と言ってもいい状態であり、中には筒井を討って大和国を乗っ取ろうと目論む国人衆まで現れる始末であった。


そんな混乱した状況の大和国は寺倉軍の侵攻を受け、瞬く間にさらなる混沌に巻き込まれることとなったのであった。





◇◇◇




大和国・多聞山城。


「なに?!寺倉軍が此方へ向かっておるだと? 」


松永久秀の居城であった多聞山城の本丸に座していた藤政は、寝耳に水の凶報にカッと目を見開き、未だ17歳とは思えぬ気迫を纏わせた。


筒井家の重臣・嶋清興は、そんな主君の迫力に気圧されることなく毅然とした態度で返答する。


「左様にございます。敵の兵数は約1万。まともに戦えば勝ち目はないでしょうな」


淡々と告げるその態度が気に触れたのか、藤政はこめかみに青筋を浮かべ、胡座をかく両足を小刻みに震わした。


「くっ……」


藤政は言葉を詰まらせる。漸く大和国を奪還したばかりだというのに、予想もしていなかった新たな敵の侵攻によって再び脅威に晒される。大和国主として屈辱的なことこの上ない。


「城から打って出ても兵数差は歴然であり、敗北は必至と言えましょう。ならば籠城して耐えるのも一手かと存じます」


「籠城は援軍無くしては兵糧が尽きるまでのただの延命にしかならぬ。三好はこれ以上大和に注力している余裕はないだろうしな。それに大和国は戦乱に巻き込まれ荒れ果てておる。支配も儘ならぬ中、領民からこれ以上兵糧を巻き上げる訳にも行かぬ故、兵糧が心許ない。くそっ、久秀め。多聞山城の兵糧を根刮ぎ回収していきおって」


形振り構わず大和の民のことなど一顧だにしない松永久秀の悪どい行動に、藤政は呆れを含んだ溜息と共に悪態を吐く。


「やはり稀代の謀略家、といったところでございましょうか。やることなすことに無駄がありませぬな」


「ああ。奴は形勢が不利になったと見るや否やさっさと大和から尻尾を巻いて逃げ出しおった。久秀と畠山は先日の敗戦に懲りず和泉に兵を集めているらしい。三好はこれの対応に追われることになろう」


「では、如何なされるのでございまするか?」


「……ならば打って出るしかなかろう。幸いなことに我らには地の利がある。ようやく取り戻した大和国をそう易々と手放す訳にはいかぬのだ」


藤政は強い決意の宿った目で清興を見据えた。


「ははっ、承知仕りました。では国人衆に急ぎ出陣の号令を掛けまする」


筒井軍は味方する国人衆をかき集め、伊賀との国境に軍を進めたのだった。




◇◇◇




大和国・山辺郡。


伊賀と大和の国境線近くの狭い谷合いの場所に所狭しと大軍がひしめき合っている。


一方は1万の寺倉軍。もう一方は筒井軍の3千だ。


「半蔵、筒井軍の動きはどうなっている?」


「はっ。周囲をくまなく調べさせたところ、山辺郡の中之庄城に何やら兵が集結しているようにございます」


半蔵は俺が呼びかけた刹那、どこからともなく静かに姿を現した。俺はそんな半蔵を一瞥もすることなく話を進める。


「寡兵の筒井軍であれば挟撃するくらいしか手はないだろうな」


真っ向から戦ったところで結果はたかが知れている。ならば挟み込んで戦おう。その戦法はなんらおかしいことではないし、むしろ至極当然の考えである。だが相手が寺倉だったのが運の尽きであったな。此方は伊賀忍者を抱えているのだ。企みなどすぐに明るみに出る。


「おそらく左様に存じまする」


「ふむ、因みにその集結している軍を率いているのは誰だ?」


俺は自らの顎に手を添えながら、考える仕草をした。


「大和南部の国人領主、越智家広にございます」


「越智、か」


越智家といえば筒井、箸尾、十市と並んで「大和四家」と呼ばれる勢力の一角を担う有力な国人衆だ。大和への侵攻を防ぐため、四家が手を合わせてこの兵数をかき集めたのだろうな。大和国をこれ以上余所者に食い荒らされるわけにはいかない。そんな意地を感じた。


越智家は一時は幕政に参画するほど大きな影響力を持っていた、大和国の中心的勢力ともいえる存在だ。過去幾度となく筒井家と争っており、筒井家が大和国の国主として振舞っているのを快くは思ってはいないはずだ。そこが寺倉にとって付け入る隙になる。


「半蔵、順蔵と共に越智家広に調略を仕掛けろ。所領安堵と一族の助命、そして技術の提供諸々あらゆる条件を出して首を縦に振るまで交渉を進めろ。なんとしても此方へ引き入れるのだ。そして、寺倉は『大和四家』で最も強い一家だけを残して、大和国の代官にするつもりらしいと吹き込め」


「はっ」


半蔵は俺の命令に短く返すと、一歩下がって音もなく姿を消した。


伊賀国の国境近くに位置する城だからか、中之庄城は伊賀国に良く見られる城郭構造をしているようだ。伊賀国の城郭構造に詳しい半蔵ならば、中之庄城の構造もすぐに把握できるだろう。越智家への脅しの材料ともなる筈だ。


だが、俺は越智家を含めて「大和四家」など全く信用するつもりはない。元は興福寺に仕えていた彼らは鎌倉時代から時にはまとまり、時には敵対しながら御家存続のために延々と離合集散を繰り返してきた。


そんな奴らが寺倉に心から忠誠を誓うはずがない。たとえ臣従したとしても今は寺倉に味方する方が生き残るためには最善だという一時凌ぎであって、どうせ面従腹背ですぐに裏切るに決まっている。


それに、離合集散を繰り返してきたということは崩しやすく脆いということだ。大和四家の間に絆などという生易しいものはない。少し楔を打てば脆く崩れ去るに違いない。


だが、その越智家の調略が成功するか否かでこの戦いの勝敗は大きく違ってくる。調略はあくまで慎重に行う必要がある。俺は鉛色の暗い空とその隙間から差す一条の光を見つめながら、調略の成功を願ったのであった。

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