祝宴と薬草風呂

1月中旬、玲鵬城へ居城を移した俺は、家臣や領民らを城門前の広場に集めて伊賀国司として所信表明を行うことにした。


「皆、今日はよく集まってくれた。まずは新年おめでとう。寺倉家もついに三国を治める大大名にまでなった。これも全てお主ら家臣たち、そして縁の下で我らを支えてくれた領民たち、皆の助けがあったからこそだ。この寺倉伊賀守蹊政、あらためて礼を申すぞ」


俺は一旦言葉を区切ると、頭を下げた。ほんの会釈程度である。


しかし、その行動が領民らの心を大きく打った。固唾を呑んで平伏していた領民らは、俺がいきなり発した感謝の言葉に茫然すると共に、口を半開きにして感激していた。


俺は静まり返った領民らに力強く告げる。


「私が目指すのは戦のない、笑顔の絶えない平和な世である。そのためにはこの戦乱の世を一刻も早く終わらせなければならぬ。この寺倉伊賀守がここ伊賀国の、そして日ノ本の平定を約束しよう。そのためにはお主ら皆の力が必要だ。平和な世を作るため、これからもどうか私に力を貸してほしい。よろしく頼む」


「我らは伊賀守様のお陰でこれまで数えきれぬほどの恩恵を受けてきた。その伊賀守様に頭を下げられて頼まれては伊賀の民の面目がないぞ。皆の衆、命を賭して寺倉家を盛り立てて参ろうぞ!」


伊賀代官の沼上源三が領民を鼓舞するかのように叫ぶと、刹那の沈黙の後、


「「おおー!!!!」」


所々から源三の檄に応じる喚声が上がると、それは周りに伝播し、爆発的な怒号となって玲鵬城全体を包み込んだ。


未だ興奮が冷めやらぬ中、俺は城内だけでなく城門前の広場でも領民を招いて盛大な宴を催した。これは玲鵬城のお披露目会も兼ねた新年の祝宴だ。そして、100万石を超えた寺倉家の威信を伊賀の民に示す意味もある。


これを見た他家の間者は寺倉家の勢威に震え、対照的に領民たちは新たな世の到来を感じるだろう。人間には口で幾ら丁寧に説明したとしても、それには限度がある。やはり目で見た事実が最も効果的なのである。


祝宴には伊賀で栽培を始めたジャガイモの恩恵を領民たちにも分け与えるために、芋焼酎の梅干し割りはもちろん、揚げたてのコロッケにジャガイモで作ったニョッキを入れたすいとん、ジャガイモを入れた猪汁など、寒い冬の季節には何よりの御馳走となる温かい食事を提供した。


領民たちは伊賀で栽培し始めたジャガイモがこれほど美味しい酒や料理になることに驚き、先を争うようにして酒を飲み、料理を食べて、日が暮れるまでこの新春の宴を心ゆくまで楽しんだのであった。


後世に「寺倉の象徴たる威容」と称えられる伊賀の玲鵬城は、日ノ本屈指の平山城として伊賀に未曾有の繁栄をもたらすと共に、寺倉家の鎮守府として最前線を守護していくことになる。


◇◇◇

「寒いなあ、こういう時は温泉にでも入りたいものだ」


昨年の12月中旬、寒波の襲来につい無意識にぼやいた俺は、伊吹山の麓に現代で温泉があったことをふと思い出した。


そこで俺は甲賀衆に命じて伊吹山麓一帯を調べさせると、米原側の麓に天然の温泉が湧き出している場所があり、地元の村の民が「隠し湯」として利用しているという。


冬場なので湯気が立ち上っているのが一目で分かり、山の中でも容易く発見できたそうだ。「隠し田」ならば検地であらかた暴いたが、さすがに温泉は検地の対象外だ。


現代では25度以上の水温があれば法的には「温泉」なので、実際には追炊きしている温泉も多いのだが、この時代の温泉は当然ながらほとんどが露天の天然温泉だ。


そして、普段は湯を沸かす薪代が嵩むため、上流武士でも月数回の蒸し風呂に入るのが精々で、湯舟に浸かることは年数回しかない。一般庶民ならば尚更で、夏は川や井戸で水浴びするか、冬は湯に浸けた手拭いで体を拭く程度なのが、この時代の風呂事情なのだ。


甲賀衆から温泉発見の報を聞いた俺は、そこを整備して伊賀と並ぶ温泉保養地とすることを思いついた。


豊かになった寺倉領の領民は、特に冬場は湯治を当然望んでいることだろうし、伊賀は寺倉領の北部からは距離的に遠いし、伊賀だけではキャパシティオーバーだからだ。


それに伊吹山の麓は東山道や北国街道にすぐ近いという好立地でもあり、街道を通る商人や旅人を相手にした新たな観光産業を興せるとも考えたのである。


伊吹山。


近江国と美濃国の国境にある標高1300m超の石灰岩によって構成される山であり、その地質と越前からやってくる強い季節風によって雪が多いため高木が育たず、低木が多く自生する独自の生態系を持っている。


そのため、伊吹山には薬草が多く生えており、「薬草の宝庫」と呼ばれている。その数は延べ280種類にも上る。史実では平安時代には薬草が宮中に献上されたり、信長が薬草園を作らせたり、徳川幕府の命令によって薬草採取が行われている。


伊吹山はこれまでコンクリートの材料となる石灰石の採掘で大きな利をあげた場所であったが、そんな「薬草の宝庫」であるのならば、石灰石だけではもったいない。せっかく領内にあるのだから、貴重な資源を最大限に活用しない手はないのだ。


そこで温泉の出番だ。温泉はこの時代でも日本各地に割と多く存在する。集客力を高めるために伊吹山の温泉を特色あるものにする方策として、俺は伊吹山で採取できる薬草を使った「薬草風呂」を作らせることにした。


「薬草風呂」は温泉に薬草を浮かべるだけの非常に簡単なものだ。しかし、その効能は侮れない。温泉自体の温熱効果に薬草の様々な効能が加わるのだ。


病人や戦での怪我人の療養だけでなく、石灰石の採掘で身体を痛めた者などにとっても貴重な疲労回復手段になり得るはずだと期待している。


伊吹山の温泉を「隠し湯」として利用していた近くの村は、土壌が良くないため農産物の収穫の少ない貧しい小さな村だと言う。そこで俺は、その村の民を格段に肥えた土地に移転させると、その村を甲賀衆に与えることにした。


そして、俺は薬草について明るい甲賀衆の中でも、時に薬草に詳しい者に伊吹山での薬草採取を命じて、幾つかの効能に分けた「薬草風呂」を作らせ、宿屋や飯屋、遊郭などを設けることによって、その貧しかった村を温泉保養地にしようと計画したのである。


甲賀衆であれば、伊吹山からの薬草の採取と「温泉風呂」の管理を任せられるし、甲賀秘伝の薬の製造にも都合がいいだろう。

さらには、温泉保養地を訪れる商人や旅人から各地の様々な情報を容易く入手できるようにもなるはずだと目論んでいるのだ。


そして、俺は伊吹山で採れた薬草を伊賀にも運ばせるようにした。同じ寺倉領内だ。有効活用しない手はないし、南部の領民にも「薬草風呂」を味わわせてやりたい。


俺は楽しみにしていた伊賀の温泉に薬草を入れて「薬草風呂」を作らせると、露天風呂に家族4人で入浴した。


「正吉郎様。香りも良くて、とても気持ちがよいですね。体の芯までぽかぽか温まってきます」


瑞葵姫を抱いたまま入浴している市が気持ち良さそうに感想を告げてきた。


「そうだな。やはり寒い冬は温泉に限るな。市は産後の体ゆえ、伊賀では温泉でじっくりと体を労わると良いぞ。蔵秀丸はどうだ? 気持ち良いか?」


「あい。ちちうえ」


数え4歳になった蔵秀丸が俺の膝の上でニッコリ笑って返事をする。数え4歳と言っても年末の生まれだから満2歳になったばかりなんだがな。


「そうか、そうか。温泉が気に入ったか」


これでは戦国大名ではなく、完全にマイホームパパだな。まあ、家を留守にすることが多い俺にとっては、束の間の家族サービスだ。こういう時間が命の洗濯と言うのだろう。


俺も「関谷の退き口」で負った古傷を癒しながら「薬草風呂」を満喫し、明日への英気を養うのだった。

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