幕臣の仕官

9月下旬、統驎城に意外な訪問客があった。

亡き義輝の幕臣であり、内通者として寺倉家に情報提供で協力していた和田惟政と、見知らぬ男の2人が統驎城を訪ねてきたのだ。


今回は俺が上座に座り、惟政ともう一人の初老の男は下座で平伏している。


「寺倉伊賀守様。お久しぶりでございまする」


久々に会った惟政の顔は少々やつれた様子であった。


「おお、和田弾正忠殿ではないか。亡き公方様に京で謁見した時以来だな。……此度は公方様は誠に残念であったな」


「左様、かれこれ4年ぶりでございまするな。公方様は誠にお労しく……お救けできず、幕臣として無念でございまする」


惟政は史実では室町幕府第15代将軍・足利義昭にも仕えた幕府の忠臣だが、後の義昭となる覚慶も死んで、三好の追手から辛くも逃れてここにやって来たのだろう。


「うむ。和田弾正忠殿はあの変の時は二条御所にはいなかったのか?」


「はい。二条御所で変が起こる数日前に、実は例の公方様に隠し立てしていた件が細川殿に暴かれ、公方様から叱責されたのでございまする。私は謹慎処分を受けて屋敷に籠っていたため、運良く難を逃れたのです。ですが、寺倉様に手紙を送っていたことは知られておりませぬゆえ、どうかご安心くだされ 」


「そうであったか。とうとうバレたのか。まあ、4年も隠せたのならば良しとせねば仕方あるまいな。それはそうと、隣の御仁はどなたかな? 私に紹介してくれるか?」


「はい。隣におられるのは小笠原信濃守殿と申されまして、客分として公方様に仕えておられた方でございまする」


小笠原長時だと? 確か筑摩郡を治めていた元信濃守護で、武田信玄に敗れて信濃を追われたはずだが、京に来ていたのか。


「寺倉伊賀守様におかれてはお初にお目に掛かりまする。某は小笠原信濃守長時と申しまする」


艾年ほどの長時は寡黙で白髪混じりの髷がよく似合う細身の渋い男だった。俺と惟政の会話には瞑目して静かに佇んでいたが、惟政に紹介されると、静かに名乗りを上げた。


「小笠原信濃守殿。名前は存じておるぞ。確か元信濃守護で、小笠原流弓馬術礼法の伝承者であったな」


長時は先祖伝来の小笠原流弓馬術礼法皆伝、すなわち流鏑馬のような馬上で射る弓術に長けた武将であり、信濃国に所領を持っていた時には村上義清、諏訪頼重、木曽義康と並んで「信濃四大将」と呼ばれた名将である。


「はっ。某のことを御存じいただいたとは、誠に光栄にございまする」


「うむ。それで、幕臣の和田弾正忠殿と公方様の客分の小笠原信濃守殿が2人揃って、今日は一体、何用で参られたのかな?」


聞かずとも用件は薄々察することはできるが、聞かねば話が先に進まない。2人とも俺を「様」づけで呼んでいるので、頼み事なのは間違いない。予想できるのは、義輝の仇討ちの依頼か、寺倉家への仕官のどちらかか、あるいは両方というところだろう。


「ははっ、我らは寺倉伊賀守様に仕官いたしたく罷り越しましてございまする」


「ほほう、仕官とな? てっきり公方様の仇討ちを頼まれるものと思ったのだが、違うのかな?」


「はっ、無論、公方様の仇討ちは望んでおりまするが、できますれば寺倉家臣として仇討ちの一助となれば幸いにございまする」


「ふむ。だが、六角承禎殿を討った私も、和田弾正忠殿にとっては元主君の仇なのではないかな?」


「いえ、確かに寺倉伊賀守様は承禎様を討ちなされましたが、それは正々堂々と戦った中でのこと。勝敗は兵家の常ゆえ、もはや恨みなどございませぬ。ただ私が恨んでいるのは裏切り者の蒲生めにございまする」


やはり武士にとっては正々堂々戦うことこそ美徳であり、裏切り者は嫌われるという訳だな。俺の鉄砲での待ち伏せ攻撃が正々堂々だったとは、とても思えないのだが。

それと俺自身、幕府の情報を得るために、その対価として惟政にもこちらの情報やら布団やら酒やらを密かに送りつけていた。無論、情報は流しても差し支えないものである。


また、ここ近江は元六角家臣の惟政にとって故郷でもある。以前から顔見知りだったこともあり、俺に仕官の白羽の矢が立った訳だろうな。


「なるほど。筋は通っておるな。では、小笠原信濃守殿はなにゆえ寺倉家に仕官しようなどと考えられたのかな? 私は7年前までは1万石にも満たない国人領主だった成り上がり者だぞ。名門・小笠原家の元信濃守護だった貴殿から見れば、仕えるに値しない家と思うのだが、どうだ?」


「はっ。畏まりました。まず申しあげますと、1万石にも満たない国人領主がわずか7年で100万石に成り上がった者など、日ノ本広しと言えども寺倉伊賀守様だけにございまする。それも斎藤道三のような主君殺しやお家乗っ取りの下剋上ではなく、寡兵で多勢を何度も打ち破る見事な戦いの末にございまする。『寺倉郷の戦い』や『沼上郷の水攻め』はもはや畿内では語り草になっておりまする」


俺は人を見る目はあると思うし、おべっか使いは嫌いなのだが、長時の目は本気だ。そこに一切の淀みはない。俺は少し恥ずかしくなり鼻を掻いて視線を背けた。


「そうか。次は筑摩郡を攻めるはずの竹中家に紹介しても構わないとも思ったのだが、故郷の信濃国に戻りたいとは思わぬのか?」


「今さら信濃に戻っても、決して領民に慕われた領主ではございませなんだ故、善政で誉れ高い竹中様には迷惑を掛けるだけかと存じまする。それに某は三国志が好きでしてな。「蓮華の誓い」の四家は合わせて350万石の大勢力にございまする。武田に信濃を追われ、同族の三好家を頼って幕府の客分として在京していた某が、そんな寺倉伊賀守様にお仕えしたいと考えても、決して不思議ではないと存じまする」


「ふむ、そうか。三好家は庶流の阿波小笠原家の末裔であったな。寺倉家は近い将来にその三好家と敵対するかもしれぬのだが、同族と言えども「将軍殺し」の大罪を犯した三好家には仕官はできないか」


「左様にございまする。たとえ分家の末裔である三好が畿内の支配者であり、公方様が邪魔な存在だったと言えども、主君である将軍を弑するのは絶対に許す訳には参りませぬ。しからば、たとえ同族であろうと三好は公方様の仇でございます故、寺倉家に仕官して公方様の仇討ちをと考えた次第にございまする。さらに言えば、騎射は勘が大事でしてな。某の勘が『寺倉家に仕えよ』と申しているのでございまする」


納得の説明だ。疑いの余地もない。長時からすれば主君を殺した三好家はもはや同族とは言えないのだろう。


「なるほど。相分かった。貴殿らを寺倉家に召し抱えよう」


「「ははっ、かたじけなく存じまする」」


「では、小笠原信濃守には騎馬隊を率いてもらおう。寺倉家には騎馬は500騎ほどしかないが、小笠原流弓馬術礼法の馬の扱いや騎射の術を教えて、武田の騎馬隊に負けないくらいに鍛えてやってくれ」


「ははっ、畏まりました。必ずや武田騎馬隊に勝るとも劣らない騎馬隊にしてご覧に入れまする」


「武田」と聞いて長時の目がギラッと光った。やはり武田信玄をかなり憎んでいるようだな。


「和田弾正忠は配下の甲賀衆はどれほどいるのか?」


「はっ、20人あまりでございまする」


「そうか。実は昨年末の『三雲城の戦い』で蒲生が甲賀郡を制圧した後にな、甲賀衆の生き残りが続々と寺倉家に仕官してきているのだ」


「なんと! それは真でございまするか?」


「うむ。今は70人あまりになっておる。そこで、甲賀出身の和田弾正忠には彼らも合わせて100名の甲賀衆を率いてもらいたい。どうだ?」


「ははっ。畏まりましてございまする」


俺は2人を召しかかえることにした。最近は所領の拡大が著しいため、文官も武官も全然足りていなかったからな。2人は必ずや大きな戦力になってくれることだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る