幕臣の仕官②
和田惟政と小笠原長時が仕官してから7日後、幕府の重臣である細川藤孝が和田惟政を頼って、寺倉家に仕官を申し出てきた。
「細川兵部大輔藤孝と申しまする」
「寺倉伊賀守だ。和田弾正忠から仕官したいと聞いたが、真か?」
藤孝は史実では永禄の変の後、幕府再興のために興福寺に幽閉された覚慶を救出するべく奔走している。
だが、その覚慶も亡き今、次期将軍の候補は三好が擁立しようとしている足利義親しかおらず、同族の細川晴元の仇敵として三好討伐令を義輝に上奏した藤孝にとって、三好に担がれた足利義親に幕臣として仕える道は現実的には閉ざされたと言っていい。
そのため、名門出身でプライドが高い藤孝は経済的に困窮する事態を避けるべく幕臣としての道を諦め、京に近い近江国に本拠があり、同じ幕臣だった和田惟政の伝手がある寺倉家に仕官しようとしたのだろう。
「左様にございまする」
「我が寺倉家は今、人材不足だ。貴殿のような優秀な人材が手に入るのは喜ばしい」
「大大名たる寺倉伊賀守様からそう評価されるのは至上の喜びにございますれば、我が才を存分に振るわせていただければと存じまする」
その時、僅かに上がった口角と共に藤孝の目から俺に対する侮蔑の感情を感じ取った。ほんの僅か一瞬であるが、それでも俺はその目を見逃さなかった。
「名門の俺が京に身の置き場がないから、仕方なく寺倉家に仕えてやろう」という魂胆すら感じられるほど、生来から根付いた底意地を感じた。名門に生まれ育った藤孝からすれば、元は地位の低い弱小国人領主の俺なんかに謙ることは、おそらく恥辱に近い行為なのだろう。
俺はその瞬間、藤孝を寺倉家に置いても何一つ良いことがないと直感した。
露骨な阿諛追従という訳ではない。むしろ仕えるべき俺に好感を持ってもらおうと、努めて柔らかな声と物腰で応対している。しかし、先ほどの目を垣間見てしまうと、目の前のそれが全て嘘、口先だけの言葉に感じられてしまう。
その点、和田惟政は対照的だ。惟政は曲がりなりにも元甲賀衆であることから優秀な能力を持っているが、嘘が下手だ。嘘を吐いても目が泳ぐのですぐに見破れる。よく義輝に4年も隠し事がバレなかったのが不思議なくらいだ。
だが、藤孝は常に腹に一物どころか二物は持っているだろう。そして、それを俺に明かすことは絶対にない。下手すると叛意も抱くかもしれない。藤孝はおそらくここにいる誰よりも優秀な文官になり、武官としても戦場で非常に優秀な能力を発揮するだろう。
だが、俺が少しでも怪しいと感じてしまえば、それは常時の疑念になってしまう。藤孝にとっても主君に疑念を抱かれたまま仕えるのは望んではいない筈だ。
俺に取り入ろうと美辞麗句で持ち上げる藤孝を胡散臭そうな目で数秒見つめた後、俺は藤孝にはっきりと告げた。
「だが、細川兵部大輔殿。人を見下すような貴殿の目は、好ましいとは思えぬな」
嘘である。露骨に他人を見下す目つきを見せていたならば、俺の左右に控える勢源と慶次郎が気づいて声を上げるはずだ。
俺も一瞬だけ“自分に向けられたから”気づけたが、もし藤孝が寡黙な男だったら、俺も気にしていなかったかもしれない。だが、藤孝が雄弁で表情が動くので気づけたにすぎない。
藤孝は俺の言葉に一瞬、キョトンとした様子で目を見開いていた。自らの心の内を見破られたからだろうか。
「ふふふ……これは手厳しい」
藤孝は苦笑いを浮かべることしかできず、額には僅かだが冷や汗を浮かべていた。
やはり図星だったのだろう。先ほどまで穏やかだったその目は細まって冷たい色を浮かべており、「もはや隠すこともあるまい」と雰囲気が別人に変わったようにも見えた。
「細川兵部大輔殿。大名が家臣を見定める際に一番大事にする点は何か分かるか?」
「はて、やはり『武』の力、あるいは官僚としての『政』の力でしょうか? 私はどちらも人並みの力は持っているかと存じまするが?」
「違うぞ。一番大事なのはな、『忠誠心』だ。残念ながら貴殿の目には、寺倉家に、俺に仕えようという忠誠心が感じられぬ。むしろ将来は叛意を持つ下地さえ見えた。あの六角が滅んだ理由は何だ? 蒲生の裏切りであろう? どうだ、俺に忠誠心を持っていると言えるか?」
「……確かに忠誠心は今は持ち合わせてはおりませぬな」
「であろう。貴殿は京で名門の家に生まれ育ち、米を食えぬような貧しい暮らしなど知らぬであろう? ただ公方様がお亡くなりになって生活が困窮するのが嫌で、和田弾正忠の伝手を頼っただけであろう。仇の三好に仕官するなど以っての外というだけで、別に“寺倉家でなくても”どこの大名家でも構わなかったのではないかな?違うか?」
「……確かに左様でございまするな」
「もちろん家族を養うために不本意ながら仕官する場合も実際にはあるだろうが、主君に忠誠を誓えぬ風見鶏は誰からも信用されぬぞ。それと一つ疑問なのは、二条御所の変の際に側近である貴殿がなぜ公方様の傍におらず、生き残ったのだ? 貴殿は討死するのが嫌で、二条御所を抜け出したのではないかな? 違うかな?」
「ふふふ、僅かに挨拶を交わしただけで私の本性を見抜かれましたか。まったく恐れ入りましてございまする」
その瞬間、俺の右に控えていた側近の滝川慶次郎が腰刀の鯉口を切った。藤孝に抵抗の意志は全く見られないが、俺に対する強い侮蔑の感情が感じ取れたからだろう。さすがは世渡り上手の細川藤孝だ。なるほど信長、秀吉、家康の三英傑にも取り入れる訳だ。
だが、寺倉家にはいくら有能であろうと忠誠心のない家臣は不要だ。たとえ能力が低かろうと常に俺と同じ目線で考え、間違っている部分は真っ向から指摘できる気概のある家臣の方が何十倍もいい。
もちろん、せっかく“恥を忍んで”仕官を申し出てくれた藤孝を、無碍に手放すには正直惜しい。だが、それでも俺の頭で本能が警笛を鳴らしているのだ。史実の信長にとっての光秀のような存在になると。それを無視して召し抱えるつもりはない。
「やめよ、慶次」
俺は短く言い放った。藤孝もその場から身じろぎせず、ジッとこちらを見つめている。
「ですが……」
「細川殿は刀を預けている。元より我らに危害を加えるつもりなどなく、私を侮蔑していようが、委細構わぬ」
「はっ。承知いたしました」
「細川兵部大輔殿。上手く取り入ったつもりであろうが、少々詰めが甘かったようだな」
「……なるほど、左様でございまするな。伊賀守様は一筋縄ではいかぬ御方のようですな。さすがは一介の国人領主から伊勢・伊賀・志摩三国の国主にまで成り上がられた御方といったところでございましょうか。ですが、私を手放して後で後悔しても存じませぬぞ?」
「ふふふ、既に後悔はしているぞ。公方様も細川兵部大輔殿は非常に優秀だと仰っていたからな。貴殿は真に手放すには惜しい人材であろう。だが、寺倉家の将来と天秤に掛ければ安い犠牲よ。もし将来、本心から私に忠誠を誓える気になったならば、その時は喜んで召し抱えよう」
「……左様でございまするか」
藤孝は自分が召し抱えられるのを少しも疑っていなかったのだろう。俺の決断に納得がいかないのか、頰を掻きながら視線を外して露骨に青息を吐いた。
「どうやら仮面が外れたようだな?」
「ふふ、これ以上隠し立てしたところで意味はございませぬ故」
藤孝は俺によって仮面を引き剥がされたことで、忌憚のない物言いへと変わっていた。俺はそんな変化を意に介さず、微笑を浮かべる。
「ははは、違いない」
「では、私はこれにて失礼いたしまする。新たな仕官先を探さねばなりませぬので」
藤孝はそう言うと評定の間を退出していった。
「……よろしかったのでございますか?」
それまで黙っていた光秀が遠慮交じりに訊ねる。
「構わぬ。あ奴が優秀なのは間違いないが、主君の危機に逃げ出すような忠誠心のない家臣が家中にいるのは好ましくないとは思わぬか?」
「真に左様ですな」
光秀も俺と藤孝の会話を聞き、最後に藤孝の本音を覗けたからか反論はしなかった。
俺に藤孝を紹介した惟政には後で説明したが、俺が藤孝の仕官を断ったことで、惟政はどこかホッとした表情を浮かべていた。
惟政も幕臣時代に元素破の自分を疑いの目で見下していた藤孝の本性については薄々感づいており、義輝への隠し事が藤孝に暴かれたことから内心では藤孝を嫌っていたようだ。
だが、藤孝を召し抱えるかどうかは、あくまでも主君となる俺の目で見て判断してもらいたいと考えて、惟政は俺に予断を持たせるような個人的感情による物言いは控えたようだ。
「半蔵」
「はっ、ここに」
「配下の者に藤孝がどこに仕官するか、後をつけさせよ。おそらくは河内の畠山か西国にでも向かうのであろう。万一逆恨みして寺倉に敵対されては困るからな」
「ははっ、畏まりました」
いずれにせよ、あの様子であれば藤孝は二度と仕官を申し出てくることはないだろう。元は身分の低い成り上がり者の俺に仕官を断られるなど、藤孝にとっては屈辱だろうからな。俺は逃した魚は大きいと一抹の悔しさを感じながらも、表情を変えずにそっと胸に仕舞ったのであった。
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