志摩水軍

「拙者は小浜将監真宗と申しまする。我ら志摩の衆は寺倉家に臣従いたしたく存じまする」


「ほう、我らに臣従する、とな?」


目の前で跪いているのは、ボサボサの白髪混じりの長い髪を後ろで乱雑に纏め、日に焼けた顔に不精髭を無造作に伸ばした、恰幅の良い老境の男であった。その左右には中年の男3人と20代の男が並んで同じく跪いている。


さらに、その後ろには似たような恰好の男たちが50人ほど所狭しと並んでいた。あまり大勢が集まることを想定していない大河内城の広間は、人いきれと真夏の蒸し暑さも相まって非常にむさ苦しく、居心地が悪く感じられたのも致し方ないだろう。


「はっ。我らは寺倉伊賀守様に臣従したく存じまする」


小浜真宗に続いて、横にいる4人の男が名乗る。全員が小浜姓なので、真宗の息子か孫なのだろう。


後ろの男たちは人数が多いので、主だった者だけ名乗らせると、鳥羽、安楽島、浦、千賀、国府、甲賀、三浦、青山、越賀、的矢、と次々に名乗り、どうやら志摩国の海賊である「志摩十三地頭」の面々のようだ。だが、その中に「九鬼」の名前がなかったのが気になった。


「ふむ。ではまず初めに、お主たちが我が寺倉家に臣従しようと考えた、その理由を聞かせてはもらえぬか?」


俺は特に身なりを気にする方ではないが、目の前に居並ぶ男たちはどう見ても山賊と間違われても仕方のない恰好をしており、衣服の着こなしの乱雑さから簡単には信用できないのだ。


俺の常識では大名に臣従を申し出ようと思うなら、身だしなみを良くして相手の印象を良くしようと考えるのが普通だと思うのだが、もしかすると彼らはこれでも精一杯服装に気を使った方なのかもしれない。


「正直に申しますれば、我ら志摩の衆は当初は寺倉家が志摩に攻め入ってきた場合には、徹底的に抗戦する覚悟でおり申した。ですが、寺倉家が北畠家を従えた今、我らは海に生きる者にて、海の上では負けるつもりはございませぬが、陸においては寺倉家の力には到底及ばぬと存じますれば、こうして潔く臣従を申し出た次第にございまする」


俺は伊勢の支配を早期に安定させるために、寺倉家から北畠家に嵯治郎が婿入りして家督を継ぎ、北畠家の血筋を引いた子を次期当主にすると伊勢国内に広く周知させた。


小浜家は北畠家の海賊衆を束ねる頭目という立場だったが、北畠家が実質的に滅んだ今、海上では無敵の海賊も陸上で本拠を攻められれば抵抗する手段が見つからず、こうして寺倉家が北畠家を継いで従属させた名目に従って、已む無く志摩十三地頭を引き連れて寺倉への臣従を選んだという線であろう。


「一つ訊ねるが、お主たちは『志摩十三地頭』と呼ばれておる志摩の海賊衆であるな?」


「よくご存知で。左様でございまする」


「では、先ほどの名乗りの中に九鬼家の名がなかったが、なにゆえかな?」


「はっ。九鬼は増長甚だしく、我々の縄張りを度々侵して対立しておりましたゆえ、4年前に北畠天覚様(具教)のご意向を受けて九鬼を攻め、志摩から叩き出した次第にございまする」


やはり九鬼は追放された後か。史実で織田家が伊勢を侵攻した際に志摩十三地頭は、かつて海賊衆の秩序を乱したために志摩から追放されて織田家に仕官した九鬼嘉隆に反撃を受け、呆気なく服従や追放の憂き目に遭った。その時に小浜家は東に逃げて武田家に仕官したはずだ。


小浜家といえば武田水軍を率いた小浜景隆が有名だが、代表して臣従を申し出ている目の前の小浜真宗が、現在の志摩水軍の頭目だと考えて良いのだろう。


真宗は60代半ばだろうか。日に焼けた精悍な顔つきだが、どこか赤黒くて不健康そうに見える。おそらく大酒飲みで塩辛い物を好み、肝臓でも病んでいるのだろう。近い内に隣の嫡男に代替わりしそうだな。


そうなると、その隣の孫の20代の小浜景隆が家督を継ぐのはその後ということになるな。そうか、史実では九鬼が逆襲してきた際に真宗の息子たちは皆討死し、孫の景隆が逃げて家督を継いで武田に仕官したのだろう。


俺はそんな景隆を一瞥した後、真宗の他全員に問い質した。


「なるほど、事情は分かった。では対立した九鬼がいない今は、志摩の海賊衆全員が寺倉家に臣従するということでいいのだな?」


俺としても北畠を従属させたことにより、志摩を実効支配している海賊衆が臣従を申し出て、戦わずして志摩国を支配下に置けるのだから大歓迎であり、無碍にする道理はない。


「「「ははっ」」」


俺の言葉にむさ苦しい男たちが一斉に平伏した。志摩水軍は強力な戦力だ。これからの戦で必ずや役に立つことであろう。


「では、小浜真宗。臣従の条件として孫の景隆を人質として私の元で仕えさせよ。よいな?」


「ははっ。承知いたしました。孫をよろしくお願いいたしまする」


俺が真宗に向かって告げると、真宗は可愛い孫が俺の直臣となるのが嬉しいようだ。


「それとな。熊野の海賊衆との伝手はあるか?」


「伝手と申しますか、熊野別当の堀内氏虎とは縄張り争いで我らとは対立する間柄にございまする」


そう、紀伊半島の南端には熊野三山を支配する熊野別当の堀内家が熊野水軍を率いており、志摩水軍とは対立関係にあるのだ。


「では、最初にお主に命じる仕事として、後で書面を書いて渡す故、それを持って堀内氏虎とやらに寺倉家に臣従を促して参れ。それとも会って話をすることもできぬほど険悪な間柄か?」


「えっ? 堀内家にでございまするか?

いえ、会って話をするくらいはできまするが、はたして氏虎が素直に従いますかどうか拙者には分かりませぬ」


実は志摩から追放した九鬼は元は熊野の出自であり、熊野で勢力争いに敗れた九鬼家が200年ほど前に志摩の川面家の養子に入って、志摩で勢力を拡大させたという経緯がある。そういう因縁もあってか、真宗にとって熊野水軍は長年の宿敵であり、正直あまり関係を深めたくないのだろう。若干顔をしかめた。いや、ただ顔の皺が増えただけのようにも見える。だが、因縁の敵であろうが、顔見知りである以上はやってもらう。俺は困惑混じりの様子の真宗を一蹴するように告げた。


「構わぬ。素直に従えば儲けものよ。従わねば、いずれ攻め滅ぼすまでのこと。そのように氏虎に申し伝えよ。よいな」


「ははっ。承知仕りました」


おそらく堀内家中は拒否か臣従かで揉めるだろうな。臣従すればそれで良しだが、おそらくは拒否するだろう。だが、今や寺倉は100万石の大大名だ。10万石にも満たない熊野別当の堀内家が拒否したところで、御家存続のために家中から寝返ってくる者が出てくる可能性は高いだろう。そうやって外堀を埋めるように少しずつ戦力を削ぎ落していけば、最後は向こうから降伏臣従してくるはずだ。


こうして寺倉家は志摩十三地頭を臣従させて志摩水軍を配下とし、志摩国2郡3万石を接収したのであった。





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