大河内城の戦い②
一本の矢が北畠具教を捉えた後、暫しの間沈黙が続いた。そして、その直後に沈黙を切り裂くかのように、怒号のような兵たちの喚声と喝采の声が上がった。
俺は敵軍の総大将・北畠具教を討ち取ったとの報せを本陣で受けると、床几から飛び上がらんばかりに驚愕した。それと同時に、これまでの自らの立ち居振る舞いを恥じた。戦況が全く好転する気配を見せないことに苛立ち、貧乏揺すりで本陣の雰囲気を暗くさせていたことに漸く気づいたのだ。俺もまだまだ青いな。
北畠具教を討ち取ったのは、一人の弓の名手だという。物見櫓に姿を表した北畠具教を偶然見つけたことと、昼間というのに薄暗かった梅雨空が一筋の光によって数瞬だけ明るくなるという幸運により狙いが定まり、具教に矢を放って狙撃に成功したとのことだった。
しかし、狙撃地点から北畠具教のいる物見櫓までは3町(約330m)を優に超える距離があったという。この時代の長弓で届く最長距離は400m程度だそうだが、あくまで矢が届くだけの射程距離であり、3町以上の距離で標的を正確に射貫くのは並大抵の技量ではない。現代の狙撃者がスナイパーライフルを使っても至難の技だろう。
俺はすぐに大殊勲を挙げた弓の名手の名を訊ねると、その名は大島光義といった。
あまり知られてはいないが、大島光義と言えば戦国随一の弓の名手として知られる高名な武将だ。織田家の弓大将として数々の武功を挙げ、「百発百中の弓手」として織田信長に「白雲をうがつような働き」と賞され、「雲八(うんぱち)」の通称を授かった人物だ。江戸期には確か美濃国関藩の初代藩主になったはずだ。
まさかそんな弓の名手が我が寺倉軍に参陣していたとは全くの予想外であった。しかも一隊の将ではなく、一介の弓兵としてである。俺は光義がどういう人物なのか会ってみたくなり、すぐに本陣に呼び出した。
大島光義を連れてきたのは朝倉景紀だった。
「伊賀守様、大島殿を連れて参りました」
「うむ、大儀である」
俺はここまで案内してきた景紀を労う。わざわざ一軍の将である重臣が自ら連れてくる必要はないのだが、後で聞いたところによると、大垣で土豪として生活する光義を見出し、今回の戦に参陣させたのは大垣城城代の景紀なのだという。その景紀もまさか光義がこんな大殊勲を挙げるとは、夢にも思わなかったそうだ。
「拙者は大島光義と申しまする」
俺の前に平伏する中年の光義の顔は、事前に聞いていた44歳という年齢よりも老け込んでおり、初老とも見える佇まいをしていた。
「寺倉伊賀守である。大島殿、此度の敵軍の総大将・北畠具教を討ち取った貴殿の武勲は真に見事であり、天晴れという他はない。この寺倉伊賀守、称賛の言葉を惜しむつもりはないぞ」
褒賞の話の前に、まずは大島光義ほどの名手が、なぜ一介の弓兵として我が軍に参陣していたのか、彼の素性や真意を確かめるべく、幾つか問いを投げかけることにした。
「貴殿の武功を賞する前に一つ訊ねておきたいのだが、貴殿ほどの弓の使い手が、なにゆえ我が軍の一兵卒として此度の南伊勢侵攻に参加していたのだ? 貴殿の実力であれば、どの大名家でも弓大将として仕官が叶ったであろうに。いかがかな?」
「拙者は西美濃の関大島の生まれにございますれば、以前は美濃一色家の家臣・長井家に仕え、長井家が滅んだ後は生まれ故郷の大垣にて細々と暮らしており申した。それゆえ、元主家である美濃一色家を討ち滅ぼした寺倉家に仕官を申し出るなど、怪しまれて断られるのが落ちでございまするゆえ、露ほどにも考えてはおりませなんだ」
「なるほど。では竹中家や織田家への仕官も考えなかったのか?」
「はっ。どちらも同じ理由でございまするが、もう一つは今更この歳で見知らぬ他所の土地での仕官を望まなかったのもございまする。ゆえに、大垣城城代の朝倉九郎左衛門尉様のお声掛けをいただいて、こうして此度の戦に銭雇いの兵として参加していた次第にございまする」
光義の話には筋が通っている。美濃一色家の元陪臣ともなれば、その一色家を滅ぼした寺倉家に恨みを感じていても何らおかしくはない。そんな光義が仕官しようとしたところで、仕官できる可能性も低く、出世が見込める訳もないだろう。
であれば、住み慣れた生まれ故郷で自由な一兵卒の身分で戦に参加し、勲功を得た方が良いと考えたのも不思議ではない。それに光義にも当然家族がいるだろうし、弓の腕に覚えのある光義が家族を養うために戦に出るのは、この時代では当然のことである。
「ふむ、左様であったか。相分かった。では、総大将を討ち取った貴殿には、勲一等として褒美を授けようと思うが、何か望むものはあるか?」
北畠具教という敵の総大将を一撃で仕留めたのだ。領地だろうが多少の褒美ならば、何でも欲しいものを与えるつもりである。
「誠に畏れながら、拙者はただの雑兵の一人にすぎませぬ。こうして総大将の寺倉伊賀守様の御顔を拝して、お褒めの言葉をいただけるだけでも身に余る光栄にございまする。分不相応な褒美などいただいては他者の妬みを買い、身を持ち崩す元になるだけにございますれば、決して望んでなどおりませぬ。どうか褒美などお気になさいませぬようお願い申し上げまする」
褒美は思いのままという誰もが喜ぶような俺の言葉にも、光義は顔に喜色を浮かべることもなく、淡々と口上を述べた。まるで人生を達観している高僧のような光義の無欲な物言いに、俺は困惑して思わず唸ってしまう。
だが、功を挙げた者には褒賞を与えなければならない。これは絶対守らなければならない家臣たちとの約定だ。これを守らなければ軍全体を統率することができなくなるからだ。
「それでは私の気が済まぬのだ。何より『信賞必罰』は軍の鉄則である故、大きな功績を挙げた者には相応の褒美を与えて功に報いなければならぬ。そうでなければ家臣や兵は命を懸けて戦ってはくれなくなるからな。これは大将として軍を率いる私の務めなのだ。分かってはくれまいか? 大抵の望みは叶える故、土地でも何でも欲しいものを言うてみるがよい」
「……お言葉ではございまするが、討ち取ったとは申しまするが、誠に恥ずかしながら実は拙者は狙いを外したのでございまする。物見櫓の上の北畠具教を狙って射た矢は、僅かに逸れて隣にいた北畠具房に向かって飛んでいったのでございまする。ですが、なんと具教が具房を庇い、身代わりとなって矢を受けたのでございまする。ゆえに、此度の勲功は偶然の結果にございますれば、過分な褒美を受ける道理はございませぬ」
どこまでも頑固な武人だ。寺倉家当主である俺相手にも怯むことなく毅然と自説を貫こうとしている。俺は思わず「ほぅ」と相槌を打ってしまった。
だが、ここで「そうか」と引き下がっては近江三家の寺倉家当主の名が廃る。
「だが、もし貴殿の狙い通りに具教に矢が飛んでいれば、剣の達人である具教は矢に気づいて避けるか、矢を叩き落していたに違いない。むしろ具教を討ち取るという目的からすれば、具房に矢が飛んだことが却って幸いしたとも言えるであろう。この天運も貴殿の手柄の内だ。違うかな?」
俺は頑固な光義に負けじと反論した。確かに狙いを外した矢がたまたま当たっただけかもしれないが、戦は結果が全てである以上、俺の主張は決して屁理屈などではない。光義が領地や大金など、生活に不自由しない程度の物欲しかないと察した俺は、思い切った提案をすることにした。
「ではこうしよう。貴殿が領地や大金が要らぬのであれば、大島殿、この寺倉伊賀守蹊政に仕えてはくれぬだろうか? 私はこの乱世を一日でも早く鎮めて、日ノ本の民を豊かにし、笑顔の溢れる泰平の世を作りたいという大きな志を掲げておる。その目標を叶えるために、私の直臣として寺倉家を支えてほしいのだ。このとおりだ」
俺はそう言って光義に頭を下げた。さすがに大名家の当主に頭を下げられてしまっては、断る訳にはいかない。断れば無礼打ちされても仕方ないのだ。光義はここで初めて目に動揺の色を見せた。
「本当に宜しいのでございまするか? 拙者は元美濃一色家の陪臣にございまする。寺倉伊賀守様に突然刃を向ける恐れがないとは言えませぬぞ ?」
「私に刃を向けようとする者がそのようなことを面と向かって言うはずがなかろう? 貴殿の目には欺瞞や怨恨の籠った曇りが一切感じられぬ。それにな。先ほど狙った矢を外したことを自ら打ち明けた貴殿の誠実な心根に私は感じ入り、貴殿は真に信ずるに値する人物だと直感したのだ。それでも駄目か?」
俺は真剣な眼差しで光義の目をじっと見つめて追い詰めた。
「ハハ……、伊賀守様は本当に恐ろしい御方でございまするな。そのような口説き文句で拙者などを召抱えようとなさるとは、真に奇特な御方にございまする。……分かり申した。この大島甚六光義、老骨に鞭打って伊賀守様に粉骨砕身お仕えさせていただきたく存じまする」
光義は乾いた笑いで呆れたように言葉を紡いだが、その声には喜びに似たような声色が感じられ、そして光義は根負けしたように柔らかな笑みを浮かべて頭を垂れた。
光義は1600年代初頭まで長生きする武将だ。まだ「老骨」などと言う年齢ではないが、この時代は病死や戦死が多く「人間五十年」とも言われる戦国時代だ。光義の老け込んだ容姿から余計に似合って見えるその言葉に、俺はフフッと笑みを漏らしてしまった。しかし、目に熱く燃え盛る炎のような光を灯す光義を見て、俺は緩んだ口を引き締め直した。
「うむ。では、大島甚六光義。貴殿を寺倉家の弓大将として銭二百貫の禄にて召し抱える。寺倉の弓部隊を指揮し、弓兵たちを鍛え上げてくれ。それと我が直臣となった光義に、改めて此度の武勲の褒美として新たな通り名と私の偏諱を授けよう。通り名はこの梅雨空の雲を穿つような弓働きを讃えて『雲八』と改めるがよい。諱は私の「政」を取って『政光』と名づけよう。これからは『大島雲八政光』と名乗るがよい。これからの政光の弓働きを期待しておるぞ!」
こうして、大島光義改め、大島政光が俺の直臣になった。「弓の名手」の政光はこの後も数多の戦功を挙げ、「寺倉十六将星」の一人として寺倉家の重臣に名を連ねることになるのだった。
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