大河内城の戦い③
北畠家の実質的当主であり、北畠軍の総大将で精神的支柱となっていた北畠具教の死。その悲報は瞬く間に大河内城内を駆け抜けた。
具房は暫く悲嘆に暮れた顔で呆然と梅雨空を見上げながら、亡き父・具教との思い出に浸っていた。しかし、父の「これからの北畠はお前に託すゆえ、任せたぞ」という最期の言葉を思い出すと、父の死で城兵が動揺し、士気が低下していると察するや否や、気持ちを切り替えて目の前の状況を整理し、北畠家当主として自分の為すべきことを考えた。
具房はまず初めに「大将のあるべき姿」を見せて城内の士気を高めるべく、全城兵を集めさせた。
「具房よ。兵を鼓舞する檄とはこのようにするのだ。よく覚えておくがよい」
生前の父がやっていた城兵の鼓舞。父の言葉とその情景が自然と具房の瞼の裏に浮かび上がる。城兵の喚声を浴びる父に具房は嫉妬しながらも、心の奥底ではそんな父を誇らしく感じていたことを自覚し、恥ずかし気に目尻を拭う。
「皆の者。承知かと思うが、先ほど父上が敵の矢を受けて、お亡くなりになられた。それもこの私を庇い、父上は身代わりとなって矢を受けられたのだ! だが、悲嘆に暮れていたところで事態が好転する訳でもなく、亡き父上が喜ぶはずもない。父上は最期にこう仰られた。『儂がいなくなろうとも、お前ならば北畠を盛り立てられる』と!」
具房はこれまで見せたことのない、覚悟を決めたような神妙な表情で淡々と話し出す。具教ほど良く通る声ではなかったが、静寂に包まれた大河内城内に具房の声が不思議と響き渡った。城兵たちはその具房の言葉に微かに頷きながら、固唾を飲んで耳を傾けていた。
「私には到底、偉大な父上と同じようには皆を率いていける自信などない。だが、私は北畠家の当主だ。ゆえに私には北畠家を、ここにいる皆を、そして伊勢の民を守る使命がある! その使命を果たすため、私は北畠家の当主として全力で敵に立ち向かう覚悟だ! この力不足な私にどうか皆の力を貸してくれ! 宜しく頼む!!」
具房はこれまで父に対しても下げたことのなかった頭を、生まれて初めて下げて、城兵たちに助力を頼んだ。父・具教が「武」で兵を率いたのに対して、具房は無意識に「情」で兵を動かそうとしていたのである。
(私は父上ではない。武の神様に愛された父上のように城兵を鼓舞することはできそうにないが、それでも私なりのやり方でできることがあるはずだ!)
「御所様に頭を下げられちゃあ、やるしかねぇよな」
城内を暫しの静寂が支配した後、城兵の一人が声を発した。
誰が言ったのか見当も付かないが、その一言が城内の静寂を打ち破ると、やがて総大将の死に意気消沈していた城兵たちは、口々に「そうだ、そうだ」と気勢を上げ始め、総大将を討たれた悔しさと籠城戦の鬱憤を晴らすかのように、大きな喚声となっていく。
「皆の者! 必ずや寺倉を討ち果たし、父上の仇を討とうぞ!」
「「「応ッ、応ッ、応ッッッーーー!!!!」」」
具房の初めての全力の檄に応える全城兵の喚声が、梅雨の陰鬱な空気を斬り裂いた。
そして、北畠家の大黒柱とも言える存在を失ったことによる城兵の動揺は、見事に払拭されたのであった。
◇◇◇
北畠具教の討死により大河内城の城兵の士気が下がって、守備力が低下するのを期待していた俺であったが、北畠具教が討死した翌日、敵総大将を討って気勢の上がる寺倉軍の攻勢に対して、意外にも大河内城の城兵は今まで以上に抵抗を強め、寺倉軍に全く隙を見せない完璧な籠城戦を展開し続けた。
史実と同じく北畠具房は肥満体で暗愚な当主だという評判であったが、どうやら大河内城内の動揺を鎮めて、城兵の士気を高めることができたらしい。俺は具房を少し見くびりすぎていたようだ。
そこで、俺は再び停滞し始めた戦況に新風を送り込むべく、一計を案じることにした。
領民を巻き込むのはあまり好ましい策とは言えないが、既に寺倉軍は大河内城に繋がる物資の補給ルートを完全に遮断している。このまま同じ状況が続けば、当然ながら城下の民にもいずれ皺寄せが及ぶことになるだろう。
俺は志能便衆に命じて「寺倉軍が町を焼き払おうとしているから大河内城へ逃げ込め」という北畠の兵に扮した偽の命令による扇動を行い、城下の民を大河内城へと押いやった。
無論、俺は町を焼き払うつもりなど毛頭ないが、具房が対応を誤れば一気に形勢が動くはずだと目論んだのだった。
◇◇◇
具房は全力を挙げて寺倉に抵抗すると宣言した手前、城兵の家族が住んでいた城下の町から避難してきた大勢の民を受け入れないわけにもいかず、結局は城下の民の全てが城内に収容された。
「父上ならば躊躇なく民を見捨てたであろうな。父上は何よりも北畠家と伊勢国のことを念頭に置いて、自身の感情を抑えて物事を冷徹に判断されておられた。それに引き換え、「可哀想だ」などと個人的な感情を優先した私は当主失格かもしれないが、それでも北畠家を頼って逃げてきた領民をどうしても見捨てることなどできないのだ」
具房も内心では北畠家当主として自分の考えが甘いのは重々承知していたが、それでも自分の良心に従った判断を下したのだった。
ところが、大河内城下から避難してきた女子供や老人は、総兵数の5000を上回る人数であった。城下の民を全て収容すると、単純に考えても2倍の速さで兵糧が消費されていくことになる。その結果、倹約すれば優に4ヶ月以上は持つと思われていた兵糧は、僅か2ヶ月の内に底を突く事態となるのであった。
そして、梅雨が開けて一気に暑さが増した7月下旬、空腹により低下した体力を夏の暑さは容赦なく奪い取っていき、ついに北畠軍は音を上げることになる。
途中、鳥屋尾満栄を始めとする重臣からは具房に何度も「城下の民を城から外に出してはどうか」という進言があったが、具房は「民を見捨てることはできん」と頑として譲らず、ついに兵糧が尽きるという危機に見舞われたのである。
幸いにして水だけは井戸や川から確保できるため、受け入れた領民には水を加えた粥を与えて兵糧を倹約し、米が底を突いたこの4、5日の間は水のみでなんとか持ち堪えていたものの、寺倉軍が包囲を解く気配は一切なく、このままでは大河内城内の全員が飢え死にするという窮地に立たされた。
この期に及んで、具房は北畠家のために戦ってくれた城兵たちや、北畠家を頼ってきた城下の民の命を見殺しにすることはできず、北畠家当主として、総大将として、自分に対して非情な決断を下した。己の命と引き換えに降伏し、城兵と城内の民の助命を願い出ることを決意するに至った。
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