父子の確執

伊勢国・一志郡、霧山城。


「くっ、やはり具藤には荷が勝ちすぎたか....!」


居城・霧山城の評定の間で「長野の戦い」の報告を聞いた北畠具教は、寺倉に長野の分家三家を調略され、まんまと寝返られたことへの悔しさと、息子である長野具藤を失ったことの悲しさに顔を歪ませながら拳を太腿に叩きつけていた。


「父上、なにゆえ具藤に援軍を送らなかったのですか!」


隣に座る北畠家当主の北畠具房は憤っていた。理由は依然として北畠の実権を握る父・具教が長野家に援軍を送っていれば、弟・具藤は討死せずに済んだのではないかと思ったためである。


具房にとって5歳年下の具藤は幼少の頃から自分にとても懐いており、具房もよく一緒に遊んで可愛がっていた。その具藤とは今年の正月の宴で霧山城で会ったのが最後であったが、お互いが当主になってからも従順であり、具房も将来は自分の腹心として期待していたのだ。


その具藤が寺倉との戦いで討死したという。それも味方であるはずの長野の分家の寝返りによって討たれたと聞いた具房は、悲しみと憤懣のあまり父・具教に食って掛かってしまったのだった。


「お前は長野に援軍を送った代わりに、北畠が滅んでも構わぬと申すのか?」


具教は冷徹な目で具房を睨みつけた。背筋が凍りつくような父・具教の眼差しを初めて見た具房は、すぐには返す言葉が見つからなかったが、やがて意地になって下手な反論を試みた。


「ならば具藤だけでも霧山城に逃がしておけば良かったのではありませぬか?」


「具藤は幼くとも長野家の当主であるぞ? 当主が家臣や兵を置いて実家に逃げるなど言語道断、当主失格だ。たとえ生き残れたとしても、もはや長野家には具藤に従う家臣は一人もいなくなったであろうな。お前はそれでも構わぬと申すのか?」


長野軍は緒戦は地の利を活かして優勢だったものの、予想外の分家三家の寝返りによって恐慌状態に陥り、倍以上の寺倉軍の兵力の前に碌な抵抗も出来ずに壊滅したという。その中には当然の如く大将の具藤も含まれていた。


もちろん、具教も自らの判断で息子を死地に送り、あまつさえ死なせてしまったことに対して、父親として後悔の念がない訳ではなかった。だが、息子と北畠家を天秤にかけた時、前当主として優先すべきものは一つしかなかったのである。


「で、ですが、具藤は某の弟でございまする。父上は弟が、具藤が可愛くはなかったのですか?!」


「愚か者! 自分の息子が可愛くない父親がいるはずがあろうか! だが、具藤一人の命よりも、この北畠家を守ることの方が遥かに重いのは、お前も北畠の当主ならば分かるであろう? 苦渋の決断をせざるを得なかった儂のこの苦しい胸の内が、お前には分からんのか! お前は馬にも乗れないほど太った身体だけでなく、そのような戦う覚悟もない情けない当主であったのか? 儂を失望させるではないぞ」


具教に完膚なきまでに言い負かされた上に、自分の当主としての覚悟の無さまでやり玉に挙げられた具房は、「いつか父上を見返してやる!」という反抗心を目に宿らせて握り拳を固めたまま、「ぐ、ぐぐ……」と悔し紛れに唸り声を上げ、口を噤むしかなかった。


一方、具教は具房の主張を即座に否定したものの、具教にも長野に援軍を送っていればあるいは、という考えがない訳ではなかった。たとえ長野の分家が寺倉に内応を約していたとしても、戦況が長野軍有利に動いていたならば寝返ることを躊躇ったかもしれない。もしそうであれば、地の利があった長野軍は相手が兵数で倍する寺倉軍であっても、狭い谷間で有利に戦いができていれば寺倉軍の半分の部隊を撃退することができたかもしれないのだ。


そうすれば残り半分の寺倉軍に対しても、北畠の残る戦力を集結させれば霧山城で籠城戦を戦い抜く力もあっただろう。霧山城は伊勢国と大和国を結ぶ伊勢本街道沿いの交通の要所であり、四方を険しい山々に囲まれた多気盆地は、7つの経路のどれを採っても峠越えとなる天然の要害とも言えるからである。


伊賀街道と伊勢街道で荷止めを食らった北畠にとっても、海路と大和から物資を補給したことにより、さほど大きな悪影響を受けることはなかった。そのため、この霧山城での籠城にも十分な勝機を見込めたのである。


だが、それは「もしも」の場合であり、長野の分家が寝返ってしまえば、北畠から送った援軍も壊滅して失う羽目になっていたであろう。ただでさえ寺倉に兵力で劣る北畠が、負ける可能性の高い戦に貴重な戦力を投入するなど、一か八かの賭けのような決断であり、到底できるはずもなかった。


そして、現実問題として寺倉の大軍は二手に分かれ、片方の伊賀街道で長野軍を軽々と打ち破った軍は、長野の分家三家を糾合して5500の軍勢となり、安濃津から西南方向に進軍している。


もう一方の軍勢5500は伊賀から南に進軍しており、両軍共にこの霧山城に向かっているのは間違いないという。


天然の要害である霧山城とは言え、このままでは北と西から挟撃を受ける形になってしまう。そうなっては最悪、霧山城が落城寸前となった場合、退路を塞がれて落ち延びることも難しくなると危惧した具教は、寺倉の大軍が押し寄せる前に霧山城を捨てて、より堅固な城に移る決意を固めたのであった。


具教が霧山城に代わって寺倉軍に対抗するための拠点に選んだのは、東の伊勢平野に隣接して立地する大河内城である。


大河内城は南北に伸びた丘陵に築かれた山城で、東に阪内川、北に矢津川という二つの川が流れ、南と西には深い谷があるという自然の要害である。史実で北畠家が織田軍の侵攻に対して居城を大河内城に移したことからも分かるように、この城は霧山城よりも優れた防御機能を持つ城であった。


具教は史実での対織田戦と同じように、寺倉軍の侵攻に対して居城を大河内城に移し、南伊勢に分散する北畠の分家を含む全兵力を大河内城に集結させ、寺倉軍に対して徹底抗戦する覚悟を決めたのであった。




◇◇◇




月夜に照らされる木造城に、不気味な烏の鳴き声が木霊していた。


兄・北畠具教から大河内城への集結を命じる文が届けられた日の夜、木造家当主・木造左近衛中将具政は、密かにある人物と顔を合わせていた。


その人物とは、明智十兵衛光秀。寺倉家当主・寺倉伊賀守蹊政の副将であり、寺倉家重臣の筆頭とも言うべき人間であった。


「左近衛中将殿、腹の探り合いなどなしにして、単刀直入に伺おう。寺倉家に味方してはもらえぬだろうか?」


木造具政が北畠に味方するべきか悩んでいる、と半蔵から聞いた寺倉正吉郎から命じられた光秀は、具政を寺倉家に寝返らせるべく、こうして木造城に足を運んだのであった。


「......」


具政は脂汗を自らの手に垂らしながら僅かに首肯した。木造家は伊勢国司である北畠家の分家であるが、当主の具政は北畠家の先々代当主・北畠晴具の三男であり、先代当主・具教の弟という由緒正しき血筋を引く人間である。そんな身内とも言える具政がなぜ北畠に合力することに躊躇しているのか。それには理由があった。


元々、北畠家は南北朝の時代には南朝に仕える伊勢国司であったが、南朝と北朝の両方に血脈を残そうという深慮遠謀だったのか、北畠庶流の筆頭で「木造御所」と称された木造家は、度々北朝の幕府側に付いて北畠宗家と対立し、その官位は度々北畠宗家のそれを上回ることがあった。


それ故に北畠宗家は木造家を遠ざけ、田丸家・坂内家・大河内家の分家三家が「北畠三御所」となり、木造家は北畠庶流の筆頭でありながら北畠宗家が断絶した際に北畠家を継ぐことができないという複雑な事情があったのである。


当然、木造家がそれを快く感じているはずもなく、北畠宗家との間には長い間確執が続いており、ようやく今の代になって北畠から具政が木造家に養子に入り、北畠宗家との関係改善が図られようとしていた矢先であったのだ。


そのため、具政は実家である北畠宗家との関係を意識しつつも、その一方で木造家当主として御家存続を第一に考えた場合に、北畠宗家に合力して参陣することに躊躇する状況にあったのだ。


史実でも木造具政は織田四天王の滝川一益の調略によって、いち早く織田信長に降伏臣従していた。史実で同じく織田四天王の一角であった明智光秀がこうして同じ役目を担っているのは、やはり何か見えない運命の糸で操られているかのようにも見える。


「寺倉家に寝返っていただければ、御家だけでなく領地も安堵いたしましょう。働き次第によっては領地の加増もあり得まするぞ」


身内である具政から見ても北畠の敗色濃厚とも言えるこの戦で、自分が臣従することで木造家の存続と領地が保証されるのは美味しい話である。長い間、北畠宗家に不信感を抱き続けてきた木造家にとって、寺倉家からの提案は拒否は絶対にあり得ないものであった。


先程までの視点が定まらず、動揺を表に出していた具政の顔は、既に真剣そのものといった表情に変わっていた。


「分かり申した。我ら木造家は寺倉家に臣従いたしまする」


光秀は具政が首を縦に振るまで何度でも木造城を訪ねるつもりであった。そのため、光秀にとって具政の即決は、いい意味で驚くほど意外な反応だった。


いくら不信感を抱いているといっても木造家は北畠家の分家である。具政に至っては北畠家先々代当主・北畠晴具の子だ。北畠家の血を色濃く引く者としての矜持が邪魔して、なかなか容易には受け入れることはないだろうと予想していたのだ。


「左近衛中将殿、ご英断かたじけなく存じまする」


こうして木造家は寺倉家に降伏臣従し、木造城は開城された。


木造家の降伏を聞いた北畠具教は烈火のごとく怒り狂い、寺倉と木造への雪辱を果たさんと心に固く誓ったのであった。




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