分家の密約
12月初旬、統驎城に思いがけない来客があった。その来客は雲林院祐基、細野藤光、分部光高の3人で、いずれも中伊勢の長野家の分家の当主である。
「某は雲林院祐基と申しまする」
「拙者は細野藤光と申しまする」
「拙者は分部光高でござる」
「私は寺倉伊賀守である。雲林院、細野、分部と言えば、いずれも長野家の分家であるな。今日は遠路はるばる何用で参ったのかな?」
長野家は神戸、関と並んで、中伊勢の庵芸郡・安濃郡の2郡を治める有力国人であり、雲林院、細野、分部はその長野家の分家の弱小国人である。その長野家の分家が三家の当主が揃ってやって来た用件は、聞かずとも察しは付いているが、一応尋ねるのが礼儀というものだ。
「はっ。我々三家は寺倉家に臣従いたしたく参りました」
雲林院祐基が代表して答える。その顔つきは神妙で、本気で言っていることが伝わってきた。
「ほう、臣従とな? それが真であればありがたいが、何ゆえ三家が揃って臣従を決意したのか、理由を聞かせてはもらえぬか?」
俺はその理由を尋ねた。
「はっ、承知いたしました。ご存知かと思いまするが、某と藤光は、長野家の先々代当主・長野稙藤の子で兄弟であり、分家の雲林院家と細野家に養子に入って後を継いでおりまする。実は長野家は父・稙藤から兄・藤定の代まで北畠家と長らく争ってまいりましたが、次第に形勢が悪くなり、5年前に和睦し、北畠家の先代当主・具教の次男を養子に迎えて家督を譲ることを余儀なくされ、今は北畠の養子が長野具藤と名乗って長野家の当主となっておりまする」
「ふむ。それは俺も聞き及んでいるぞ。確か北畠の先々代当主・晴具は9月に亡くなったばかりだったな」
北畠具教は9月に父・晴具が死ぬと喪に服して権中納言の官職を辞し、嫡男の具房に家督を譲って隠居した。だが、具房はまだ17歳と若く、北畠家の実権は依然として具教が握っているようだ。
「はい、左様にございまする。おそらくは病床の北畠晴具の差し金だったのやもしれませぬ。昨年5月に父・植藤と兄・藤定が二人揃って亡くなり申しました。間違いなく北畠の指示を受けた長野具藤の仕業でございまする」
そう、長野家の当主は北畠の先代当主・具教の息子で現当主・具房の弟であり、つまりは北畠は長野家を乗っ取ろうとしていたのである。信長が和睦した北畠に次男・信雄を養子に送り込んだのと同じだな。北畠と長らく敵対してきた長野家の家臣やその分家にとってみれば、主家が乗っ取られようとしているのを快く感じるはずがない。
「毒でも盛られたか」
北畠家から養子に入った長野家当主・具藤はまだ12歳の子供だ。そんな大それたことを考えるはずがない。当然ながら先代当主の父・北畠具教か先々代当主の祖父・晴具が裏で暗躍していたに違いない。晴具の指示で長野家を完全に乗っ取るために、具藤の配下が暗殺を実行したのだろう。
「はい。夕餉の最中に二人揃って亡くなりましたので、酒か味噌汁にでも毒を盛られたのは間違いないと存じまする」
雲林院祐基が歯を食いしばり、無念の表情を浮かべる。実家である長野本家をこれ以上北畠の好き勝手にされることは死より耐え難い苦痛、屈辱だ。だからこそ、ここ数年で急成長し、臣従した北伊勢の国人衆にも寛大な処遇を認めている寺倉家を頼ってきたのだろう。
「うむ。事情は分かった。雲林院殿と細野殿は北畠に父と兄を殺されたことに憤慨しての臣従という訳だな。では、分部殿はどういう理由かな?」
「はっ。実は拙者は男子に恵まれず、細野殿の子・光嘉を養子にもらって後を継がせる予定となっておりますれば、細野家とは昵懇の間柄にて、細野殿の誘いを受けて寺倉家への臣従に賛同した次第にございまする」
「なるほど。一蓮托生という訳だな。一つ訊ねるが、貴殿ら三人がここに来たのは他に誰か知っておるのか?」
「いえ、護衛として同行した腹心の者以外に、我々が近江に向かったことを知る者はおりませぬ。城を出る時も夜中に出て参りましたので、長野本家には知られていないはずだと存じまする」
細野藤光は瞑目しながら静かに答える。
「そうか。相分かった。では、貴殿ら三家の臣従を受け入れよう。条件は北伊勢の国人衆と同じく、今と同等の待遇を保証しよう。ただし、当面は寺倉家に臣従したことは内密にして、長野とはこれまで通りの態度で接してもらいたい。寺倉に臣従したのが長野に察知されれれば、すぐにでも北畠に討伐されかねぬからな」
「「「ははっ。ありがたき幸せにございまする」」」
「そして、寺倉家は来年に南伊勢への侵攻を予定しておる。最初に戦う相手は長野となるであろう。そこで、三家には当然ながら本家の長野軍に何食わぬ顔で参陣してもらい、我々からの合図を受けたところで寝返り、我らと合力して長野具藤を討ち取ろうではないか。如何かな?」
「なるほど! 承知いたしました。必ずや具藤を討ち取り、父と兄の仇を取ってやりまする」
雲林院祐基が握り拳を作りながら答える。全て俺に頼り切りになるのではなく、自分たちの手で父と兄の仇である長野具藤を討ち取る。仇敵・具藤を掌の上で転がせるとなれば、自然とこみ上げてくるものがあったのだろう。その拳には強い力が籠っているように見えた。
「うむ。長野攻めの際は貴殿らの活躍を大いに期待しておるぞ。それまでは、くれぐれも長野に内応を悟られないようにしてくれ」
その策略もバレてしまってはすべてが水の泡となる。戦場で寝返るまで如何に悟られないか、それがこの策略の根幹となるのだ。3人には細心の注意を払ってもらいたい。
「ははっ、畏まりましてございまする」
こうして、雲林院祐基、細野藤光、分部光高の3人が寺倉家に臣従と内応を約束し、父と兄の仇討ちができることを喜びながら帰っていった。
◇◇◇
3人が帰った後に俺は服部半蔵を呼び出した。
「半蔵、今の話は聞いていたか? どう思う?」
3人との会話ではある程度の信憑性は感じられたが、俺自身が気付けていない、見落としている部分があるのではないかと感じ、伊勢の情勢に明るい半蔵に尋ねた。
「はっ。彼らの言っていることは確かに事実でございますれば、信用できるかと存じまする」
「そうか。だが、伊勢から隠密裏にここまでやって来たと言っていたが、長野も間抜けではない。弟の雲林院と細野には監視役が付いていたはずだ。だとすれば、そ奴らはここまで後を追ってきているに違いない。そ奴らは三家が寺倉に臣従したと知ったら、間違いなく帰りの山道で3人を襲うだろう。
半蔵。3人の後を追い、襲ってきた奴らを全員始末しろ。くれぐれも討ち漏らして取り逃がすなよ。長野や北畠に伝わると拙いからな 」
長野家は十中八九この3人の動きには目を光らせており、ここへの訪問にも監視役が注視していたに違いない。災厄の芽は事前に摘んでおくのが吉だ。
「はっ」と短い返事が聞こえたかと思うと、半蔵の姿はすぐに消えてなくなった。
まあ、全員始末して寺倉に臣従した情報を遮断したとしても、監視役が一人も戻らなければ長野には当然怪しまれるだろうな。だが、3人が寺倉に内応したという情報が入らなければ、多少の警戒はしてもよもや3人が裏切るという確信までは持てないはずだ。であれば、寺倉の侵攻に対して長野にとって大きな戦力である三家を排除する選択肢は採れないだろう。
ところで、伊賀衆と言えば百地一族は当主の新太がまだ子供で素破の人数も少ないので、半蔵の配下に置いても特に心配はないのだが、藤林長門守は同じ伊賀上忍三家で半蔵よりもかなり年長である。半蔵の配下にするとお互いやりにくいだろうし、伊賀衆同士で派閥争いの内紛、さらには三好に誘われて寝返るなんて事態になっては最悪なので、藤林一族は公安奉行の本多正信の与力として正信の指揮下に入れた。
これまで警察の役目は町方同心が担っていたが、同心の人数が少なく、現状の犯罪捜査は科学的捜査なんて期待できるはずもなく、聞き込みや目撃情報と憶測からの尋問、拷問による自白重視の捜査だ。当然ながら冤罪も多いはずだ。藤林一族には捜査一課や秘密警察のような「隠密同心」として社会の悪を暴いてもらいたいと期待している。
それを藤林長門守に伝えた時も、例によって長門守の表情には変化はなかったが、少なくとも服部半蔵の指揮下でないのは歓迎しているように感じられた。やはり伊賀上忍三家としてのプライドがあるんだろうな。
それと、「関谷の退き口」の退却戦に加わった狼部隊の中で怪我を負い、命は取り留めたものの激しい運動ができなくなった狼が何匹かおり、彼らには警察犬ならぬ「公安狼」として、鋭い嗅覚を犯罪捜査に役立ててもらうために訓練を施すことにした。近い将来には「隠密同心」や「公安狼」の活躍で犯人の検挙率が大幅に向上するだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます