新春の慶事と人事異動

すっかり葉を散らした木々が、師走の冷たい風に揺れて冬の始まりを告げ、本当に季節が過ぎ去るのは早いなと実感させられる。今年ももう少しで終わりを迎えるこの時期に今年一年を振り返ってみると、俺にとっては北伊勢の侵攻で死の瀬戸際に追い込まれるほどの危機に直面した試練の年であったが、初めての敗北を経験して大きな転機期となる年でもあったなと述懐していた。


12月に入ると、周囲の状況にも大きな変化があった。


甲賀郡に侵攻していた蒲生が元六角六宿老が籠城する三雲城を落とし、2年以上掛かって漸く甲賀郡を制圧した。志能便の報告によると、元六角六宿老の三雲、後藤、進藤、平井の4人は皆壮絶な最期を遂げたそうだ。


だが、甲賀郡の領民たちは裏切者の蒲生に対しては面従腹背であろうから、力ずくで甲賀郡を制圧した蒲生ではあるが、今後の統治にはかなり苦労するだろうな。


一方、蒲生の甲賀郡制圧と時期を合わせるようにして、浅井も加賀国南部を制圧したそうだ。浅井に関しては上手く行き過ぎている、というのが正直なところだろう。


新九郎からの手紙によると、越前制圧の余勢を駆って加賀国に侵攻したが、加賀南部では一向門徒の激しい抵抗はほとんどなく、あまりにも手応えのない侵攻に家臣たちは不完全燃焼の状態に陥っているそうだ。


浅井は越前もあっという間に制圧したこともあり、戦という戦がないのは大多数の兵たちにとってはありがたいことだろうが、兵を率いる将にとっては武功を挙げることもできず、逆に退屈なのかもしれない。


しかし、冬が明ければ一転して加賀一向一揆の逆襲が始まるかもしれない。狂気的なまでにしぶとい一向宗の狂信徒どもがこのまま黙っているはずがないのだ。


今年1月の一乗谷での大雪崩で壊滅的な打撃を受けた加賀一向一揆が、越前の制圧で俄然勢いを増した浅井軍に応戦したところで勝機は薄い。中途半端な戦力で迎撃するよりも、厳しい状況をじっと耐え抜き、十分に力を蓄えてからの方が勝算はある。


ならば、浅井の勢いが大雪で妨げられる冬まで無駄な抵抗を行わず、雪解けの季節を迎えた瞬間に蓄えた力を一気に解放して、加賀南部の支配を奪い返す方が得策であり、今は徒に戦力を減らすよりも、雌伏の時だと考えているのだろう。


そうとでも考えなければ、加賀一向一揆が全くと言っていいほど抵抗を見せないことに理由がつかない。そうだとすれば、加賀一向一揆の新しい指導者はなかなかの軍略家のようだな。


浅井軍は制圧した加賀南部での冬越しを決定し、加賀南部最大の城・大聖寺城に駐留したようだ。新九郎も分かっているとは思うが、雪解け後に予想される加賀一向一揆の逆襲には、くれぐれも気を引き締めて掛かるように返書を送っておいた。




◇◇◇




寺倉家でもとてもめでたい慶事があった。市の懐妊である。まあ、「関谷の退き口」で市を散々心配させてしまったため、夏以降は市が以前よりもさらに甘えてくるようになってしまった結果だな。出産は8月頃の予定だそうだ。母子共に健康で生まれてきてほしいと切に願っている。


お陰で12月の下旬から元旦にかけて統麟城の城下は大きな盛り上がりを見せ、皆一様に市の懐妊を喜んでくれた。


正月と市の懐妊を祝う祝宴では、酒好きの山科言継が気に入った芋焼酎の試作がある程度できたので、家臣たちに初めて振る舞った。


最初は皆初めて飲む酒精の強い焼酎にむせ返っていたが、酒豪の大倉久秀は「喉がカッーと焼けつくような味わいがいいですな」と言って、薄めずに大きな杯でグビグビと飲んだ挙句に庭でゲロゲロと吐いていた。他の家臣たちは久秀が吐くのは初めて見たと驚いていたな。


試作した焼酎は一晩の祝宴でなくなる程度の量しかなかったが、俺が焼酎をお湯で薄めて梅干しを入れて「梅干し割り」を飲んでみせると、それを真似した皆は「これは美味いですな」と焼酎を大層気に入ったようで、久秀なんかは「恩賞ではぜひとも銭の代わりに焼酎を下され」と言い出し、他にも酒好きの重臣たちが頷いて賛同する始末であった。


まあ、いずれにしてもこれで焼酎の本格生産を始めても大丈夫だという確信が持てたので、すぐにでも伊賀国でのジャガイモ栽培と焼酎生産に着手することとしよう。




◇◇◇




祝宴が終わり、酒の酔いも抜けた2日後、寺倉家が新たに北伊勢と伊賀国を獲得して領地が更に拡大したことに伴い、重臣の人員異動を発表することにした。


まずは伊賀国だが、畿内への最前線である伊賀の防衛力を向上する方策としてダムを建設するために、ダム建設の経験を持つ沼上郷の住民を半数ほど移住させる計画である。そこで、沼上郷の民を上手く治めてダム建設を円滑に進める上で、最も適任である沼上源三を伊賀国代官に任命した。


列席した重臣たちも沼上源三を伊賀国の代官に任命したことには一様に驚いたようだが、俺が沼上の民の移住とダム計画を説明すると、皆も「なるほど」と納得してくれた。


もちろん少ないとはいえ10万石の伊賀国を統治するのは、小さな沼上郷の代官の経験しかない源三の手には余るので、当面は文官を補佐に付けるつもりだ。いずれは源三も代官として統治の経験を積んで、独り立ちしてもらいたい。


沼上源三が移った後の沼上郷代官の後任だが、沼上の民を上手く治めるためには下層民の年長者がいいと考え、お抱え猿楽師になってから沼上源三の補佐を務めていた、大蔵長安の父・信安を正式に家臣に取り立て、沼上郷代官に任命することにした。この機に信安は猿楽師を引退して、大蔵流は長男に継がせるそうだ。


次に北伊勢だが、中伊勢との最前線となる神戸城の城代には前回の撤退時に守備役を務めた榊原政長を任命した。17歳で城代に抜擢するのは異例な人事ではあるが、政長ならば最前線をしっかり守ってくれるはずだ。


同じく最前線の亀山城だが、已むなく火攻めで燃やしてしまったが、東海道の近江・甲賀郡との国境を守る重要な城でもあり、北伊勢で廃城とした城の資材を使って突貫工事で再建を命じている。再建した後の亀山城城代には本多忠勝を任命することにした。まあ、榊原政長だけが城代に出世すると、忠勝がいじけそうだしな。


続いて、梅戸城は八風街道を押さえる城だが、年末に梅戸城のすぐ近くの員弁郡・治田で銀山が発見されたとの朗報が舞い込んだ。実は半兵衛に頼んで飛騨から山師を派遣してもらって、夏から鉱山を探させていたのだ。俺が見た夢のお告げだと言って、あらかじめ治田近辺を指定して探させたので、すぐに発見されたという訳だ。


これには発見した山師当人もかなり驚いたようで、順蔵と同じく俺のことを神仏の化身か御使いだと崇めているらしい。確か神崎郡にも小さいが、金・銀の採れる未発見の鉱山が幾つかあったはずだ。この山師にはこれからも未発見の鉱山を探させることにしよう。


治田銀山の発見の報を伝えると、重臣たちも「正月から縁起が良い」と大喜びで、特に財政担当官の堀秀基は「これで寺倉家の財政もさらに安泰でございまする」と満面の笑顔だ。


そこで、治田銀山の採掘に当たっては、史実で甲斐、佐渡の金山や生野銀山の採掘管理で功績を挙げることになる大蔵長安を「鉱山奉行」に任命し、併せて近くにある梅戸城の城代も兼任させることにした。仕官早々かなり重要な職務となるが、長安は史実では徳川幕府の老中にまで昇り詰める男だ。なんとか頑張ってもらいたい。


最後に、財政担当官の堀秀基の下で寺倉家の財政の実務経験を4年以上積んできた増田長盛は史実の豊臣五奉行の一人だけあって文官として非常に優秀で、検地の実施に際しては秀基の右腕とも言える存在となっている。


そこで、20歳で同い年の大蔵長安を鉱山奉行に任命したのに合わせて、長盛を「勘定奉行」に任命することにした。お互いにライバル意識を持って切磋琢磨してほしい。


これで豊臣五奉行ならぬ「寺倉六奉行」の完成だ。豊臣政権を支えた増田長盛と、徳川幕府を支えた大蔵長安。この二人が切磋琢磨し合えば大きな相乗効果が生まれ、必ずやこの寺倉家を盛り立ててくれることだろう。










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