三雲城の戦い

蒲生家は甲賀郡を制圧しようとするも、三雲定持を中心とする後藤高治、進藤賢盛、平井定武の元六角六宿老の苛烈な抵抗と、甲賀の素破を巧みに用いたゲリラ戦術に翻弄されていた。


近江三家の寺倉が北伊勢や伊賀、浅井が越前や加賀へと領地を広げていく中で、物生山会談当時は最も領地の大きかったはずの蒲生が、甲賀郡すら制圧できずに両家の後塵を拝している現状に、家督を息子の忠秀に譲ったとはいえ、未だに蒲生家を実質的に支配する蒲生宗智は焦りを覚え、いらいらと歯噛みをしていた。


甲賀の素破はビジネスライクな伊賀の素破と違って、武士と同じように主君への忠誠を重んじる性格を持つ素破である。故に、主家であった六角家を裏切って甲賀衆の食い扶持にまで影響を及ぼすような事態の直接的な原因を作った蒲生に対して、まさに怨念と呼べる強い怨恨を抱いていた。


元六角六宿老と甲賀衆が集結した甲賀郡を容易く打ち破れるほどの国力は、今の蒲生にはなかった。だからこそ丸2年以上もの間、蒲生は甲賀郡の制圧に手間取っていたのである。


その甲賀衆を束ねる三雲定持という存在も非常に大きかった。定持は甲賀五十三家の頂点に位置する正真正銘の素破である。この時代では下賤な者として武士階級からは蔑視される素破という身分でありながら、六角六宿老の地位まで登りつめたほどの人物だ。


それに加え、三雲家単独で明と貿易を行い、将軍家にも寄付をするなど、高い経済力も有していたため、蒲生の国力では厳しい戦いが続くことは明らかだったのである。


そして、正攻法で真正面から戦うことを嫌う三雲は、史実でも観音寺城から逃げてきた六角義賢を匿いながら、ゲリラ戦で織田軍を苦しめたことでも知られている通り、元六角六宿老が蒲生に敗れてから2年以上も蒲生と戦い続けながらも、疲弊することなく国力をそのまま維持していた。


しかし、寺倉軍が伊賀国を平定した数日後の11月下旬、物量に勝る蒲生軍の度重なる攻勢によって、外堀を埋めるように徐々に領地を削り取られた三雲家は、ついに居城の三雲城一帯を残すのみに追い込まれ、籠城を余儀なくされていた。


その三雲定持を城主とする三雲城は、巨大な石垣と、山麓からもその荘厳な様子が目に映る、「八丈岩」と呼ばれる巨大な岩が特徴的な山城であり、主君である六角義賢や義治が居城の観音寺城を攻められた際に、殆ど抵抗することなくこの三雲城に亡命したことから「六角の逃げ城」とも呼ばれていた。そして、亡命した六角家代々の当主を受け入れ、守り抜いたことでも分かるように、この三雲城は非常に堅固な城であった。


三雲城を視野に収めた蒲生宗智は幾度も降伏勧告を行い、御家存続を条件に交渉を持ち掛けてみたが、そうは問屋が卸さない。三雲側はその勧告と打診の全てを無視という形で拒絶した。主家の仇に対して降伏なんてあり得ない。それは元六角六宿老のみならず、城内に立て籠もる城兵全ての総意であった。


宗智もそのことは良く理解していた。六角を裏切った自分に膝を屈するなど、プライドの高い面々が揃っている元六角六宿老が認めるはずもなかった。2年半前の「野洲川の戦い」での別れ際に進藤賢盛が吐いた「次に会うときは地獄だ」という捨てゼリフのとおり、どちらかが死ぬまで戦い続けるという強固な決意が、ひしひしと宗智の肌にも伝わっていた。


「権太郎、敵の兵数は如何ほどだ?」


「はっ、父上。およそ3000程と素破は申しておりまする」


「ふぅ、3000か。この期に及んで良くぞそこまで集めたものだな」


宗智は思わず嘆息した。南近江の蒲生の領地は三好が有する志賀郡と接していた。当主の三好長慶が病に倒れて、今後の動向は不透明なものの、三好三人衆や松永久秀を始めとする多くの勇将が健在である三好は、依然として畿内の最大勢力だ。下手に手を出せば今の蒲生の力では直ぐに押し潰されてしまう。


そのため、此度の三雲城攻めに割いた兵力は5000。志賀郡の三好に対する抑えとして、ある程度の守備兵を残さざるを得なかったからである。堅城の三雲城を攻め落とすには物足りない兵数だが、そうは言っても背に腹は代えられない。宗智はめっきり寒くなってきた朝の空気を目一杯吸って気持ちを切り替えると、鋭い眼光で力強く告げた。


「一気に三雲を崩すぞ!権太郎、指揮はお前に任せた!」


「はっ!承知いたしました!」


三雲がここまでの兵数を集められたのには理由がある。甲賀の素破は元来逃げ足が速く、傷を負うものが出ても死者の数は少なく、深手でない負傷者の多くは甲賀の秘薬による治療により数ヶ月で戦力として復帰していた。

それに加えて、元六角六宿老という近江では名高い肩書きを持つ者が4人も揃っている。元六角六宿老が力を合わせて裏切り者の蒲生を討つと呼び掛ければ、元六角家臣の敗残兵や一攫千金を狙う傭兵にならず者など、自ずと兵は集まってくるものである。


その上、三雲城の南は伊賀国であり、背後を脅かす敵はおらず、全戦力を正面の蒲生軍にぶつけることのできる三雲は、まさに背水の陣の態勢であった。死に物狂いで立ち向かってくる三雲軍の兵の必死の抵抗に、攻める側の蒲生軍は明らかに劣勢で、じわじわと兵を減らしていった。


その状況に「これは拙い」と見るや否や、宗智は一計を案じて三雲城を計略で落とす作戦に移行した。


三雲軍の弱点は雑多な敗残兵や傭兵をかき集めた混成軍であるという点であった。元六角六宿老と甲賀衆だけであれば何も問題はないが、身元や素性の不明な者が多く混じっていると、中には敵方の間者が紛れ込んでいたりして、どうしても信用が置けなくなり、結束が弱くなるからである。


実際に宗智は蒲生家の素破を敗残兵を騙って三雲城内に紛れ込ませていた。宗智はその素破に命じて三雲城内にある噂を流布させた。"城内に蒲生に通じている者がいる"と。元六角六宿老の面々にとって一番怖いのは身内からの突然の裏切りである。そんな中で裏切りを示唆する噂を流せば、嫌でも「野良田の戦い」でのトラウマが蘇るはずである。


そして噂が流れ始めた数日後に城内で不審死が立て続けに起き始める段となると、この離間の計は驚くほど効果覿面となった。


三雲城内の敗残兵や傭兵はおよそ半分もおり、元六角六宿老と甲賀衆から疑いの目で見られるようになった彼らは、元々下賤な者として武士階級から蔑視されていた素破と対立するようになり、宗智の狙いどおり三雲城内では元六角六宿老や甲賀衆と、その他の敗残兵や傭兵たちとの間で疑念と僅かに残った信用が入り混じり、疑心暗鬼と混乱の渦に巻き込まれた。


ーーこの中に裏切り者がいるのではないか、と。


口では疑惑を否定しても、その言葉にはそれを裏付ける確たる証拠はなく、何ら信憑性はない。疑心はさらなる疑念を呼び、ちょっとした諍いの口喧嘩から殴り合いの喧嘩となり、ついには斬り合いにまで発展する事態となると、三雲城は内部崩壊寸前にまで陥った。


その隙を見逃す宗智ではない。疑心暗鬼で連携が取れなくなり、三雲城の守備力が低下したと見るや、蒲生軍の攻勢を一気に強め、堅い城門を怒涛の勢いで攻め立てていった。


この状況が蒲生の策略によるものであると察知した三雲定持は、「蒲生にしてやられたな」と呟いた。元六角六宿老は打倒蒲生という一つの目的に対して一致団結していたが、余所者の存在による内部対立から一度歯車が狂い始めると、今さらそれが敵の策略だと打ち消したところでもはや後の祭りであり、その狂いは一気に城内全体に波及し、深刻さを増していった。


そして、宗智は"細工は流々仕上げを御覧じろ"とばかりに止めを刺す。潜ませていた素破に「六角六宿老の一人が裏切った」と叫ばせて、城兵の混乱を煽ったのだ。それも城内の場所ごとで内容を変え、一の丸では後藤が裏切った、二の丸では進藤が、本丸では平井が、とワザと人名を入れ替える念の入れようであった。


既に疑心暗鬼に包まれていた城兵に冷静な判断ができるはずもなく、いつ背後から斬られるか分からない一触即発の状況となると、ついには仲の悪い者同士による同士討ちが起こる事態となった。


緒戦は士気を加味しても互角以上と言えた戦況だったのが、今や蒲生の一方的な攻勢であった。そして、ついに三雲城の大手門が打ち破られると、もはや三雲軍に怒涛の勢いで雪崩れ込んでくる蒲生軍を押し留める力はなく、残る門も次々と破られていく。


この混乱する事態に、元六角六宿老の面々は最後まで蒲生に抗うべく奮闘するも、一人、また一人と討ち取られていった。


そして、本丸では元六角六宿老の最後の一人、三雲定持が嫡男・賢持、次男・成持、三男・総持を前にして告げた。


「もはや、これまでのようじゃのう。お前たちは抜け道から脱出して落ち延びよ。蒲生以外であればどこに仕えようが委細構わぬ。儂は六角六宿老として六角承禎様に最後の御奉公が残っておる。今生の別れじゃ」


「「「父上!」」」


定持は佩刀の備前長船光忠を抜いて賢持に手渡して告げた。この光忠は史実では三好実休の手に渡って「実休光忠」と呼ばれ、後に織田信長の愛刀となった刀である。


「今これより三雲家の当主は賢持、お主じゃ。この備前長船光忠は三雲家代々の家宝じゃが、所詮は刀に過ぎぬ。いざとなれば売り払ってでも生き延びよ。三雲家の血を絶やすではないぞ。よいな」


「父上! ううっ……」


「早う行け! 達者でな」


息子三人が家族を連れて三雲城を脱出するのを見届けると、定持は火を点けた松明を手にし、本丸の何箇所かに火を点けていった。その火は瞬く間に燃え広がり、しばらくすると城内に仕込まれた爆薬に着火して、城内のあちこちで爆発が巻き起こり、蒲生軍の兵を吹き飛ばしていった。この爆薬は三雲家が明との貿易で手に入れたものであった。


すべてをやり終え、思い残すことのなくなった定持は、炎上する本丸の広間で「江雲(定頼)様。承禎様。今からそちらに参りまするぞ」と呟くと、切腹して果てたのだった。


こうして、元六角六宿老の最後の砦であった三雲城は落城し、蒲生は2年以上に亘る長い戦いの末に、ついに甲賀郡を平定したのであった。

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