伊賀平定と統治計画

寺倉軍は百地家を臣従させると、勢いそのままに藤林城へと兵を進めた。


前回の北伊勢侵攻での敗北や史実の「天正伊賀の乱」からも分かるように、軍に火種を燻らせておくのは非常に危険だ。


「天正伊賀の乱」では伊賀に攻め入った北畠信雄が、功を焦るあまり十分な準備をせずに挑んだ山岳戦で大敗北を喫する。これは元々武勲に乏しく、織田家中での地位が低かった信雄の立ち位置が原因であった。

前回の北伊勢侵攻でも功を競い合う北伊勢の国人衆を狙われ、混乱が引き起こされた。このようなことを再び起こす訳にはいかないため、今回の北伊勢再侵攻や伊賀攻めは寺倉家の譜代家臣のみで出陣している。


しかし、相手は天下一の忍び、伊賀忍者であり、さすがに一筋縄ではいかなかった。進軍する寺倉軍を山中でゲリラ戦術で奇襲しては、ジリジリと兵の士気を削っていった。


だが、ここまで必死に抵抗してきた藤林家だったが、前回の敗北を無駄にしないよう、素破の奇襲に万全の体制を整えていた寺倉軍は、ゲリラ戦術の襲撃を受けても混乱へと発展することはなかったのである。


そして、藤林長門守が立て籠もる藤林城は比較的簡素な造りの小城であった。伊賀は貧しい国であり、城の修築も滞っていたのだろう。城の一部の壁が崩落した部分も放置されたままで、大軍に対する備えは全くできていなかった。


上忍三家と言えども、服部も百地も同じように厳しい環境にあったのだろう。服部が臣従を申し出てきた理由が今ようやく理解できた気がした。


俺は再び服部半蔵を使者として藤林城に送った。半蔵から長門守に伝えさせた内容は以下の通りである。


一つ、藤林家の伊賀衆を寺倉伊賀守の直臣として召し抱えること

一つ、寺倉伊賀守は伊賀衆に対して武士と同等の待遇を保証すること

一つ、伊賀衆は伊賀国司である寺倉伊賀守に忠誠を誓うこと


の三つである。俺は朝廷から「伊賀守」の正式な官位を得た。この条件は、それを基軸とした内容である。




◇◇◇




藤林長門守は呆気なく降伏した。本丸で服部半蔵が提示した寛大すぎる降伏条件を聞いた長門守は、始めは信じなかったそうだが、半蔵が近江で領地を与えられて一族郎党が豊かに暮らしていることを伝えて説得すると、ようやく得心がいったそうだ。


俺は城の外の陣で藤林長門守を待ち受けると、一刻の後に藤林長門守が現れた。降伏の言上を述べる長門守は顔色一つ変えることはなく、俺は伊賀忍者のビジネスライクな面を垣間見たように感じた。


これまで伊賀忍者は契約した内容を守り、銭さえ得られればどんな仕事でもするし、因縁や復讐などとは無縁の特性を持っていた。


しかし、それは考えようによっては、一時的な金銭を上回る永続的な高待遇を保証さえすれば、寺倉家に忠誠を誓うということでもある。本来の忠義とは程遠いかもしれないが、信用はできる。


そう考えると、服部半蔵は武士と同じ忠義を感じられる分、特異な存在なのかもしれない。俺は藤林長門守と配下の伊賀衆を直臣として召し抱えることにした。


こうして寺倉家は伊賀国10万石の領地を手に入れたことにより、石高は75万石となった。俺は晴れて国持ち大名となり、伊賀守の官位と合わせて名実共に伊賀国主となったのである。




◇◇◇



伊賀国は石高は10万石と低いが、近畿地方の重要な場所に位置する地政学的に要衝の地である。百地や藤林の一族郎党には服部家と同様に豊かな近江国に移住してもらい、伊賀国は寺倉家の直轄領とするつもりだ。


服部、百地、藤林の上忍三家が移住すれば伊賀国の領民は半減してしまうが、心配は要らない。その後には、移住者が多すぎてキャパシティの限界を迎えている沼上郷から、沼上源三が率いる若い男衆を中心に半分ほどの民を移住させようと考えている。


この計画の理由の一つは、彼らの強固な忠誠心だ。寺倉家にとって最前線の要衝の地となった伊賀は半農半素破の領民が多くおり、放っておいて「天正伊賀の乱」のような反乱を起こされては困る。伊賀に沼上の民を配置して、伊賀の領民の監視役とすると共に、西からの三好の侵攻に備える防人としての働きも期待している。


したがって、沼上源三にも伊賀の代官として移ってもらう。まあ、沼上の民も虐げられてきた下層民で、伊賀の領民たちも境遇は似ているので、なんとか上手く共存していけるだろう。


そして、もう一つの理由は美濃一色を壊滅させた「水攻め」で用いたダム建設の経験だ。彼らは2年間で2つのダムを築いた。そんな経験を持つ集団など日ノ本では他にはいない。彼らのダム造りの貴重な経験とスキルを伊賀国でも活用し、北の木津川の山城国との国境と南の名張川の大和国との国境にダムを築いて、伊賀の防衛力を上げたいと考えているのだ。


だが、伊賀は山に囲まれた盆地であり、これ以上開墾しても米作が可能となる土地は少ない。俺は伊賀国司として伊賀を豊かにするための方策として、水利が悪くて米作に向かない土地でジャガイモの生産を奨励し、ゆくゆくは芋焼酎を作らせて伊賀を焼酎の名産地とするつもりだ。そうすれば数年の内に伊賀の領民は貧しい生活から脱却できるだろう。


それと、あまり有名ではないが、伊賀は伊賀焼という古陶の産地である。山一つ隔てた近江の狸の置物で有名な信楽焼と同じ地層の陶土を使っており、今は水瓶や壺、擂り鉢などの日用雑器が中心だが、今後は茶の湯に用いる茶壺、茶入、花入、水指などを焼かせて堺で売らせたい。


また、信楽焼の有名な狸の置物は、狸が「他を抜く」に通じることから、特に商人から商売繁盛の洒落た縁起物として喜ばれて、現代では編み笠を被った丸々とした狸が少し首を傾げながら右手に徳利、左手に通帳を持って立つ「酒買い小僧」が商店の軒先に置かれることが多い。


だが、あの信楽狸は実は明治時代に初めて作られたもので、昭和天皇の信楽町行幸の際に多くの信楽狸に日の丸の小旗を持たせて沿道に設置したのが新聞報道されて全国的に有名になったという経緯があり、当然ながら今は信楽狸は存在しない。


ならば、信楽狸に先駆けて「伊賀狸」を作らせて、寺倉領で売らせてみようと思う。人が多く集まる統麟城城下の商店の店頭に置かせれば、他国の商人にもすぐに広まって伊賀の名産品となるだろう。


一方、伊賀国が要衝の地だと言うのは、伊勢と近江、山城、大和を繋ぐ街道がこの伊賀を通っており、伊勢への街道が東に3本と南に1本、北の近江に1本、西は山城に1本と大和に2本、の計8本の街道の結節点となっているからである。


もちろんいずれの街道も山間を通る狭い街道で、東山道や東海道とは比べるまでもない流通量ではあるが、特に南伊勢の北畠にとっては畿内との物流を繋ぐ生命線とも言える重要な街道であり、この利点を活かすことによって物流をコントロールすれば、今後、南伊勢や大和へ侵攻する際にも大きな利点となるはずだ。


さらに俺は伊賀国司として、この伊賀の地に大規模な城を築くつもりでいる。藤林城の酷い有り様から見ても分かるように、伊賀国は貧しく修築の費用さえもままならない状況であった。そのため、伊賀国には城と呼べるものすら存在しなかった。


三好長慶が病に伏している今は、三好が伊賀に攻め入ってくる可能性は低いが、長慶の亡き後は危険だ。現状の伊賀の城では、とてもじゃないが大和国を支配する松永久秀の侵攻には耐えられず、すぐに制圧されるのは火を見るよりも明らかだ。


そこで、木津川と名張川にダムを築き、ダム湖によって国境の防衛力を上げると共に、現状の防御力のない城モドキをすべて取り壊してその資材を再利用し、史実の安土城のように伊賀国司の象徴となるような、近代建築の平山城を伊賀の中心地に築くのだ。


三好が伊賀に攻め入る動きを見せれば、俺はその城に入って三好軍を牽制する。それだけでも三好への威圧効果は大きいだろう。俺が伊賀国にいるというだけで三好にとって大きな脅威となり得るはずだ。


それに、城を築いて城下町を整備すれば、交通の要衝である伊賀には自然と人と金とモノが集まるに違いない。伊賀国が栄える日もそう遠くはないだろう。




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