北伊勢侵攻④ 雨中の一騎打ち

「正吉郎様......!目を覚ましてくだされ!!」


どれだけの時間、意識を失くしていたのかは不明だが、辛うじて心臓が止まる前に間に合ったようだ。俺は蹊祐の顔を視認すると、自然と口角が緩んだ。俺のために涙を流してくれる人間がいる。


それを目にしただけでも覚醒するには十分だった。俺は瞠目して開口する。


「蹊祐、心配させてすまぬ。もう大丈夫だ」


「しょ、正吉郎様!!!」


突然息を吹き返し、言葉を発した俺を見て、蹊祐は信じられない物を見たかのように口をパクパクさせている。それほど俺は瀕死の状態だったのだろう。


俺が身体を起こそうとすると突然、身体中に激痛が走った。走っている馬から落馬し、さらには坂道を転がり落ちたのだ。当然である。


特に脇腹と左肩の痛みが酷い。おそらく肋骨や肩甲骨にひびでも入っているのだろうが、幸いにも手足は打撲と擦過傷だけのようだ。むしろ落馬してこれだけで済んだのは僥倖と言っていいくらいだ。


周りを見回すと、慶次ら馬廻りが俺を囲うように周囲を警戒して立っていた。慶次は息を吹き返した俺の様子を見て、一瞬感激したような表情で俺を見つめるが、すぐに気を締め直して周囲の警戒に当たった。これ以上俺に危害は加えさせない。そんな断固たる決意が、慶次からひしひしと感じられた。


そしてここで天の助けか、幸運なことに援軍が到着した。服部半蔵率いる伊賀衆と沼上源三の狼部隊、本多忠勝の部隊が相次いで到着すると、間もなく追撃してきた素破部隊に応戦した。


「ここは私共に任せ、正吉郎様はお逃げくだされ!」


「わかった。ここはお主らに任せよう。死ぬでないぞ!」


俺は蹊祐に肩を貸してもらい、まだ激痛が走る身体を気合で動かし、慶次と共に退却を再開したのであった。



◇◇◇





俺は追撃してきた素破部隊への対応を源三らに任せると、本降りの雨の中を再び慶次らわずかな馬廻りたちと共に、満身創痍で痛む身体を無理やり動かし、下り坂をできうる限りの速さで下っていた。


流石に二度の襲撃はないだろう。そんな油断が心の隅に残っていた。その僅かな心の隙が仇となった。


俺を襲撃した素破の棟梁は、おそらく追撃部隊が俺を取り逃がす事態も予想の範疇に入れていたのだろう。今度は堂々と道の正面に立ち塞がり、坂を下ってくる俺たちを待ち受けていた。念には念を入れる用心深さと執拗さには全く恐れ入る。


素破はその数14、15名といったところだろうか。半蔵や源三、忠勝は追撃部隊との応戦に手一杯で、こちらに駆けつける余裕などないはずだ。となれば、ここを切り抜けるには今ここにいる戦力のみで戦わなければならない。


戦闘にあまり向かない蹊祐も入れて、こちらの手勢は俺を含めて7人。一人当たり2人の素破を相手にする計算だ。だが、俺は満身創痍で右手一本で刀は振れるものの、実際にどれだけ戦えるか、正直自信はない。こちらの手勢は皆手練れの者ばかりだが、2倍の敵を相手にするのは少々厳しいかもしれない。ここで頼りになるのは、やはり滝川慶次であった。


慶次は重い槍を軽々と振り回してから穂先を敵に向けて構えると、俊敏な動きで敵集団に勢いよく吶喊していった。すると、慶次に続くように他の馬廻りも負けじと刀を抜いて斬りかかっていく。それと同時に雨が急に強くなって土砂降りに転じ、暗闇の雨中での乱戦が始まった。


俺も刀を抜いて右手一本で構えるが、不思議と痛みは感じない。絶体絶命の緊迫した退却戦だからか、おそらくアドレナリンのお陰で痛みを感じる余裕もないのだろう。


いずれにしても、日頃の訓練と同様とまでは言わずとも普通に動けるようだ。俺はこの不幸中の幸いに対して、極楽浄土で再会したばかりの父上へ感謝を捧げていると、慶次を含めた馬廻りたちの間をすり抜けて俺に向かってくる一人の男を視認した。


暗くて男の顔ははっきりとは見えないが、その男は他の素破とは違う威圧感を発しており、間違いなく素破たちを率いる長だろうと理解した。


時代劇のチャンバラのように複数の素破を同時に相手にするのは、命を捨てた一人にしがみ付かれでもしたら他の者に背後から斬られるのを防ぎようがなく、正直言えば絶対に御免被りたいところだった。


だが、たとえ相手が素破の棟梁で手練れであろうとも、一騎打ちであれば周りに仲間はいない。思い切り刀を振って戦うことができ、少しは勝機があるはずだ。男は俺の前5mほどに対峙すると、鋭い眼光を放ちながら声をかけてきた。


「拙者は百地三太夫と申す。貴殿は寺倉掃部助殿でござるな?あの落馬でも死なずに無事でおるとは、恐ろしいほどの悪運の持ち主よのう」


百地三太夫。伊賀上忍三家の一人ではないか。関盛信も生き残りに必死だということがひしひしと感じられる。


「いかにも、俺は寺倉掃部助だ。お主ら伊賀衆は関家に雇われて俺を襲ってきたのだな」


俺は偽りを述べることもなく、素直に答える。相手は素破だ。普通の部隊ならばいざ知らず、素破となれば俺の正体など、とうの昔に理解していることだろう。


「はて? 雇い主のことは明かせませぬな。これから死ぬ貴殿に伝えても、何ら意味を持たぬ故な。お覚悟召されよ!」


百地三太夫の殺気が一気に膨れ上がり、一瞬の内に俺との間合いを詰めると、切り掛かってきた。


俺は三太夫の刀を弾き返して対峙し直すと、こんなに緊迫した状況だというのに、頭の中で勢源との修行の映像が走馬灯のようにクリアに蘇ってきた。


中条流剣術。まだまだ勢源の域には遠く及ばないが、童の頃から毎日欠かさず続けてきた素振りの甲斐あってか、その上達スピードは勢源を思わず唸らせたほど早かった。


俺は勢源の教えを忠実に再現し、斬り込んでくる三太夫と刀を数合斬り結ぶと、三太夫は忍びとしては手練れではあるが、剣術の腕は勢源とは比べるまでもないと分かった。


痛みを感じないとはいえ、身体が悲鳴を上げているのは確かなのだろう。勢源とは雲泥の差と見て取れるとは言え、純粋な剣技のみで戦っても徒に時間がかかる。出来れば時間をかけずに始末したいところだ。


俺はそう判断し、勢源の教えに沿うよう、三太夫の気を読み、三太夫が息を吐き切った刹那、懐に飛び込んで胴を横に薙ぐと、袈裟斬りで止めを刺した。


後ろで俺と三太夫の一騎打ちを息を止めて見ていた蹊祐は、俺の動きに驚きを隠せない様子だったが、俺が三太夫を討ち取ると、蹊祐は慌てて俺の元に駆け寄ってきた。


「正吉郎様。お怪我はございませぬか? 某、 側近ともあろう身で何も出来ず、誠に申し訳ございませぬ」


蹊祐の膝はガクガクと小刻みに震えていた。だが、その手には確かに刀が握られており、蹊祐なりに俺を助けようと精一杯の勇気を振り絞り、腰の刀を抜いたのだろうが、足を前に進めることはできなかったのであろう。


だが、蹊祐が取った臆病な行動は、この状況では最も適切だった。生半可な腕で助太刀に入っても、俺の足手纏いになるだけである。蹊祐はそれを本能的に理解していたのだろう。だから、俺は蹊祐を非難するつもりは毛頭なかった。


「気にするな。それより、どうやら慶次たちも素破たちを討ち倒したようだな」


返り血で身体を真っ赤に染めた慶次が、心配そうな表情を浮かべながらこちらに向かって走り寄ってきた。


「正吉郎様。ご無事でございまするか? 此奴は?」


「俺は大丈夫だ。此奴は素破たちの棟梁、百地三太夫だそうだ。手練れであったが、何とか倒すことができた」


「左様でございまするか。伊賀上忍三家の一人ですな」


「うむ。慶次たちは皆無事か?」


慶次の背後から、若干グッタリとした様子をしていながらも、皆無事な姿で俺の目に入ってきた。山合いでの全速力の退却というのに加え、俺を守るのに常に気を張っていたはずだ。おまけに少し収まってきたとはいえ先ほどからの大雨だ。その疲労は俺と比べても計り知れないものがあるだろう。


「はい。素破ごときに剣で後れを取る者などおりませぬ」


慶次はそんな他の側近を気にすることもなく、毅然とした態度でキッパリと俺に告げた。


「そうか。では先を急ぐぞ。ここで立ち止まっていれば、また追っ手に襲われるかもしれぬ」


「はっ、畏まりました」


この雨中の夜の逃避行という絶体絶命の窮地を切り抜け、俺たちは川並衆が待つ鈴鹿川の河川敷にどうにか辿り着くことができたのであった。




◇◇◇



俺たちは川並衆が用意した船で鈴鹿川を下り、三重郡の楠城へと退却した。河曲郡の神戸家が寺倉の敗北に乗じて反乱を起こす可能性も考慮した俺は、神戸家の領地ではなく、鈴鹿川からすぐ近くに位置するこの楠城を一時退却する場所に選んだ。


大雨の影響で川の流れが早かったこともあり、船に乗った後は予想以上の速さで退却することができた。大雨の中の川下りは危険も大きいのだが、俺は川並衆の力量を信じていたし、何事もなく今こうして生きているのだから気にする必要はない。


楠城に入城して一息吐くと、急に全身に激痛が走り、あまりの痛みに俺はのた打ち回った。やはりアドレナリンが切れたのだろう。極限まで張りつめていた気を緩めた瞬間、痛めていた箇所に二割増しくらいの激痛が襲ってきた。


その後、俺は治療に専念し、翌日以降、俺たちが無事に楠城まで退却したという情報を聞きつけた諸将が続々と帰還し、楠城に集結してきた。


寺倉軍本隊の兵は統率されており、退却もスムーズで兵の被害も予想外に少なく、集結した家臣たちは皆涙を流して安堵していたのが印象的だった。


対照的に、素破の奇襲で一番最初に混乱した北伊勢の国人衆の部隊の被害は大きく、バラバラに逃げた者も含めて3500の兵の内2000が帰還せず、討死した国人領主も数人いたほどだ。


だが、幸か不幸か俺が生きていることを知り、臣従した国人衆で離反する者は一人もいなかった。もし俺が死んでいたらと思うと本当にゾッとする。だが、油断は禁物だ。統麟城に帰還するまでは、いつ反旗を翻して襲いかかってくるかも分からない。


何しろ今の寺倉軍は初めての敗戦で士気がガタ落ちしているのだ。今ならば倒せると考える愚か者がいても何ら不思議ではない。


俺は楠城でしばし休養を摂り、軍勢を再編成すると、臣従したばかりの河曲郡以北の国人衆が離反することのないよう、睨みを利かせるため榊原政長と守備兵1000を神戸城に残して、統麟城へと退却したのであった。

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