北伊勢侵攻①梅戸征伐と忍び寄る影
北伊勢と南近江を繋ぐ八風街道を押さえ、北伊勢の流通の要衝の地となっている梅戸城に本拠を構える梅戸家。
当主の梅戸実秀は、元主家である六角家を滅ぼした近江三家に対して、心底に煌々と燃える復讐心を抱いていた。
その理由は先代当主である実秀の父・高実が六角家の一門衆だったからである。六角家が弱小国人に過ぎない梅戸家にわざわざ養子を送り込んだことからも分かるように、八風街道を領地とする梅戸家は北伊勢から南近江への入口を押さえるという戦略的に重要な役割を担っていた。
北伊勢を標的とする寺倉家に対しては、梅戸家は露骨なほど敵愾心を露わにしており、逆に言えばこの梅戸家を滅ぼすことにより、周囲で日和見を決め込む国人たちに対して、次はお前たちだと無言の圧力を掛けて、臣従を引き出すことができるのだ。
もっとも昨年調略に当たった滝川慶次の説得に応じず、勝ち馬に乗ろうという日和見の国人と、素直に説得に応じて臣従を約束した国人とでは、明確に処遇を分けるのはこれまでと変わらない。
六角家の一門衆の誇りにかけても、その仇敵に膝を折ることなど絶対にできない。これは梅戸家の人間の総意であった。
そんな梅戸家中を束ねる当主・実秀は、大広間で心中の憤怒を隠そうともしなかった。
この梅戸城を3日間包囲する寺倉軍5000からは降伏勧告の使者も来ず、今にも城攻めが始まろうとしていたからである。
そんな誰しも忌避したがる重い空気を打ち破ったのは、梅戸家の中心人物である実秀当人だった。
「ええい!寺倉は我が梅戸家を愚弄しておるのか!」
八風街道は交通の要衝であり、寺倉領と言えば琵琶湖の水運を掌握し、東山道や北国街道を通じて東の尾張や西の敦賀から大量の品々が集まる言わば宝の山である。八風街道を頻繁に行き交う商人の大半は、当然ながらそんな宝の山の寺倉領で商いをしており、寺倉家とは緊密な関係を築くのを最優先に考えていた。
商人とは絶えず利益を追い求める打算的な生き物である。梅戸家も流通において大切な存在ではあるが、領内に関所を設けない寺倉家が、梅戸に代わって八風街道を治めることになるのであれば、商人としては梅戸がどうなろうと知ったことではなく、どちらに与した方が得策かなど考えるまでもないことであった。
3日前、寺倉軍は梅戸城を包囲すると、梅戸城が調達しようとする物資を全て寺倉に横流しするように商人に呼びかけた。その価格は相場の2倍である。ここで寺倉家に恩を売っておけば後々有利な扱いとなるかもしれないとの打算的な考えを持った商人が、そんな美味しい話に食いつかない訳がなく、その結果、梅戸家が買い付けるはずだった兵糧は全て消失した。
梅戸は八風街道を押さえているが故に、兵糧は足りなくなったらいつでも商人から調達できる。特に油断していた訳ではないが、父からそう教わって育った梅戸実秀はそれを当然の事だと信じて疑わず、家臣も同じように考えていた。
梅戸城内に備蓄されていた兵糧は平時には問題ない量であったが、梅戸が徴兵した全兵力500を賄うには僅か3日分しかなかった。これは正吉郎が伊賀衆の素破に調べさせて判明した機密であり、正吉郎がこの弱点を突かないはずはなく、そして昨日、寺倉軍が城を包囲してから3日が経ち、梅戸城の兵糧は底を突いたのだった。
「こうなってはやむを得ぬ。皆の者、一人でも多くの寺倉兵を討ち取って梅戸家の意地を寺倉に見せつけようではないか!」
早朝、兵糧が底を突き、飢え死にするまで籠城するか、城と枕を並べて討死するか、打って出て一矢報いる以外に、採るべき戦術の失くなった実秀は、どこか晴れ晴れとした表情を浮かべながら、家臣や城兵を前にして決死の檄を飛ばした。
「おおう!」
その檄を待っていたかのように寺倉軍が大手門に攻撃を始め、四半刻もせずに大手門が打ち破られると、城内に寺倉軍が雪崩れ込み、城内は乱戦模様となった。
しかし、寺倉軍5000に対して梅戸軍は十分の一の500という絶望的な兵力差であった。寺倉軍の城攻めが始まると、今朝から水しか口に入れていない梅戸の城兵に底力が出るはずもなく、多勢に無勢で短い時間で討ち取られ、梅戸城内は制圧されていった。
そして梅戸軍は奮闘虚しく全滅した。一方の寺倉軍の被害の大半は負傷者であり、戦死者は僅か数十人であった。
梅戸家の征伐の目的は要衝の地の確保というだけでなく、他の国人に対する見せしめでもあった。臣従を約束した国人には忠誠をさらに促し、日和見を決め込んでいた国人たちには寺倉軍の強さを見せつけて恫喝する。
だが、兵糧攻めでは兵の被害は抑えられるが、国人たちに畏怖を与えられない。
あくまでも力攻めで圧倒的な兵力差により、ほとんど被害を出すことなく殲滅して戦を終える。これが正吉郎の梅戸攻めの狙いであった。
梅戸家は一族郎党が切腹し、梅戸城は落城した。あらかじめ調略で臣従を約束していた国人は一斉に臣従を表明し、日和見を決めていた国人たちも、慌てて寺倉への臣従を申し出てきた。北伊勢の国人たちの臣従は雪だるま式に増えていき、5月31日、員弁郡、朝明郡、三重郡の、桑名郡を除く北伊勢北部の3郡12万石の制圧が成ったのであった。
◇◇◇
6月に入り、三重郡以北を制圧した寺倉軍は、臣従した3郡の国人たちの兵2500を糾合して南進し、神戸家が治める河曲郡の神戸城を包囲した。
この神戸城は天文年間に築城され、新たに神戸家の本拠となった比較的新しい城である。北伊勢において関家、長野家と並んで有力な三家の内の一角である神戸家は、鈴鹿郡の関家と協力して寺倉軍を打倒する姿勢を堅持しており、寺倉軍からの降伏勧告も拒否したため、俺はやむなく神戸城を取り囲むように指示した。
史実では神戸家と関家は蒲生家と婚姻関係を結んでいるが、その目的が六角の支配下に入るためだったのと、両者が婚姻関係を結んだ年には六角家がすでに滅びていることから、そもそも蒲生家との間に関係は存在していない。
神戸家の兵力は1000を超え、城の守りも堅く、梅戸家とは比べ物にならないくらい手強い相手だったからである。
俺は、堅城相手の力攻めでは無駄に兵の命を散らす愚を犯すことになると判断し、神戸城に対して兵糧攻めを行うことにした。城からの攻撃が届かない位置に陣を構え、物資の補給を妨げ、相場の2倍で物資を買い取った。兵糧は持って1ヶ月。物資の補給路を完全に断たれた籠城側はこれにはさすがに慌てふためくだろうと考えたが、それでも神戸具盛は城を包囲する寺倉軍に対して打って出る気配も見せなかった。
神戸具盛は次男であったために出家していたが、数年前に兄・利盛が若くして急死したため、急遽還俗して家督を継いだ。具盛は仏門に入ったことからも分かるように非常に心根が優しく温厚で、お世辞にも武将向きとは言えない性格の人間であった。
当初は具盛は寺倉軍の降伏勧告に応じるべきだと考えていたが、重臣たちが関家と組んで撃退すべしと強硬に主張し、気の小さい具盛はその主張を受け入れざるを得なかった。だが、籠城して1ヶ月が経過して兵糧が底を突き、城兵が飢えで苦しんでいるのを見捨てることなど、具盛には到底不可能であった。
このまま城兵が飢死で全滅するか、打って出るまで、寺倉軍は攻めるつもりがないと悟った具盛は、初めて重臣たちの反対を押し切り、自らの命と引き換えに開城して降伏すると決断した。
俺は僅かな側近と共に寺倉本陣にやってきた具盛の降伏する旨を伝える言上を聞いて、具盛を殺すことは取りやめ、再び仏門に戻ることを条件として、恵瓊の補佐として召し抱えることとした。
こうして城兵の命を無駄に奪うことなく、神戸城の無血開城が成った。これにより寺倉軍は河曲郡3万石を制圧し、北伊勢で残る関家を滅ぼすため、鈴鹿郡の関谷に進軍を始めたのであった。
◇◇◇
鈴鹿郡・亀山城。
「寺倉の大軍8000がこちらに向かっておる、か」
「左様にございまする」
7月上旬、関家当主・関盛信は、小さく嘆息を漏らしながら、独り言のように呟いた。一見落ち着いているようにも見える盛信であったが、その本性は陰謀詭計を非常に好み、目的のためなら手段を選ばない腹黒い性格の持ち主であった。
関盛信は、気弱な性格の神戸具盛が寺倉軍の降伏勧告に応じるのを懸念し、神戸家の重臣に対して、どちらかが攻められた場合はもう一方が敵の背後を衝くという形での共闘を持ち掛けて、神戸家が寺倉家と徹底抗戦するように仕向けた。
だが、盛信は最初から神戸家に援軍を送るつもりなど微塵もなく、神戸家との攻城戦で寺倉軍の兵力を少しでも損耗させ、自軍に有利になるように狙った策謀であった。しかし、意外にも寺倉軍は兵糧攻めを行い、一兵も損なわないどころか、降伏した神戸家の城兵まで自軍に加えて、8000を上回る兵で関谷に攻め寄せてくる結果となった。
さすがの盛信もこの事態には嘆息を吐かざるを得なかった。
「三太夫、長門よ」
「「はっ」」
盛信は神戸城が開城したとの報せを受けると、すぐに鈴鹿郡に離接する伊賀国から百地三太夫正永と藤林長門守正保という伊賀衆の上忍二人を呼び寄せた。
二人は服部と並ぶ伊賀衆の名家であり、同郷の服部家が一族郎党を率いて寺倉家に仕官したと聞いて内心では羨ましく思っていた。その寺倉家と戦う関家に合力して服部家と敵対することに、あまり気が進まない様子の二人に対して、盛信は多額の報酬を提示して雇い、寺倉軍を陥れるべく計画を練っていた。
盛信の口の端からは図らずも笑みが溢れる。
(この関谷を大軍に任せて力づくで攻めこもうなどとは、浅はかな奴らよ。ここが冥土への入口だと思い知るがいい。ふふふ )
伊賀衆にはかなり過酷で厳しい任務を課したが、素破ごときの命など盛信の眼中にはなかった。盛信は愚かではない。関家がこの乱世を生き延びるためならば、たとえ伊賀衆への報酬が相場を遥かに上回るものになろうとも全く構わない、と平気で割り切っていたのだ。
こうして正吉郎の知らないところで、正吉郎の身辺にまで危険が及ぶほどの大きな暗い影が、静かに少しずつ忍び寄るのであった。
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