川並衆の喧嘩騒動

3月上旬、西美濃の大垣城下で、ある集団が傍若無人に振る舞い、喧嘩騒ぎを頻繁に起こすために、一般の町民にも被害が出ていた。


その集団の名は川並衆といった。津島から岐阜にかけての長良川を中心とした水運の大半を担う水運業者であるが、その実態は村や町からあぶれた荒くれ者の集団であり、川船の漕ぎ手や船荷の運搬で腕っぷしの強いのを笠に着て、本拠地である大垣の町で我が物顔で振る舞っていた。川並衆は気性が荒く、非常に強力な武力を持つため、時には周辺の大名に傭兵に雇われて「桶狭間の戦い」の時のように戦に出ることもあり、大垣の元領主であった氏家直元を始めとする美濃国の諸将もほとほと手を焼いていたようだ。


その川並衆の頭領の名は蜂須賀小六正勝と言い、武闘派として美濃国内に名が知れ渡っており、大垣城下でもその気性の荒さと類稀なる武の才とを以って度々喧嘩沙汰を起こしていた。史実ではかの豊臣秀吉に仕え、伝説の墨俣一夜城で大きな勲功を挙げた土豪である。


民衆からの陳情を受け川並衆を懲らしめようと立ち上がったのが、大垣城城代に就いて間もない朝倉景紀であった。


景紀が城下の視察と称して町をお忍びで散策していると、早速民衆を脅かす騒ぎの元凶が揉め事を起こしているところに出くわした。景紀は城代になってから日も浅く、未だ領内にも顔は浸透してなかった。そんな景紀が川並衆の一人を制止しようとすると、川並衆が景紀の顔を知るはずもなく、刀を抜いて斬りかかるという暴挙に出た。


景紀は腰に差していた刀を抜くことなく、拳でその男を殴りつけて気絶させると、それを見て唖然とする川並衆の面々に向かって怒鳴りつけた。


「やはり口で言っても分からんようじゃの。貴様ら! こんな年寄り相手に刀を抜かねば勝てぬのか! 男ならばこの拳でかかって来んか!」


「おい、爺さん。それは年寄りの冷や水というものだぞ。それ以上は只では済まさんぞ」


小六は景紀の一言で頭に血が上り、顔を真っ赤にしながら怒鳴り散らした。


「何を言うか。それともこんな老いぼれが怖いのか。それでも貴様ら、金玉ついとるんか!」


「くそ、野郎ども! これ以上、川並衆が舐められる訳にはいかねえ。年寄りだからって遠慮はいらねえぞ。やっちまえ!」


蜂須賀正勝の号令で川並衆の男ども10数人が景紀に向かって襲い掛かるが、たとえ景紀が齢60歳も間近であろうとも、加賀一向一揆との戦いで宗滴の背中を見ながら数多の戦場を駆け抜けてきた猛将である。


いくら力自慢の川並衆が10数人で襲おうといえども、景紀の老練な喧嘩に敵うはずもなく、数分間の格闘で川並衆は全員殴り倒され、一方の景紀は息も乱さず平然と立っていた。その姿はまさに「老いても矍鑠」という他ない立ち姿であった。


「ふん。口ほどにもない奴らじゃな。加賀一向一揆と比べれば赤子を相手するようなものじゃな。」


そこへ番所の役人たちが刺又や梯子を持って駆けつけてきた。


「神妙にしろ。はっ、これは城代様。これは一体……?」


「随分と遅い到着じゃな。番所はそれほど遠かったか? あの町角で様子見していたのは気づいておったぞ! お主らは町衆を守るのが役目のはずじゃ。それが悪党を恐れて怖気づいていてどうするのじゃ!」


景紀は厳しい口調で説教すると、役人たちを睨みつけて威圧した。番所の役人が川並衆の連中に恐れ慄き、足がすくんで出てこられなかったのが、戦いながらも景紀の視界の隅にはしっかりと映っていたのだ。


「ははっ、誠に申し訳ありませぬ」


役人は大量の冷や汗をかきながら、居心地が悪そうに俯いて謝罪の言葉を述べる。


「今回だけは許してやろう。だが、二度目はないぞ。此奴らを番所に引っ立てぃ!」


とは言えど、川並衆は美濃で名がある厄介者だ。手を出そうとも敵わない、そんな考えが頭に浮かび、足がすくんでしまうのも無理はない。日和見に徹していた役人たちも今回だけは許し、二度と同様の出来事が起きることのないよう、景紀は自覚を持たせるべく強い警告の言葉を投げかけたのである。


「ははっ。承知いたしました」


「皆の者。騒がせて済まなかったのう。儂は大垣城城代の朝倉九郎左衛門尉じゃ。これで傍若無人だった川並衆も懲らしめたので、もう安心してよいぞ」


景紀は遠巻きに見ていた町衆を呼び寄せるように柔和な口調で告げると、町衆から一斉に「わっ」という歓声が上がり、「さすがは城代様だ」と称賛の声が上がるのであった。


しかし、翌日この事件がきっかけとなり、事態は思わぬ展開へと繋がるのであった。



番所に引っ立てられて、役人たちからこってり絞られた蜂須賀小六や前野長康は、拳一つで10数人を一人で殴り倒した景紀の男気に心酔していた。景紀が番所に姿を現すと、突然景紀の前で平伏し、真っ直ぐな目でこれまでとは打って変わって神妙な口調で頼み込んだ。


「我々は九郎左衛門尉様の強さと男気に心服いたしました。これからは心を入れ替え、二度と町衆に迷惑をかけないとお誓い申しまする。どうか我々川並衆を九郎左衛門尉様の家臣にお取立てくださりませ。戦にもお供いたしまする。お願い申し上げまする」


「こんな余命幾ばくもない老いぼれに仕えて、どうするのじゃ」


まるで最も強い雄に従う狼の群れのような単純な者どもよのと思いながら、半ば呆れを含んだ口調で景紀は告げる。


「我ら力自慢の川並衆10数人を一人で殴り倒した九郎左衛門尉様ならば、あと20年は長生きされまするぞ」


「ふん、仕えるならば寺倉掃部助様に仕えるがよかろう。聡明叡智、武陵桃源を作らんとする立派な志を掲げるお方じゃ。それに武芸にも富んでいる」


景紀自身、川並衆が再び揉め事を起こしても一捻りにできると言えど、今回の騒動に関わっていない他の大勢の川並衆が今後も大人しく服従するとは正直思えなかった。


「いえ。我らは九郎左衛門尉様に心底惚れましてございまする」


だが、景紀はその淀みのない目に一瞬気圧されると、全く酔狂なことを……と困ったように息を吐いた後に、諦めの口調で小六に訊ねる。


「川並衆はこの10数人だけではあるまい? 一体何人おるのじゃ?」


「はっ。川並衆は全部で100人ほどおり、大垣に半分の50人、残りは津島と岐阜におりまする」


「ふむ、そうか。では蜂須賀小六正勝、前野将右衛門長康。お前たちを儂の家臣に召し抱えよう。だが、二度と町衆に迷惑を掛けたら家臣と言えども厳罰に処すゆえ、肝に銘じておけ。近い内にこの場にいない他の川並衆の者たちも集めよ。儂からしっかり釘を刺しておこう。よいな」


「ははっ。ありがたき幸せにございます。歯向かう奴には拙者から灸を据えてやりますゆえ、九郎左衛門尉様には絶対にご迷惑はお掛けいたしませぬ。ご安心召されよ」


景紀は川並衆を配下に受け入れるのは悪い話ばかりでもない。川並衆による水運を支配することは大垣の町の発展に大きく役立つだけでなく、北伊勢侵攻の際の兵糧や人員輸送にも役立つと考えたのだ。


それに喧嘩沙汰で大垣城下を騒がせた川並衆を再び野放しにしては城代である景紀の沽券、いや寺倉家の威信に関わる。そう危惧した景紀は不本意ながら川並衆の仕官を受け入れたのであった。こうして朝倉景紀の家臣となった蜂須賀正勝率いる川並衆は、その後の戦においてその水運能力を如何なく発揮し、寺倉家に大きく貢献するのであった。

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