一乗谷生き埋め②

一乗谷で加賀一向一揆勢の大半が生き埋めとなった二日後、俺は統麟城に無事帰還した植田順蔵から報告を受けていた。


「そうか。無事に成功したか。順蔵、ご苦労だったな。済まないが、雪崩を人為的に起こしたことは大っぴらにすることはできないが、寺倉の兵を一兵も損なうことなく、2万の加賀一向一揆勢を壊滅させたのだ。志能便衆の大手柄だぞ。よくぞ役目を果たしてくれたな。後日、褒美を取らせよう。2万の加賀一向一揆勢の内で生き残った門徒も少しはいようが、狂信者を煽動する坊主どもが死ねば、他は烏合の衆だ。後は新九郎がたやすく殲滅するであろう」


俺は順蔵に命じ、晴れが続いた後大雪が降り積もった日の深夜に、一乗谷の山腹で一斉に爆薬を爆発させ、その音響が狭い谷間で反響し合って増幅することによって、人為的に雪崩を起こさせたのだ。


一乗谷を囲む山は傾斜はさほどは急ではないため、成功するかどうかは賭けであったが、順蔵にとって一乗谷は生まれ育った庭とも言え、隅から隅まで地形を熟知した土地であり、雪崩が起きやすそうな場所を上手く見つけて実行してくれたお陰で、賭けに勝つことができたようだ。


だが、雪崩を人為的に起こしたことは絶対に外部に知られる訳にはいかない。特に石山本願寺にでも知られようものならば、寺倉は加賀一向一揆を滅ぼした仇敵、仏敵として認定され、「雪崩を操るとは悪魔の所業だ」と悪評を流布された挙句に、西美濃に隣接する長島で一向一揆を起こされかねない。せっかくの大殊勲を大っぴらにできない志能便衆には悪いが、褒美を奮発することで我慢してもらうしかない。


「ははっ、過分なお言葉を頂き、ありがたき幸せにございまする。正吉郎様からいただいたお褒めの言葉を配下の者たちにも伝えまする。皆もさぞや喜びましょう」


順蔵も未だに日陰者扱いされている志能便が大きな勲功を挙げたのを、俺から直々に称賛されたのがよほど嬉しいのだろう。平伏して涙ながらに礼を述べている。


これで加賀一向一揆勢2万をほぼ無力化することができ、寺倉は浅井の越前侵攻に援軍を出さずに済む。正直言って加賀一向一揆相手では砦を築いた木の芽峠で迎え撃ったとしても、浅井・寺倉連合軍でもかなりの損害を覚悟しなければならないところだったのだ。


無論、新九郎には何も伝えていないし、今後も伝える気はない。新九郎は雪崩で加賀一向一揆勢が壊滅したと知ったら、きっと天罰が下ったと喜ぶだろうな。


「うむ。そこで、もう一つ頼みたいのだが、加賀一向一揆2万が一乗谷で雪崩で生き埋めになって全滅したのは、仏の教えに背いた天罰が下ったのだという噂を、越前と加賀、そして畿内にも流してはくれぬか? これによって少しでも石山本願寺の求心力を弱体化できればと思ってな」


「ははっ、名案でございまするな。お安い御用でございまする」


これで寺倉も北伊勢の侵攻に専念でき、ひと安心というところだ。




◇◇◇




そしてその数日後、景健の元に順蔵の言葉通りに一乗谷で雪崩が起きたとの報せが伝わり、辛うじて生き残ったものの、飢えや凍傷でボロボロの加賀一向一揆勢の生き残り2000の門徒に、景健ら朝倉の残党500が襲い掛かった。ほぼ相討ちのような形で加賀一向一揆勢を討ち滅ぼし、雪で真っ白な一乗谷を一面真っ赤に染め、同時に朝倉景健も壮絶な最期を遂げたのであった。




◇◇◇



北近江・小谷城。


この小谷城も、越前と同じく大雪に悩まされていた。正吉郎が治める坂田郡の伊吹山では雪崩が起きたそうだ。元々浅井領だったからか、長政自身かなり気にかけていた。


しかし、人の心配をする前に自分の安全を確保しなければならない。小谷城は山城であるため、この大雪によって伊吹山のように雪崩が引き起こされると、麓の城下町が被害に遭う危険があるのだ。


「新九郎様、越前で雪崩が起きたとのことにございます」


植田順蔵が正吉郎に雪崩発生の報告をしてから3日後、長政は再び雪崩が起きたことを知った。度重なる雪崩の発生に肝が縮む思いをしながらも、長政はこれから攻め込む越前の動向に変化があったことに突っ込まずにはいられなかった。


「越前で雪崩が起きるのはさほど珍しくもあるまい? それで場所は越前の何処だ?」


「それがなんと、一乗谷とのことにございまする」


「.....なんだと?」


長政は耳を疑った。一乗谷は朝倉家の本拠であり、越前で最も栄えた北の都である。その一乗谷が雪崩によって被害を受けたというのは寝耳に水の出来事だった。もし朝倉との友好があのまま続いていたらと考えると、気が気では無かっただろう。


「して、被害の程は?」


「一乗谷の朝倉館は雪崩に飲み込まれ、城下の町も雪に埋まって甚大な被害を受けたとの由にございまする」


長政は再び肝を冷やした。想像するだけでも悍ましいものだ。もしその雪崩が小谷城の城下で起きたならば、浅井家は一体どうなっていただろう。長政はそんな思いを吐露することもなく、真剣な表情で更に尋ねる。


「……一乗谷の町には加賀一向一揆2万の大軍が逗留して越冬していたはずだ。奴らはどうなった」


「それが、ほぼ全員が巻き込まれ、生き残った者はごく僅か、と。その生き残りも、朝倉の残党に襲われて全滅したと聞き及んでおりまする」


次から次へと積み重なる恐怖に、心中の憂虞の気持ちを隠しきれず、長政は顔を青白く染める。


刹那の思考、その恐怖から逃れるように頭に浮かぶ疑問。一乗谷を何度か訪れたことのある長政は、一乗谷はそう頻繁に雪崩が起きる場所ではないはずだと、訝し気に首を傾げた。だが、考えたところで真実に辿り着くはずもなく、何かが変わる訳でもない。


「そうか.....。しかし、これはまさに天が坊主どもに天罰を下した僥倖とも言うべき好機であろう。朝倉を滅ぼした坊主や狂信者どもが消えた越前は、今や支配者のいない空白状態である。違うか?」


浅井家にとってあまりに好都合な雪崩の発生に一抹の薄気味悪さを感じるが、それよりもこれは願ってもない好機であるのは間違いない。昨年の秋までに若狭二郡の国人領主もすべて臣従あるいは討伐した今、岐阜会談で合意したとおり浅井家の次の侵攻目標は越前である。


加賀一向一揆との対決は正直言ってかなり厳しい戦いになると覚悟していたが、このまたとない好機に越前に攻め込めば、たとえ狂信者の生き残りが抵抗しようともすぐに捻り潰せるはずだ。


長政は頭を切り替え、まずは目の前の状況を直視することにした。


「仰る通りかと」


「よし、では田植え後の5月、越前に侵攻する。準備を進めておけ!」


加賀一向一揆が霧散した今、越前にさしたる障害は残っていない。


加賀一向一揆にとっても指導者の坊主が死んで、2万もの兵力が失われたとあっては、非常に大きな痛手であるのは間違いなく、しばらくは加賀から兵を出す余裕はないはずだ。それどころか、上手くいけば越前を奪い獲るだけでなく、一気に加賀の南部も制圧できるかもしれない。


「はっ」


敵の不幸は味方にとっての僥倖だ。この機を逃すわけにはいかない。腹の奥底から湧き上がってくる高揚感を抑え切れず、「ふふふ」と含み笑いをしつつ、長政は勢いよく立ち上がったのだった。



◇◇◇


摂津国・石山本願寺。


3月上旬。石山本願寺の法主である顕如の元に、加賀国の尾山御坊からの使者が、狼狽した様子で訪ねてきた。


「い、一大事にございます!」


「なんだ、騒がしい」


鬱陶しそうな態度を言葉に含ませながら、徐に使者と向き合う。その頰からは止めどなく汗が垂れ流されており、顕如も思わず顔を顰めそうになったが、法主たるもの動じてはならないと動揺を押し潰した。


「昨年末に宿敵の朝倉を滅ぼし、一乗谷に逗留して越冬しておりました七里頼周様率いる門徒2万が、先月の上旬に起きた大雪崩にて、屋敷もろとも生き埋めになって全滅したとの由にございます。尾山御坊に伝わったのが十日ほど前にて、法主様に今後の指示を仰ぐために急いで参りました次第にございます」


「なに....? それは真か?! 越前に攻め込んだ門徒2万が全滅し、七里頼周と杉浦玄任が死んだ...? そのような荒唐無稽なことを信じろと申すのか?」


大抵のことには慌てることがなく、まさに仏の顔を浮かべて普段から鷹揚さを醸し出す顕如も、この時ばかりは額に大粒の汗を滲ませ、大声で使者に捲し立ててしまう。


「はい。これは偽りなき事実にございます」


顕如はその真っ直ぐな眼差しに嘘がないことを感じ取り、一度大きく息を吐いた後向き直った。


「これは拙いのう。春には敦賀から浅井が攻め入ってくるのは必定よの。下手をすると加賀まで攻め入るかもしれぬ。そうでなくても、加賀に残る門徒たちは総大将の七里頼周が死んでは、まとまらずに大小一揆の再来になりかねぬ。誰かを加賀に送って門徒たちをまとめ上げ、浅井の侵攻に備えねばなるまいの」


大小一揆とは30年前の顕如の父・証如が法主の時代に加賀で起きた一向一揆の内紛であり、本願寺側の「大一揆」が勝利し、賀州三ヶ寺側の「小一揆」を粛清した事件である。


そんな事件が再び起こっては堪らないと、顕如は暫し考えをまとめた後、近くで控えていた本願寺屈指の猛将・下間頼廉に声をかけた。


「頼廉。頼照を加賀の新たな総大将として派遣しようと思うのだが、どうじゃ?」


「はっ、適任かと存じまする」


下間頼照は、史実における本願寺の越前制圧後、総大将として越前に派遣され、実質的な守護として権力を振るった人物である。


「そうか、では下間頼照を加賀に総大将として派遣しよう」


こうして、加賀一向一揆の新たな総大将として、下間頼照が任じられたのであった。

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